第7話 Win Win
「自由なのは相変わらずだな」
言ったのは繁之だ。腰に手をつき、遠くを見るように瞳を細めている。その視線の先にあるのは、軽い足取りで店内へと消えていった背中だ。
多分、同じように目を細めている音弥もそれと大差ないことを思っているのだろう。繁之とは違って、煩わしそうなものではあるが。
繁之はため息をつくように軽く息を吐き出し、懐からタバコとライターを取り出した。既に何本か消費されているらしいことが、そのひしゃげた形から分かる。
「今回の客は随分気前のいい客みたいだな」
「ああ?」
面倒くさそうに斜めに視線を投げる音弥に顔を向けることはせず、繁之はタバコを咥え、右手で構えたライターに左手を添えた。
「ここの金だって、出してんのは客だろ。この辺りは競争率が高くて空きを待つ列がいくつもできてるって聞いたぞ。人気な分、テナント料も高くなるはずだ。普通のやり方じゃ押さえるのだって困難な場所じゃねえか。今回はどう騙した」
「騙したなんて、人聞きの悪いこと言ってんじゃねえっての。ここを開店させることを依頼してきたのは向こうだぜ。おかげでオッサンも儲かってるだろ」
火を点けようとした直前で顔をしかめた繁之は、苦虫を噛み潰したような顔でタバコを口から離す。
「それが気に食わねえんだよ。あいつが始めたことだ。やってることも分からねえわけじゃねえ。だがよ、口を出すつもりはねえが、突っ込む必要のねえ足は、突っ込まねえ方がいいだろ」
「はあ? オッサン、何言ってっか分かんねえよ」
「……お前のその口調も相変わらずだな。だから、俺はオッサンじゃねえって言ってるだろうが」
気が削がれたのか、繁之はそのままタバコを懐に戻した。代わりに、先程怜が視線を向けていた通りの向こうをちらと見やる。
「あいつは、いつまでこんな仕事を続ける気だ」
それは一体、誰に向けられた呟きなのか。
独り言なのか、音弥に向けたものなのか、それとも、今は店内にいる相手に言いたいものなのか。
深く息を吐き出して頭を振ると、繁之は辺りに散った花の残骸をかき集め始めた。
通りには、スタンド花からこぼれた花弁や、大小様々な葉や枝がいくつも転がっている。
散らかしたのは自分たちでも、そういうことに対する苦情は目の前の店に入ることになるのだ。一葉も、繁之に倣って集め始める。
「悪いな」
「いえ」
ふと、何かに気付いた繁之が、一葉を小突いて道を端に移動した。繁之が視線をやった先に目をやると、ちょうどそちら側から若者の集団がやって来るのが見える。
ワイワイとやって来る若者たちは、それぞれに酒やつまみの入ったレジ袋をぶら下げている。すれ違いざま、うちの一人が何かをピンと飛ばしたのを見て、隣の繁之が顔をしかめるのが分かった。
てんてんと地面を転がったタバコの吸い殻には、まだ小さく赤い火がついている。
それは、同じ喫煙者だからこその嫌悪のようなものもあったのかもしれない。呆れるように息をついて腰を折り、転がった吸い殻を拾って己の携帯灰皿の中にねじ込む。流れで、「最近の若い奴は……」と小さく呟かれるのが聞こえた。
「お待たせ」
両手にレジ袋を下げて、満足そうな顔をした怜がようやく外に出てくる。その口には、粉砂糖が振られた甘そうなパンが既に頬張られていた。
「おい」
タバコの携帯灰皿を懐にしまった繁之が、代わりに怜に紙を差し出す。
「領収書だ」
「ああ、ありがとう」
それを軽い調子で受け取って上着のポケットにしまう怜に、繁之が何か言いたそうに目を細める。
「―――お前、大丈夫なのか」
「何が」
そちらを見ることはせず、怜は元々浮かべていた笑みを違う色に深めた。分かっているのに聞いている、そんな顔だ。
実際、そのあと怜は「分かってるよ、言いたいことは」と続けた。
「でも、花のおかげで皆笑顔になれるでしょ。受け取った人も笑顔、客も笑顔、ついでに俺たちも笑顔、シゲのとこも儲かって皆笑顔。あっちにもこっちにもシアワセの花が咲く。いいことだらけじゃん。これ以上のWin Winなんて無いと思うけど」
「お前の口から「シアワセ」なんて言葉を聞くと、それが途端に胡散臭いものに思えてくるな。それに、笑顔ってのはそうやって生み出すもんじゃねえ」
「青臭いなあ、シゲは。まあ、そこは見解の違いでしょ。とにかく、これが花屋の仕事だ。何を心配してるのか分からないわけじゃないけど、そんなことする必要はないよ」
言い切る怜に何か言いたそうにしつつも、繁之はどこか諦めたように息をつく。そして、そのまま何も言わずに片付けに戻ってしまった。
音弥はやり取りを興味無さそうに眺めるだけで、特に口を出すことはしない。
シゲさんという人は、花屋の仕事にあまり賛成ではないんだな―――。
思ったことが呟きとなって声に出ていたらしい。聞いていた怜が、はは、と苦笑するように肩をすくめる。
「そういうことは言わないけど、根本のところではそうなのかもしれないね。基本が心配性だからな、シゲは。大丈夫だって言ってるのに。俺を誰だと思ってるんだ」
ねえ? と同意を求められるが、一葉に返せる言葉は無い。自然、はあ、と曖昧なものになってしまう。
「さてと、」
空気を変えるように、そこで怜がパンと手を叩いた。
「それじゃあ、そろそろ回収に行きますか」
言って、通りの向こうに顔を向ける。一葉も同じ方に目を向けると、黒いセダンがちょうどゆっくりとその場を動き出したところだった。
今では電子タバコもわりと一般的になっていますが、シゲさんは紙タバコ、ライターを愛用しています。
というのも、実はこのお話は、今現在というより、今から数年前(ギリギリ平成か令和か、という頃)の時代設定になっているからなのですが、それを無しにしても、シゲさんは元々新しいものより昔ながらのものを好む傾向にあるからです。
ですが、そのうち時代の波に流され、そろそろ俺も電子タバコにしてみるか…なんてなっちゃう日もくるかもしれません。




