第5話 もう一つの花屋
正月セールなどで賑わう驚台駅前は、平素の休日よりも混んでいる。
その中を車で行こうと思えばひと苦労だ。
数台進んではすぐに赤になる信号に、何度も足止めを食らいつつようやく車が止まったのは、花屋を出てから四〇分程が経った頃だった。
「お、もう来てるね。ま、それもそうか」
通りがほぼ歩行者天国と同義になるような本当の駅前からは、少し離れた場所である。―――とはいえ、人通りはやはり多い。
路肩に停まっていた白いワゴン車の後ろにつける形でゆっくりと車を止め、怜がサイドブレーキを引くと、車はなぜか無駄に大きくガッタンと揺れた。
「……おい、この車、ちゃんと整備してんのか?」
「ちゃんとしてあげてるんだけどね、何しろ古い車だからすぐ調子がおかしくなっちゃうんだよね。ま、そこが可愛いんだけど」
「てめえの気持ちなんてどうでもいいんだよ。いい加減、新しい車に買い替えろ」
激しく気に入らないものを見るような目で助手席の音弥が隣の怜を睨むが、本人はその視線を受けはしても頷きはしない。どころか、さらに続ける。
「完璧な車なんて買ったって、俺、多分愛着湧かないから運転するの無理」
「はあ?」
「足りないところがあるって、なんか可愛いよね」
「てめえはふざけてんのか」
ますます額に青筋を立てて言う音弥は、荒々しくドアを開けると、そのまま車を降りていく。バンッ、と車が揺れる程に強く扉を閉めていく様を見て、怜は苦笑した。
「ああ、だから古い車だって言ってるのに」
そして、シートベルトを外して、自身も運転席の扉を開ける。
「俺たちも行こうか。あ、ドアはそっとね」
「はあ」
後部座席から外に出ると、積んでいた荷をすべて降ろしきった車が左右に大きく傾ぎ、息をつくように浮き上がった。
「一葉くんの言う通り、うちは花屋だけど花は置いてない。うちで必要になる花を実際に用意してくれてるのは、あそこのシゲだ」
先に停まっていたワゴン車は後ろの荷台の扉が上がっており、ちょうどそこから積み荷を降ろす作業をしているところだった。ワゴン車の白いボディには「フラワーショップ山田」と書かれており、所々擦れているのが年季を感じさせる。
ワゴン車のそばには、台座に盛られた色とりどりの花の山が、ざっと数えて一〇個程。中には「祝OPEN」と書かれた札もいくつか重なっている。
辺りには、先程から焼きたてのパンの甘い香りが漂っていた。
ワゴン車が停まったそばの店、まだ外装が新しいパン屋から漂ってくるものだ。
レンガ造りを模した壁の塗装はまっさらで、洋風の大きな窓の奥には、オープンの準備に目まぐるしく動き回る店員たちの様子が見えている。
先に降りた音弥が「オッサン、受領証は」と作業をする中年風の男性に声をかけているのが聞こえる。「俺はオッサンじゃねえ。……んなことより、先にこっち手伝えよ」と渋面をつくりながらも、男性は懐から取り出した紙を音弥に渡している。
「今シゲに用意してもらってるのは、「開店祝いの花」ね。あそこで指示を出してる女の人、見えるかな。ここのオーナーは彼女なんだけど、存外に慎重派でね。長かったな。けしかけるところから始めて、やっとここまで漕ぎつけたんだ」
店内で陣頭指揮を執る女性を示し、怜が瞳を細める。だが、聞いている一葉には意味が分からない。
「開店祝いの花」に、オーナーが慎重派であることの何が関係あるのか。けしかけるところから始めて、やっとここまで漕ぎつけたというのも、一体何のことだか。
「ま、実際のところ、動いたのはほとんど音弥なんだけどね」
ふっと笑ってこちらを向く怜に、はあ、と曖昧に頷くことしかできない。
「シゲ」
怜が声をかけると、組み立てたスタンド花をセットしていた中年風の男性が顔をあげた。こちらを確認して、顔をしかめる。
「やっと来たか。遅えんだよ」
「ごめんごめん、道が思った以上に混んでてね」
「わざわざ車で来る必要ねえだろうが。歩いて来いよ」
「まあ、そうなんだけどね。でも、たまには動かしてあげないと拗ねちゃうし」
「車相手に拗ねるったあ、相変わらず気持ち悪いモノの言いようだな」
言っている言葉とは裏腹に、そこまでの毒は感じない。額にタオルを巻いて作業している姿が、どこかの職人のような実直さを感じさせるからだろうか。
やり取りを何気なく見ていた一葉に、男性がちらと視線を寄越した。
「―――新入りか?」
その視線を追って、怜もこちらを振り返る。
「ああ、うん、そんな感じ。まだ声をかけてる段階なんだけど、うちの仕事を知ってもらうには、実際に見てもらった方が早いかなと思って。ちょうどここの納品もあったし」
言って、ちょいちょいと手招きをされる。
「一葉くんにも紹介しておくよ。こちら、フラワーショップ山田のシゲさん。うちと違って、普通の方の花屋ね」
普通の方の花屋ってのは何だ、と紹介された男性が眉をしかめるが、いいからいいから、と怜は軽く流す。
「あ、この人、本名は山田繁之ね。で、こっちが新しくうちに来てもらおうと思ってる由良一葉くん」
紹介されて、はじめまして、と首だけを下げる。対して、繁之の方は目を眇めただけだ。
「サインもらってきたぞ」
店から出てきた音弥が受領証を怜に渡す。サンキューと受け取って自らもサインしたあと、怜はそれを繁之に渡した。
「はいよ。また頼むね」
それを何も言わず受け取って、繁之は上着のポケットにしまった。「―――で、」と言葉を継ぐと、再び怜に視線を戻す。
「こいつらはどこに運べばいい」
車から降ろした大量の花を顎で示しながらの言葉だ。
「あ、設置までしてくれんの? そこまでやってくれなくていいのに」
「別に、ついでだ」
あくまで仏頂面の相手に、怜は、ははと笑った。
「さすがシゲさん、優しいね」
「……お前にさん付けで呼ばれると気色悪いな」
「ええ、じゃあこれからはそうしようかな」
「なんでそうなんだよ……」
そんなやり取りをしながら、ああだこうだと言い合った末に、花は入口脇の少し空いた場所に置かれることになった。
そこなら、パンが陳列されているショーウインドウに被らないからということらしい。




