第5節 『疑念の種』
ルーガル兄妹と別れ、獣道を歩き出してから五分、いや十分以上は経っただろうか。
静かな森の中は、時間の感覚が鈍る。
とにかく、あの二人の気配が完全に遠のいた頃だった。
ふとカインが口を開く。
「……お二人にはああ言ってましたけど、本当は“気になるから”じゃないんですか?」
「え?」
「行かなきゃいけない理由ってやつですよ。ほら……ハジメさんって現実的なところあるじゃないですか。当初の動機だけなら、“――本当にあるかもわからねえお宝のためにそんな危険冒すのやだわ!”とか言いそうですし」
「いや、物真似下手くそか? 悪意すら感じるんだが」
似せる気があるのかないのか、一ミリも掠っていない物真似にじとりと目を細める。
俺そんなダミ声じゃないだろ! と抗議すれば、カインは肩をすくめて笑った。
「大方、レオさんに心配をかけたくなかったとか、場の空気をしんみりさせたくなかったとか……そんなところでしょう?」
「……バレてたか」
「ええ、まぁ。相棒ですから? ハジメさんの考えてることなら少しはわかるつもりですよ」
「あっそ……」
面と向かってそう言われるとなんだか気恥ずかしい。
俺は思わず目を逸らして、足元の小石を蹴り飛ばした。
「でもまぁ……全員消息不明とか言われたら、気にならない方が無理って話だろ」
「ふふ、ですよねぇ」
そりゃ最初は、儲け話に釣られてここまで来たわけで。ただのお宝目当てに違いなかったのだが――
あの兄妹から話を聞けば聞くほど、俺の興味は別の方へ傾いていった。
遺跡に行った人たちがどうなったのか、あそこには一体何があるのか。
――知りたい。気づけばそう思ってしまっていたのだ。
もしかしたら、カインの好奇心とか探求心みたいなものが、少しだけうつったのかもしれない。
「ああ、気になると言えば……」
カインがふと立ち止まり、何かを思い出したように口を開いた。
「あの二人――少し、変だと思いませんか?」
“あの二人”というのは、レイとレオのことだろう。
カインの意図が読めず、俺は眉をひそめる。
「……何が?」
「いくらなんでも、タイミングが良すぎるんですよ」
カインは口元に手を当て、考え込むような顔のまま歩き出した。
「レイさんは、巡回中にたまたま僕らに出くわしたような口ぶりでしたけど……どうにも腑に落ちなくて」
そう言いながら、カインは上着のポケットから手帳を取り出す。
思いついたことを書き留めるように、歩きながらさらさらとペンを走らせた。器用なものだ。
ただ――現代で言うところの“歩きスマホ”よろしく、足元すらろくに見ずに進んでいく様子は、正直ちょっと危なっかしい。
そんな俺の心配などどこ吹く風で、カインは手帳に視線を落としたまま、一拍置いて話を継いだ。
「レオさんも仰ってましたけど……この森、相当広いですよ。僕たちが追いつめられたまさにその瞬間に、ピンポイントであの場所に現れますかね? 偶然にしては出来過ぎている……そう思いませんか?」
「お前……あいつらのこと疑ってるのか? 二人がいなかったら、俺たちは今頃あの蝿の胃の中だったんだぞ?」
「ええ。だからこそです。……これは一つの仮説ですが――」
その前置きに何か嫌な予感がして、俺は唾を飲み込んだ。
静寂の中に、低く落とされた声が響く。
「――もしかしたら、彼らは……僕たちがあの場所へ追いつめられることを知っていたんじゃないですか?」
カインの言葉に内臓を撫でられたような感覚がして、口元が引きつる。
「おいおい、ちょっと待て。お前、流石にそれは……」
「あくまで可能性の話ですよ。別に僕だって、彼らを悪者にしたいわけじゃありません」
なんでもかんでも疑うのはお前の悪い癖だ。
そう言ってやりたいのに――胸のどこかで、その“仮説”を完全には否定できない自分もいた。
「はぁ……百歩譲ってそうだったとして、だぞ? 二人があの蝿の化け物とグルだってことかよ?」
