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ヨミガエリの失楽園-Lost Eden-(ヨミガエリのロストエデン)  作者: 朝日一晴
第1章 『地獄の沙汰も、縁次第』
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第1章-第6節 『HELLo, World!』

 ――臭い。


 意識が戻って最初に感じたのは強烈な悪臭だった。


 どこだ、ここ。


 確か――最後の審判で地獄行きになって、変な魔法陣に吸い込まれて……

 

 じゃあ、ここが地獄なのか?


 ――どうやら、神に見捨てられた場所というのは腐臭がするらしい。

 やっぱり死後の世界だからだろうか……?

 それにしては、生ごみっぽいというか、下水っぽいというか……

 いや、それよりもひどいかもしれない。

 まるでドブに漬けた雑巾でも嗅がされてるような――


 目が開けられないまま思考を巡らせていると、ふと顔にぬるりとした感覚を覚える。

 柔らかくて、ぬるくて、じっとりとした“何か”。

 あまりの不快感に、重たい瞼をこじ開ける。

 

 視界いっぱいに映るのは黒い瞳と、ヒゲ。そして……灰色の体毛。

 小さな鼻息のような音がわずかに聞こえた。ドブネズミが至近距離で俺の顔を嗅いでいる――

 そこまで認識した途端、腹のあたりがぞわりとした。

 

「うおわぁっ!?」

 

 思わず叫びながら跳ね起きると、驚いたドブネズミは一目散にどこかへ駆けていった。


 忙しない心臓の鼓動を落ち着けるように深呼吸をする。

 

「……うん、やっぱ臭い」

 

 顔をしかめながら周りに目を向ければ、半壊した木箱に濡れた麻袋、空の酒瓶や食べかけのまま腐っている果物など、一般的に“ゴミ”と分類されそうなものが寄せ集められていた。

 

 どうやら、俺はゴミ山の上で寝ていたらしい。

 

 手の平の下にもなにやら固い感触を感じて視線を落とすと、そこにあったのは、白くて乾いた頭蓋骨だった。


 俺は本日二度目の悲鳴を上げた。

 

 

 ――拝啓、母さん。やっぱりここは地獄みたいです。

 

 

 とにかく早くこの臭くて薄暗いところから離れたくて、俺は明るい方へと走った。


 ゴミ袋を踏み越えて、途中で何かを蹴っ飛ばしながら路地裏の隙間を抜けていく。

 

 そして――ようやく抜け出したその先で、俺は目を疑った。


「なんだ、ここ……」


 それは、俺が思い描いていた地獄とは少し……というか、だいぶ違っていた。

 

 視界に広がるのは、異国情緒溢れる街並み。

 ヨーロッパのどこかの国の旧市街とでも言えば良いのだろうか。

 石畳にレンガ造りのような建物が連なっている。


 一見すると、とても地獄とは思えない。

 もっとこう……血の池とか針山とかを想像してたんだけど。

 あれは日本風なのか? 実際の地獄ってグローバルな感じなのか?


 そういえば、モルティナも日本人って感じじゃなかったし、命星の書庫や審判の間だって言われてみれば西洋風だった。


 まぁ、日本って小さい島国だしな……死後の世界に国境が関係ないんだとしたら、ヨーロッパ基準になっていてもおかしくはないのか。


 困惑しながらも、どこか冷静に仮説を立てて納得している自分がいた。

 

 だって、死後の世界がどんな風かなんて、生きてる人間は誰も知らないんだ。

 この世にある地獄を描いた創作物なんて、所詮は全部フィクションで、人間が勝手に想像したものなんだから。

 

 実際はこんな風だった、なんてことは大いにあり得るのだ。


 この世の真実を知ったような気になって、俺はなんだかさっぱりとした気持ちで意識を往来に向ける。


 そこに行き交う人々のほとんどは人間――のように見えた。

 しかし、よく見れば、頭から角や動物の耳が生えていたり、皮膚の色が緑だったり、耳が尖っていたり……俺の知っている“人間”とは異なる容姿の人々の姿も見える。

 いくら多国籍と言ったって、少々ワールドがワイド過ぎやしないだろうか。

 

