第1章-第3節 『恥の多い生涯は、』
「じゃあ……そろそろ本題に入ろうか」
そう切り出したモルティナは、わずかに口角を上げる。
「君には、もう少しこの場所のことを教えてあげるよ」
「この場所……命星の書庫、だっけ」
「うん。そしてここはただの書庫じゃない。それは君もなんとなく感じているだろう?」
そう言いながら、彼女はすっと頭上を指さす。
その指の先を追うように視線を上に向けると、天井のない空間に広がる無数の星が、存在を示すように瞬いた。
「……あれこそが、ここが”命星”の書庫と呼ばれる所以さ」
「じゃあ、あれが……」
見上げたまま、俺は小さく息をのんだ。
「そう。あの星々は君たちの魂を表している。ほら、死んだら星になるとか言うだろう? あれはあながち間違いじゃないのさ」
「もっとも、君たちが現世で見ている星空とは異なるけれどね」とモルティナは付け足した。
軽い調子で、淡々と重ねられる言葉。彼女の声はどこか耳心地が良く、プラネタリウムにでもいるような感覚になる。
彼女は一呼吸おくと、今度は俺たちを囲むようにそびえ立つ本棚に視線を向けた。
「そしてこの書架に収められている本には、それぞれに魂の記録が刻まれている」
言いながら、モルティナはすっと片手を掲げる。
すると、その手のひらに吸い寄せられるように一冊の本がふわりと飛んできた。
「――これが君の“命環の書”さ。見てみるといい」
黒革の表紙に銀色の文字が刻印されたそれを、モルティナがそっと差し出す。
その動きはどこか、誰かに宝物を手渡すような――そんな慎重さを帯びていた。
俺の人生ってこんな分厚いのか、なんて不思議な気持ちになりながら本を手に取る。
ずっしりとしたそれは、まるで俺に共鳴するかのようにひとりでにページをめくり始めた。
静かな空間に、紙がめくられる音だけが響く。そのたびに頭の中に映像が流れ込んできた。
最初の方は生まれた時のことから始まり、首がすわったとか、つかまり立ちしたとか、いわゆる赤ちゃんの成長記録みたいな……俺の記憶にないようなことまで書かれていた。
――ミルクを卒業して離乳食を食べ始めたが、うどんしか食べなかった。なかなかの偏食家らしい。
思わず、心の中で「なんだそれ!」と大きな声が出る。
全然知らなかった。母さんはさぞ苦労したに違いない。
それから少しページが進むと、俺の記憶にもあるような出来事が増えてきた。
――幼稚園の運動会。かけっこで転んで、大泣きした。痛くて泣いたんじゃない。最後まで完璧にこなせなかったのが悔しかったようだ。
――家族で行ったテーマパーク。着ぐるみが思っていたより大きくて泣いた。
――中学二年生。好きな子にチョコを渡そうとしたが、渡せなかった。あとから手紙で告白したが、あっさりフラれて、友達に慰められていた。
……うわ、なんだこの記録。やばい、めちゃくちゃ恥ずかしい。俺は思わず本を閉じる。
行年十八歳にして、なんて恥の多い生涯なんだろうか。
「ふふ、安心したまえよ。命環の書を閲覧できる人間は、私とその魂の持ち主だけだ。どんなに恥ずかしい記録があったとしても、私と君だけの秘密さ。まぁ、プライバシーってやつだね」
俺の心中を察したのか、モルティナは人差し指をぴっと立てて得意げに言った。
いや、お前も見てる時点でプライバシーもくそもないと思うんだけど。
俺はもう一度本を開いて、薄目で続きのページを追った。
駅のホームでの出来事――つまりは俺の死の瞬間だが――それが記されるページまで、俺の過去の“断片”はびっしりと書き込まれていた。
それは大きな出来事だけじゃない。誰にも言ったことのない、小さなことまで。
――まるで誰かがずっと俺を見守っていたみたいに。
本から顔を上げて、モルティナに視線を向ける。
彼女は相変わらず無表情のまま、しかしどこか温かな目でこちらを見ていた。
「――どうだった? 一ノ瀬創の人生は」
それはからかうような声音じゃない。ただ、まっすぐな問いかけだった。
心の奥になんだか熱いものがこみあげてくる。
その感覚をごまかすように、俺は軽く息を吐いて口を開いた。
「……一周回って笑えるくらい、恥ずかしいことばっかだったわ。書いたやつ、絶対悪意あるだろ」
素直に「見てくれてたんだな」なんて言えるわけがなくて、代わりに出たのは軽口だったが、モルティナは何も言わず静かに微笑んだ。それはまるで、俺の心の内などすべてわかっているというようにも見えた。
なんだか居たたまれなくなって、開かれたままの本に視線を戻す。
――あれ?
さっきまでは気にも留めなかったが、駅のホームでの一件が書かれたページはこの本の最後ではないらしい。後ろにもまだページが残っている。
そっと紙をめくってみると、そこには何も書かれていなかった。
「……俺の人生って、もう終わったんじゃないのか? なんで空白のページが……」
思わずこぼれた疑問に、モルティナが目を細め、片方の口角を少しだけ持ち上げた。
にやり、とでも言うような不敵な笑み。
「おや、なかなか観察眼が鋭いじゃないか」
彼女は指先で白紙のページをとん、と軽く叩く。
「――そう。君は、次の運命を迎えることになる」
「……え、次の運命って」
まさか、という考えが脳裏をよぎる。
「もしかして……異世界転生的なやつ……!?」
希望が滲んだその問いかけに、モルティナは無言でじとりと目を細めた。
「……な、なんだよその顔は……」
「……はぁ、やれやれ。最近の子は口を開けば“異世界転生”だの“強くてニューゲーム”だの、そればっかりだ」
溜息まじりにそう言って、彼女はそっぽを向いた。
それは暗に“異世界転生など存在しない”と言っているようで、落胆する。
「なんだ……じゃあやっぱり異世界転生ってフィクションだけの話なのか」
「いや、あるよ」
「あるの!?」
再び希望を連れてきた彼女の言葉に、思わず前のめりになる。
「あるにはある。ただね――昨今の異世界転生ブームで、枠が空いてないんだよ」
「上げて落とすなよ! なんだよ枠って」
「……私に文句を言わないでくれよ。そんなにみんなが異世界転生してたら、この世は異世界転生者ばかりになってしまうだろ? 魔王も勇者も転生者だらけになって、収拾がつかなくなるさ」
どこか本気とも冗談ともつかない声色だった。
でも、言ってることには妙な説得力があるのが悔しい。
「じゃあ俺は……どうなるんだよ」
「――通常通り、審判を受けてもらうよ。君の魂が向かう先を決めるためにね」
“審判”――その言葉がやけに重く響いて、俺はごくりと唾をのんだ。