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第2章-第1節 『二千円のデスマラソン』

 「え、これだけ……!?」


 俺は自分の手の平に目を落としたまま、固まった。

 思いの外大きく出てしまった声が、昼前の探偵事務所に響く。


 数分前、カインが(ねぎら)うような声で「ハジメさんが頑張ってくれたので、お給料をお渡しします」なんて言ったものだから、俺は期待に胸を躍らせて手を差し出したわけだが――

 

 先日の“猫探し”の報酬と称して手渡されたそれは、たった二枚の銀貨だった。


 向かいのソファに腰掛けるカインに、ゆっくりと視線を向ける。

 彼は無言のまま爽やかな笑顔を貼り付けていた。

 

 ……いやいや、見間違いかもしれない。重なってるだけで、実際はあと二、三枚くらい――

 しかし、何度見ようが、指で動かそうが、二枚は二枚だった。

 

「あの……カインさん、これっていくらくらいデスカ……」


 これはもう、銀貨一枚の価値がめちゃくちゃ高いことに賭けるしかない。


「ルナ銀貨二枚なら……そうですねぇ、パン十個分くらい……?」


「パン十個ぉ!?」

 

 聞きました? 奥さん。パン十個分ですって。

 仮に、日本円換算でパン一個が二百円だとしよう。

 すると、俺の手に握られているのは二千円ということになる。


 これを多いと取るか少ないと取るかは人それぞれだが、一つだけ言えるのは――駅前のファーストフード店で一日働けば、少なくともこの四倍は稼げるだろうということだ。


「……ダメじゃん。全然ダメじゃん。探偵助手、お先真っ暗じゃん」


「ちょっと、そんな“ドゥーディ踏んだ時みたいな顔”しないでくださいよ……完全歩合制って言ったじゃないですか」


「いや、どんな顔だよ。大体、これでどうやって生活しろと?」


 俺の呆れた声に、カインは肩をすくめてみせた。


「僕は依頼料はあまりいただかない主義なので……。そ・れ・に、探偵はお金じゃありませんよ。謎を解く喜び! 事件解決の達成感! お金に勝るものがあるじゃないですか」


「……やりがい搾取ダメ、絶対」


 じとりと向けた視線などどこ吹く風。顎に手を当てたカインは、わざとらしく「ふむ……」と小さく唸ると、垂れ気味の目を弓なりに細めた。


「そんなに不満なら……“副業”でもどうです? 十倍は固いですよ~?」

 

 その笑みに、まるで悪魔に契約でも持ち掛けられているような気分になる。

 さっきまで清廉な探偵論を語っていた人間と同一人物とは思えない。


 時々忘れそうになるが、そういえばこいつは賭場でイカサマをして黒服に追い回されるようなやつだった。

 俺の脳裏に、あの日の最悪な出会いがよぎる。


「やだよそんなリスキーな副業。俺は堅実主義なの!」


「ふふ、冗談ですよ。半分は」


 カインの言葉に、俺は眉を(ひそ)める。


「なんだよ、“半分は”って」


「実は……ハジメさんにぴったりの儲け話があるんです」


「その切り出し方、絶対碌な話じゃないんだよなぁ」


 指で円を作って、ウインクを寄越したカインの胡散臭さたるや。

 上品な見た目とのギャップが、なおのことそれを際立たせている。

 高級ワインの中身だけを安物に入れ替えたみたいな違和感だった。


 訝しむ俺をよそに、カインは身を乗り出して告げた。


「――遺跡、探索しませんか?」



***



 あれよあれよと言いくるめられた俺は、カインと共に遺跡探索に向かっている――はずだった。

 街の外れの森を抜けた先にあるという「レーギャルンの遺跡」。そう遠くもないし、さくっとお宝でも発掘して帰ればいい。もう死んでいるのだから、命の危険はないだろう……なんて、高を括っていたのだが――


