第4話 花屋の人々
「あそうだ、忘れてた」
既に三つ目のひよこ丸を放り込んでから、怜が言った。指先についた粉を落とすように軽く払って、よいしょ、と立ち上がる。
「先に紹介しておこうか」
何を、と聞く間もなく、こっちこっちと手招きをされる。
途中になっていたひよこ丸を口に詰め込んで、一葉は立ち上がった。喉に引っかかるのをなんとか飲み下してから、先に立った怜のあとに続く。
「うちのメンバーを紹介しておくよ」
振り返った怜が指したのは、デスクの方にいる三人だ。
「花屋をやってるのは、俺を含めてここにいる四人だ。あれは音弥で、歳は一葉くんに一番近いかな。あんなナリして悪ぶってるけど、中身は意外と純情で真面目。口は悪いけど、悪気があるわけじゃないから、気を悪くしないであげてね。で、その向かいの方にいるのが、菫ちゃんね。綺麗な顔してるけど、言うことは結構辛辣。でも、そこがいいんだよなあ。そして最後に、万年青さん」
他の二人がちらと視線を寄越しただけだったのに対し、万年青と呼ばれた老人は丁寧に立ち上がってお辞儀までしてくれる。
「万年青さんには、主にここの事務関係の処理をやってもらってる。花屋については、もしかしたら俺よりも詳しいかもしれない」
「万年青と申します」
一葉はどうも、とそれに言葉を返した。それを見て、怜は「それで、」と今度は花屋の面々に向き直る。
「こっちが由良一葉くん。うちにどうかな、と思って今スカウトしてるところ」
スカウトって。その言葉を使うのは間違っているような。
思いながらも、花屋の面々に対して、一葉はもう一度軽く頭を下げる。
「ていうかさ、シャチョー」
そこで声をあげたのは、菫と呼ばれた女性だ。整った眉が僅かに寄せられる。
「私、次に入れる子は女の子がいいって前に言わなかったっけ。なんでまた男なわけ?」
抗議する内容はそこなのか。
反射的にそう思ってしまったのは、一葉がここにいる理由を菫があまりにも自然に受け入れているようだったからだ。その様子は、一葉がなぜここにいるのか初めから承知していたようにも見える。
「ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ。ごめんね、狙ったわけじゃないんだけど、そうなっちゃった」
「今だって十分むさ苦しいのに、これ以上ひどくしてどうすんのよ。ほんと嫌になるわ。あ、別にあなたが嫌ってことじゃないからね。悪いのは物忘れがひどくて考え無しのシャチョーだから」
「うわ、菫ちゃん、なんかそれ微妙に傷つく」
グサッと胸に何かが刺さったような仕草をする怜のことは完全に無視で、「よろしくね」と菫は一葉に軽く手を振ってくる。もう一人の音弥と呼ばれた男は、何も言わず、ただ胡乱げな瞳でこちらを見ていた。
※
「おい」
音弥に低く言われ、菫は目だけをそちらに向けた。
「どう思う」
「どう思うって、何が」
「あいつだよ、あの新入り」
そう広くはない事務所だ。応接スペースとデスクスペースとの間には少々空間があるとはいえ、普通に話していればその内容が聞こえる。音弥が声を落としているのはそのためだ。
振り返ることまではせず僅かに首だけを動かして、音弥は菫にその対象を目で示した。その視線の先にいるのは、今怜と話しているあの少年だ。
「あいつは本気で、ここにあいつを引き込むつもりかよ」
「あいつ、あいつって、ちゃんと名前を呼びなさいよ。何言ってるか分かんないわ」
音弥が睨むようにその視線を鋭くさせるが、菫はそれをさらりと受け流した。相手は音弥だ。少し睨まれたくらいでは何とも思わない。
「シャチョーは基本がテキトーな人だけど、そのテキトーで花屋のことを話す人でもないでしょ。まして、働かないかなんて、本気じゃなきゃ言わないと思うけど」
「……にしたって、なんであんなガキ連れてくんだよ」
