第12節 『信じる者は、すくわれる』
――彼女が嘘をついていたとしたら……?
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
カインの推測はあくまで“可能性”でしかないと頭ではわかっている。
だけど思い返せば……引っかかるところが、まったくなかったわけじゃない。
審判の直前、扉の前で俺を送り出したときのモルティナの表情や態度には、言葉では言い表せない違和感のようなものがあった。
そしてなにより、俺の命環の書が白紙だったとき。本来なら、彼女が一番驚いてもおかしくないはずだった。
書庫で一緒に中身を確認したし、そもそもあれは彼女が記録したものなのだから。
それなのに、モルティナは一瞬たりとも動揺の色を見せなかった。
まるで……最初からそうなることを知っていたかのように。
でも、彼女は最後に、落ちていく俺に言ったんだ。
――君の進む道に、幸あらんことを。
あの言葉に、嘘は感じなかった。確かに祈るようなものだった。
「……モルティナの嘘は――あいつは、俺を騙したっていうより……何かを“隠してた”だけなんじゃないかって、そんな気がするんだ」
それは、自分でも驚くくらい自然に出た言葉だった。
「別に、根拠があるわけじゃないけど……あの書庫で過ごした時間を、あいつの不器用な優しさを、俺はただ……信じたい」
カインの瞳がわずかに揺れる。
けれども、それはほんの一瞬で、すぐに微笑みの中に消えた。
「……信じたい、か。ふふ……まるで物語の主人公みたいな台詞ですね」
茶化すような口調の奥に、何か柔らかい響きが混じる。
「でも――なんだか不思議と、君らしい気がします」
そう言って、細められた目はどこか遠くを見ているような気がした。
カインは小さく息を吐いて、「それに……」と続ける。
「信じるって、案外難しいことなんですよ。疑うより、ずっと……。その勇気の先にだけ、見える真実もあるのかもしれませんね」
その言葉に、背中を押されたような気がした。胸の奥がぐっと温かくなる。
――まだ、答えなんか出せない。けど、モルティナが何を考えていたのか、知りたいと思った。
それが、俺なりの“信じる”ってことなのかもしれない。
カインはゆっくりと視線を上げると、今度は少し真剣な声音で言葉を重ねた。
「彼女が“何を隠していたのか”、それを解き明かすことが、きっとこの謎の核心に近づく鍵になるはずです」
カインの双眸が、真っ直ぐに俺を射抜く。
その瞳に映る色が、ふと変わった気がした。
澄んだ空色が、ほんの一瞬だけ紫に揺らめく。
それは、光でも、影でもない。
何か――彼自身の奥底に潜んでいるものが、顔を覗かせたような……
「ふふ……ふふふっ……」
俯いたカインの肩が震え、低く笑い始めた。
それは、込み上げてくるものを抑えきれない、というように。
「カ、カイン……?」
思わず身構えながら名前を呼ぶと、カインが勢いよく顔を上げた。
「これは……最ッ高に面白くなってきましたね!」
その表情は少年のような好奇心を湛え、火をつけられたように生き生きとしている。
紅潮した頬が、彼の興奮を物語っていた。
満面の笑みで立ち上がったカインは、歩き回りながらどこか芝居がかった調子で大演説を続ける。
「僕は……この謎をどうしても解きたい! いや、解かなければならない!」
その様子はまるで、何かに取り憑かれたようだった。
先ほどまでの穏やかさや冷静さはなく、人が変わってしまったのではないかとすら思う。
「え……こわ……」
カインの豹変ぶりに素直に慄きつつ、少し安堵した。
意味深な話の後にあんな笑い方をされたら、誰だって“味方だと思っていたやつが敵だった”というアレだと思うだろうが。
「……僕は、この世界のすべてを、真理を知りたいんです。そのために、僕はここに居る。探偵にとって、謎を解くこと以上の快楽はありませんから」
そう言ったカインの声は少しだけ落ち着きを取り戻していたが、その目だけは爛爛と輝いていた。
こいつは……推理オタク、とかいうレベルじゃない。もはや変態だ。推理ジャンキーだ。
俺の頭には“残念なイケメン”というワードが浮かぶ。
「さて……と、これはもう不要ですね」
カインは仕切り直すようにそう言って、テーブルの上の紙を手に取った。
パチン、と指を鳴らすと、淡い発光とともに紙が端から静かに燃えていく。
「……え、いいのか? それ」