「なんでこうなるんだよぉぉぉ!!」


 俺は、走っていた。いや、正確には追われていた。

 振り返る余裕はないが、耳を(つんざ)く不快な音に、“それ”がすぐ後ろに迫っていることはわかる。


「ぜ、絶対止まっちゃダメですからね! 死にますからね!? 死ぬまで走り続けてくださいよ!?」


「DIE OR DIEじゃねえか! 言われなくても止まんねえよ!」


 普段は飄々とした笑顔を浮かべているカインも、今は顔面蒼白で全力疾走している。


 一体なぜ、死んだはずの俺たちが、“死”の恐怖に怯えながらデスマラソンをしているのか。


 遡ること数十分前――


 街を抜けた俺とカインは、外れに広がる森へと足を踏み入れていた。

 鬱蒼と茂る木々が赤い空を覆い隠し、昼間だというのに辺りは薄暗い。


 木の葉がかさりと揺れるたび、何かに見られているような感覚に襲われる。

 視界の端に奇妙な影が動いた気がして、思わず振り返ってしまうほどには、不気味だった。

 街の人間がこの森を「魔女の森」と呼び、近づこうとしないのも頷ける。


 気づけば口数も減っていき、二人分の足音だけが響いていた。

 別に怖いとかそういうんじゃないが、黙って歩いているのもなんだと、俺は口を開く。


「そういやさ、ずっと気になってたんだけど……カインって地獄(ここ)に来てからどれくらいなんだ?」


「僕ですか? うーん……少なくとも百年くらいはここで過ごしてますかね」


「……百?」


 予想外の回答に、俺は思わず立ち止まりそうになった。


「え、桁間違えてない……? 百歳超えてるようには見えないんだけど」


「そりゃそうですよ。地獄に堕ちた時点で、年は取りませんから」


 ――なるほど。それなら二十代前半にしか見えないこいつが、やけに達観しているのにも納得がいく。


「僕たちの身体は魂を核に形成された、いわば擬似肉体ですからね。見た目はずっとこのままです」


「……疑似肉体?」


「ええ。といっても、機能的には生きていた頃と大きく変わりませんよ? 腹も減るし、怪我をすれば血も出る。多少は頑丈になってるみたいですけどね」


 疑似とはいえ、肉体は肉体ってことか。

 死してなお、人間としてのしがらみから解放されないのは、地獄だからなのだろうか。


「……ただし、不死ではありませんのでご注意を」


 そう付け足したカインの声は、先ほどよりも真剣さを帯びていた。


「は? どういうことだ? もう死んでるのに、死にようがないだろ」


「まだ残ってるじゃないですか、魂が。土台になっている核が砕かれるようなことがあれば――魂ごと消滅して、本当に“おしまい”です」


「魂ごと消滅って……それ、転生とかも出来なくなっちまうってこと、だよな? 生きてた頃よりハードモードじゃねえか」


 リトライもニューゲームも出来ない、完全なゲームオーバー。

 ハードウェア(肉体)がぶっ壊れても、ソフトウェア(魂)が残っていれば新しいハードでまたプレイできるというものだが……その逆なら、もうそのゲームでは遊べないと。

 つまりは、モルティナが言っていた命環(めいかん)とやらから、外れてしまうわけだ。

 

 俺なりの解釈を脳内でこねくり回していると、ふと俺たちの足音以外にも何かが聞こえることに気づいた。

 どこか不快感を覚えさせる、独特のこの音――虫の羽音だろうか。


「なぁ、カイン。なんか聞こえ――」


「いえ、聞こえません。何も。早く行きましょう」


 俺が言い終わる前にカインは早口でそう言って、歩調を速める。

 違和感を感じて隣に視線を向けると、その横顔には血色がない。


「大丈夫か? なんか顔色悪いぞ」


「……全然平気です。ほら、遺跡はすぐそこですから! 余計なことは気にせず前進、前進ですよ!」


 不自然に明るい調子。まるで“何か”を聞かないようにしているような、そんな態度だった。

 もしかしてこいつ――

 

 一つの仮説に辿り着こうとしたその時、低く唸るような“あの音”が今度ははっきりと森を震わせた。

 虫の羽音にしては随分と大きいような……。


 次の瞬間、赤黒い影が木々の隙間から姿を現した。

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