第7節 『方舟』
皇帝。戦士。老人。子供。囚人。奴隷――
俺は一枚一枚を目で追ってから、太陽の記号が刻まれた右側の窪みを指差す。
「……とりあえず全部こっちに置いてみるとか、ダメ?」
カインは俺と石版を交互に見て、目をぱちくりさせた。
一瞬の沈黙の後、その双眸がじとりと細められる。
「いや、ダメですよ。そんな、合うかわからない鍵を片っ端から鍵穴に突っ込むみたいなこと……。不正解だった場合、どうなるかわかりませんし……ここは慎重にいきましょう、慎重に」
「だよなぁ」と肩をすくめる俺に頷いて、カインは台の上へ視線を戻した。
「……やはり、それぞれの肩書きが持つ意味が関係しているんでしょうか」
そう小さく呟いて、皇帝のモチーフが彫られた石版を手に取る。
「皇帝――権力と統治の象徴ですね。新たな世界を導く存在としては、最もそれらしい」
その言葉にはどこか含みがあるように感じた。
カインの手が隣の石版に移る。
「戦士は力の象徴。守り、戦うための存在……“新たな世界”とやらに争いが残るなら、必要なのかもしれません」
淡々とそう言って、視線を次の人物に向けた。
「老人……彼には知恵と経験がある。しかし……未来を生きる時間は、少ない」
杖をついた老人の図像に、わずかに言葉を詰まらせると、カインは静かに視線を移した。
次に見つめたのは、対照的な――小さな影。
「子供には可能性がある。まだ何にも染まっていない無垢さと、未来そのもの……新しい世界において、最も価値が高いとも言えますね」
価値、という言葉が妙に耳に残った。
続く囚人の石版に、空色の瞳が一瞬陰る。
ざらついた石の表面に彫られているのは、両腕を縛られ、逆さに吊るされた男。
「罪を背負った存在……か。単純な善悪を基準とするならば、この中で真っ先に除外されてしまうんでしょうね」
それはどこか他人事ではないような口ぶりだった。
カインの手が最後の一枚に伸びる。
「奴隷……意思を奪われた者。彼の心にあるのは忠誠か、それとも――自由、か……」
自らの言葉を確かめるような間。
俺はその沈黙の理由を深くは考えなかった。
カインは石版を台の上に戻すと、右側の窪みへと手を伸ばす。
「……この窪みの大きさからして」
黒い革手袋に包まれた指先が、縁をなぞるように滑った。
「舟に乗せられるのは最大でも四人……といったところでしょうか」
そう呟いてから、カインは口元に手を添え、視線を忙しなく巡らせる。
台の前を行ったり来たりしながら考え込んでいる様子のカインを一瞥して、俺はもう一度目の前の石版を見つめ直した。
「四人、ねぇ……」
皇帝。戦士。老人。子供。囚人。奴隷。
並べられた肩書きは違えど、そこに刻まれているのは等しく人の形だ。皆、同じ重さでそこにある。
ふと、先ほどカインが読み上げた文言が頭をよぎる。
――裁きの時は来たり。選ばれしは新たな世界へ至り、選ばれざるは滅びの海に沈む。舟は小なり、選定を為せ。然らば扉は開かれん――だったか。
思い返してみても、随分と傲慢な問いだ。
……裁き。選ばれし。選ばれざる。
そういえば、俺が最初に引っかかったのもそれだった。
俺は石版から顔を上げる。
「なぁ、カイン」
「はい?」
思考を続けたまま、視線だけ寄越したカインをよそに、俺は一枚目の石版を手に取った。
「やっぱりさ――これ、全員乗せれば良くね?」
「……はい?」
返事を待たずに、太陽の記号が刻まれた窪みへ石版を置く。
「え、ちょっ――!」
カインが慌てて駆け寄ってくる。
「待ってください! 僕、さっき“慎重に”って言ったばっかりですよね……!?」
「うん、聞いてた聞いてた」
二枚目、三枚目。
俺は構わず、石版を並べていく。
「舟が小さいってだけで、定員は書いてないんだろ?」
「それは……」
カインがわずかに目を見開く。
「そうですけど……“選定を為せ”と――」
「でも、“誰かを捨てろ”とは言われてない」
四枚目を置いたところで、俺は手を止めた。
「選ばれしは~とか、選ばれざるは~とか、あれって結果を言ってるだけじゃね?」
カインは口を開きかけて、閉じる。
それから、台の前面に刻まれた文言へもう一度視線を落とした。
「……た、確かに。論理としては……かなり捻くれてますけど。文字通り、とも言えますね」
「な? それにさ」
五枚目の石版を積み上げて、俺は言葉を継いだ。
「全員同じ人間だろ。皇帝だろうが、奴隷だろうが、関係ねえよ」
手にした六枚目の石版を見つめる。
「少なくとも――俺の中ではな」
冷たいはずのそれに、なぜだか人の体温みたいなものを感じた。
俺は短く息を吸い込む。
「ってことで、全員生きろでファイナルアンサーだ」
最後の一枚をそっと重ねる。
訪れた、一瞬の静寂。
次の瞬間――地面を揺らすような低い音が響き、石扉がゆっくりと動き出した。
「……正解……だったようですね」
「ほらな。考えすぎなんだって」
「ハジメさんが真っすぐすぎるとも言えますけどね」
じとり、と空色の瞳が俺を刺した。が、そこに非難の色はない。
カインはそのまま視線を逸らし、一拍置いて続ける。
「――でも、ハジメさんらしい答えだと思いました」
「褒めてる?」
「半分は」
「ケチだな」
「行動する前に一言言っていただければ百点でしたけどね……!?」
思わず、という調子で声を上擦らせて、カインが胸元を押さえる。
「本気で心臓が止まるかと思いましたよ」
「でもまぁ、結果オーライ、だろ?」
俺は肩をすくめて、親指をぐっと立てた。
「まったく……君って人は」
呆れたような言葉とは裏腹に、その声音はどこか柔らかかった。
カインは小さく息を吐き出し、扉の向こうを見据える。
「……さ、行きましょう。ゴールはまだ先のようです」
「だな」
扉の向こう――薄明りの中へ足を踏み出す。
そこには下へと続く石の階段が口を開けていた。
一段、また一段。
下に降りていくにつれて、肌が違和感を感じ取り始める。
「……なぁ」
足を止めるほどじゃない。
けど、無視できるほど小さくもない。そんな違和感。
「なんか……妙にあったかくないか?」