「うーん……そこまでは、なんとも……。でも、遺跡に入るのは少し慎重になった方がいいかもしれませんね」
変わらず真剣なトーンでそう言われ、俺は返事に詰まった。
これを今言うべきか、少し迷うが――
「……」
「どうしました?」
俺の沈黙を不思議に思ったのか、依然として手帳に何かを書き込みながら、カインが問いかけてきた。
「いや……あのさ。もう、遺跡入っちゃってるみたいなんだけど……」
「……はい?」
俺の言葉で顔を上げたカインが、青い瞳を忙しなく動かす。
そして――ようやく事態を飲み込んだらしい。
頬を引きつらせながら、ぎこちなく背後を振り返った。
「いつの間に……!?」
「……ちょっと前」
「は、入る前に止めてくださいよぉ!」
カインが叫んだ瞬間、地鳴りのような音を響かせながら石扉がゆっくりと動き始めた。
「あ、ちょ、ちょっと! 閉まっ――」
慌てて扉に手をかけたカインは、ほんの一瞬だけ本気で押し返そうとしたが――すぐに力を抜いた。
あからさまに「これは無理だ」という顔をして、気まずそうに目を逸らす。
そりゃそうだ。レオのような怪力の持ち主ならいざ知らず、普通の人間の腕力でどうにかなるはずもない。
「またやってしまった……」
誰に聞かせるでもなく、カインが溜め息混じりに零す。
“また”ということは、以前にも何度か似たような失敗をしているのだろう。
……薄々そんな気はしていたが、こいつは思考に夢中になると本当に周りが見えなくなるらしい。
「いや、悪い……てっきり気付いてるもんだと思ってさ」
言っている間にも、外の光はどんどん細くなっていく。
為す術もなく、俺たちはただ閉じていく扉を見つめるしかなかった。
そして数秒後、隙間なく閉じた扉は――俺たちと外の世界を隔てる、分厚い石の壁と化した。
「暗ッ……カイン、なんか明かりとか――」
「はいはい……」
指を鳴らす乾いた音が響き、視界が少しだけ明るくなる。
カインの指先に灯った――常夜灯の豆電球のような炎。
「ちっさ……」
思わず率直な感想を漏らした瞬間、薄ぼんやりとした明かりの中でカインがふっと笑った。
「……すみませんねぇ、“役に立たない”程度の魔力しかなくて。せいぜい紅茶のお湯を沸かすくらいですよ、僕にできるのは」
「お前、まだそれ根に持ってたのかよ!?」
声色はいつも通り柔らかいのに、言葉の端々に妙な棘を感じる。
カインは俺にすっと背を向け、壁際の方へ歩いていった。
――こ、こいつ……めんどくせ~~!!
思わず心の中で叫んだが、その後ろ姿にはどことなく哀愁が漂っている気がしなくもない。
あれ……もしかして俺、やらかした?
カインやつ、へこんでる? っていうか怒ってる?
いやいや、まさか。こいつに限ってそんなわけ――ある、かも。あるよな。
変な確信が湧いてきて、俺は慌てて弁解の言葉を並べる。
「い、いや、あのな! さっきはあの蝿に追われてたから……切羽詰まっててああいう言い方しちゃっただけで! あれは別にそういうつもりじゃ――」
「あ、ハジメさん! ここ、点火できそうですよ」
俺の言葉に被さるように、けろっとした声が響く。
「せめて聞けぇ……! 俺なりにちょっと反省して、謝ろうとしたんですけど……!?」
俺の抗議など意に介さず、カインは壁に取り付けられた燭台へ指先を近付ける。
瞬間、ぱちりと火花が散り、奥へ向かって連鎖するように明かりが灯っていった。
――どうやら、さっきの“哀愁バックショット”は俺の完全なる見間違いだったらしい。
ただ壁際が気になってただけかよ……。
「……ハジメさん、ちょっと」
今日一番のでかいため息を吐いていると、再びカインに呼びかけられた。
「今度は何だよ……」
また何か嫌味でも言われるのかと、眉間に皺が寄る。
「これ、見てください」
声のした方を振り返れば、カインは閉じた石扉の前でじっと何かを見つめていた。