「ええ。これに関しては内容が内容なので……下手したらこの世界の根幹に関わりかねませんからね。“ここ”に入っていれば十分です」
『死ぬまでに一度は言いたいセリフランキング』に入っていそうなセリフをさらっと言ってのけながら、カインはこめかみのあたりを指で軽く叩いた。
こいつならきっと本当に全部記憶しているんだろう。
俺が感心していると、カインはふと困ったような笑みを浮かべる。
「それに……サンクチュアリの情報を喉から手が出るくらいに欲しがっている方たちは、天国にも地獄にも山ほどいますからね」
そう小さく呟いて、カインが再びソファに腰を下ろした。
「と、いうわけで……今日からよろしくお願いしますね、ハジメさん」
「え……よろしくって、なにを」
「……話聞いてました?」
カインの目がじとり、と細められる。
「聞いてたよ!? 聞いてたけど……」
「はぁ、ご自身の立場がわかっていないみたいですねぇ……いいですか? ハジメさんはこの謎を解くためのキーパーソン……いわば重要参考人です! この件が解決するまでは、ここに居ていただかないと!」
「はぁ!? いや、勝手に決めるなよ! それってここで生活しろってことだよな? 話が飛躍し過ぎだ」
「ふむ……別に、無理にとは言いませんが。行く当てが決まっているのであれば構いませんよ? ……行く当てがあるのなら、ね」
痛いところを突かれて、思わず「ぐぬぬ……」と唸る。
「あぁ、それと……脅すわけではありませんが、ハジメさんがサンクチュアリの記憶を保持している、なんて誰かの耳に入ったら――あぁっ、これ以上は僕の口からはとても……!」
「人はそれを脅しと呼ぶんだが」
「ふふ……それに、ハジメさんは“ノーヴァ”ですし? 地獄のことを熟知している僕がいた方が何かと便利だと思うんですけどねぇ」
なんだか癪に障る言い方だが、それは確かに一理ある。
それからカインは悪戯っぽく笑って続けた。
「さらに、今ならなんと三食付き、お風呂も寝床も提供します! いかがです? なかなか優良物件でしょう」
「えぇ~、でもお高いんでしょ~?」
「今ならなんと……“重要参考人”価格で無料です! 家賃・食費・その他諸々は一切かかりません!」
「わぁーそれは魅力的……って、待て待て、なんか上手いこと誘導されてる気がするんだけど!? いくらお前が推理ジャンキーだとしても、解決のためにそこまでするか? なんか裏があるんじゃ……」
危ない。
カインの口ぶりが、深夜に流れるテレビショッピングを彷彿とさせるものだから、思わずのってしまった。
「やだなぁ。僕はただ、迷える子羊を救いたい……そんな一心なんですよ?」
カインのわざとらしい祈りのポーズからは、純度百パーセントの胡散臭さが漂っている。
まぁ、今のところ致命的なデメリットは見つからない……というか、悔しいことにメリットしかない。
実際行く当てもないし、無一文だし、おまけに地獄のみならずこの世界すら初めてなわけで。
全身に初心者マークがプリントされた服でも着ているような俺にとっては、この上なく美味しい話だ。
言うなれば、地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸である。
「……例の謎が解決するまでだからな」
これは生存戦略なのだ。死んでるけど。
「ふふ、そうこなくっちゃ! よかったぁ、ちょうど雑用係が欲しかったんですよね~!」
「……お前、そっちが本心だろ!? この悪魔め!」
「おや、天使の間違いでは? それにタダほど怖いものはありませんからねぇ。 地獄で生きていくなら基本中の基本ですよ」
そう言って、カインがぱちっと右目を閉じた。
「お前のような天使がいてたまるか! ……ったく、いちいち腹立つなお前は……」
別に本気で腹が立ったわけじゃないが、素直に肯定するのも癪で、わざと眉間に皺を作った。
だが――半ば強引に居候することを決められたとはいえ、一応住まわせてもらうのだ。
俺はもっと他に言わなきゃならないことがあるだろう、とひとつ咳払いをする。
「まぁ……じゃあ、その……よろしくな」
気恥ずかしさに少し口ごもって、出た言葉はそれだけだったが、カインは満足そうに目を細めた。
「ええ。それでは改めて――地獄へようこそ! ハジメさん」
片手を差し出しながらそう言ったカインの背中越しに、窓から茜が差し込む。
かくして、俺の地獄生活は幕を開けた。
少し変わった探偵と共に――