呟くように言う音弥に、菫は呆れながら返した。
「言っとくけど、あんたが最初にここに来た時も、私は同じように思ったわよ」
そして、ひどく不服そうな視線を寄越してくる音弥は無視して、デスクの引出しを開ける。
「シャチョーがあの子をここに連れてきたのには、連れてきたなりの理由があるんでしょうよ。そもそも、シャチョーが何考えてるかなんて、私たちが推測したところで何の意味もないわよ。あの人は、想像の斜め上を行くような人なんだから。ま、こういう時は静観してることね」
言いながら、引出しから取り出したマニキュアを塗り始めた菫に対し、音弥はまだ何か言いたげに、しばらく眉間のシワを解くことはなかった。
※
「あそこの店はね、たまに行くんだ。一葉くんがクビになった日も、ちょうど一人で呑んでてね。それであの現場を見てたってわけ」
「そうですか、それで……」
大晦日のあの日、なぜあんなところで声をかけられたのか、ようやく理解する。つまり、状況を知った上であそこで待っていたということだ。最初から、声をかけるつもりで。
「そろそろ人を増やそうかと思ってたところだったから、ちょうどいいやと思って。一葉くんの働きぶりはあの店で見て知ってたし、うちに来てもらったら助かるなって。気が向かなかったらそれはそれで、声をかけるだけはタダだしね」
「でも、どうして俺があそこを通るって分かったんですか?」
「うん? おかしなことを聞くね。だって、一本道でしょ」
「一本道―――?」
当然のように言われたが、一葉は首を捻った。
確かに、あの道は一本道だ。一葉が住んでいる安アパートまでは。
だが、店がある呑み屋街は、四方に路地が伸びているところで、目的地が明確でなければすぐに袋小路に迷い込む。両サイドに似たような赤提灯がぶら下がっているため、それは余計だ。
つまり、あの店から一葉の安アパートまでの道を知っていなければ、その途中で待っていて会えるというようなことは、よっぽどツイていない限り起こり得ない。
……まあ、呑み屋街を抜ける道を知っていれば、別にたやすいことか。
抜ける道となれば、確かに選択肢は限られてくる。
そう思って、一葉は微かに感じた違和感を深く追及することはしなかった。
包みを剥き、怜はまたひょい、とひよこ丸を口の中に放り込む。もう何個目だ。ローテーブルの上にはくしゃくしゃになった包み紙が点在している。
一人でこれだけの量を食べているのに、それを全く感じさせない。白いトレーナーの下の腹は、見た目にもまだ軽そうだ。
「―――それで、俺はここで何をしたらいいんですか?」
話を変えるように尋ねると、次を取ろうとまた伸ばしていた手を止めて、怜がこちらを見た。
「ああ、そのことなんだけど、うちの仕事については、口で説明するより実際に見てもらった方が早いと思うんだよね。―――音弥、」
言いながら立ち上がった怜が、音弥の方を振り返る。対する音弥は「―――ああ?」と不機嫌そうな声をあげただけだ。
「今日納品予定の花があったろ。一葉くんにも一緒に行ってもらおうかと思うんだけど、いいよね?」
「―――聞かなくてもどうするかもう決めてるもんを、わざわざこっちに聞いてくんなよ。俺が何か言ったところでやめんのか?」
あとに舌打ちが続きそうな程、不機嫌な言葉だ。だが、それに怜は「はは、たしかに」と軽く笑って受け流す。そして、まだソファに座ったままの一葉に視線を戻して言った。
「来てもらったばっかりで悪いんだけど、このあと予定とか大丈夫かな?」
「それは、まあ。特に予定はありませんけど」
「そっか、よかった。それなら話が早い。それじゃあ、一緒に来てもらえる?」
そう言って、怜は立ったまま、またひょい、とひよこ丸を口に放り込んだ。
菫が怜のことを「シャチョー」と呼ぶのは、カタコトでもなんでもなく、ただのニックネームのようなものです。