 先ほどの自分の仮説が綻び始める。

 彼らの服装も、なんというかファンタジー然としているような……

 

 ――これじゃまるで“異世界”じゃないか。


 いやいや、死後の世界のことは誰も知らないんだ。これが地獄の普通なのかもしれない。

 それに、モルティナだって“異世界転生はできない”って言ってただろ。


 さっきまでの清々しい気持ちが徐々に薄れていく。

 代わりに、言い知れない焦燥感に似たものが込み上げてきて、現実から目を逸らすように視線を上に向けた。


 しかし、その行動によってまた非現実を突き付けられる。


 真昼のように明るいのに、空が――赤いのだ。


 夕焼けでも、朝焼けでもない。

 どこまでも赤く、どこまでも不吉で、けれど不自然なほどに整っている。

 まるで世界そのものが赤い絵の具で塗りつぶされたような空だった。


 しかし、街の人々は誰一人としてそんなことを気にしている様子はない。

 彼らにとってはこれが日常らしい。


 俺は小さく息を吐き出した。

 

 ――人間ってのは不思議なもので、こうも理解不能なことばかりが起きると(かえ)って落ち着きを取り戻す。

 本能で、置かれた状況に適応しようとするのだ。

 受け入れがたい現実に対してそこから目を逸らしたり、無意識にマイナスな感情を抑制して身を守ろうとする。

 いわゆる防衛機制のようなものだ。

 

 いくら考えたところで仕方がない。ここのことを知っていけば、何かわかるはずだ。

 とにかく今はこの街を少し探索してみてもいいだろう。

 

 人々が普通に生活をしている様子を見るに、地獄といえどある程度の秩序はあるはずで、社会的かつ文化的な生活が営まれているはずだ。

 歩いているだけで殺されるなんてことはないだろう。多分。


 それに……ここで生きなくちゃいけないのなら、食料や寝る場所なんかも探す必要がある。

 死後の世界で“生きる”とか“死ぬ”とかいう表現が適切かはわからないけど。

 

「――ま、いっか。今さら哲学めいたこと言ってもしょうがないしな」

 

 言葉に出したことで、少しだけ気が楽になった。

 

「っしゃ! 行くか!」


 両手で頬をぺちんと叩いて気合を入れる。

 

 頭も気持ちも、まだ全部は追いついてないけれど、それでも俺の足は自然と動き出していた。

 まずは歩いてみなければ何も始まらない。


 手始めに今いる通りから攻めてみよう、と周りを見渡す。


 通り沿いに立ち並ぶ建物の多くは、装飾の施された看板が取り付けられており、何らかの店であることが窺えた。

 好奇心で店先を覗きながら歩いてみる。


 ここはパン屋で……ここは洋品店だろうか? 「絶叫バーゲン開催中!」の張り紙がされている。

 なんというか……ワードセンスが地獄っぽい。


「この店は……なんだ?」

 

 看板もなく、ガラスは何かのシミで内側から曇っている。中の様子はまるで見えない。

 思わず身を乗り出して覗き込んだその瞬間――


 がたん、と窓がわずかに開いて、ぎょろりと目玉が覗いた。


「兄ちゃん、魂の売却かい?」


「ひっ、すんませんッ!」


 思わず謝罪の言葉を叫びながら、小走りでその場を後にした。


 ――ここは地獄。何が起きても不思議じゃない。

 興味本位で覗き込むのはやめよう。俺はそう心に固く誓った。

 好奇心はなんとやら、である。

 

 それから少し歩いていくと、T字路に突き当たった。

 

 「右に行くべきか左に行くべきか……それが問題だ」

 

 誰に聞かせるでもなく、俺はひとり呟く。


 もっとも、どちらに進んでも“地獄”に違いはないのだが――

 だけど、せめて……少しでもマシな地獄を願うくらいは、許されるだろ?

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