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第1章-第10節 『不可侵の領域』

「……ちょっと待てよ、じゃあやっぱり異世界転生だったってことか……?」


 一度は押し込めたはずの“可能性”が、確たる証拠を前に再び浮上してきた。

 小さくこぼれた俺の言葉を、カインは拾い上げる。


「異世界転生……?」

 

「ほら、なんかラノベとかでよくあるだろ、異世界転生とか異世界転移とか」

 

「その、らのべ? とかいうのはよくわかりませんけど……ハジメさんがいた世界と、この世界は別物かもしれないってことですよね?」


 俺が頷くと、カインは口元に手を当てて、考えるような仕草をした。


「うーん……でも、もしそうだとしたら一つ疑問が生まれませんか?」


「疑問……?」


「……ハジメさん、さっき外のプレート読めてたんですよね? あの時、僕はまだ探偵だと明かしていなかったはずですから――」


 その言葉に、ドアの前でのやり取りを思い返す。

 確かにカインの言う通り、俺はドアに付けられたプレートを読んで、ここが探偵事務所でこいつが探偵であることを理解したはずだ。


「そうだけど……それがどうしたんだよ」


「初歩的なことですよ、ハジメさん」


 某英国の名探偵を彷彿とさせる口調だった。けれど、決してふざけて言っているのではないということを、その声音が物語っている。


「基本的に、国が違えば言葉も違いますよね? ……では、そもそも世界自体が違うというのなら、当然言語や文字も異なると考えるのが自然じゃありませんか? どうしてハジメさんは文字が読めたんでしょう」


 カインの指摘は、紛れもなく核心をついていて、俺は思わず「あっ」と声を漏らす。


「――何故……ハジメさんは今、僕と会話ができているんでしょうか」


 瞬間、地獄(ここ)に来てからずっと胸の奥底で漂っていた小さな違和感が、はっきりと輪郭を持ち始めた。


 看板の文字が読めた、かけられた言葉が理解できた……そして現に、こうしてカインと話をしている。

 それは本来、“おかしい”ことなのだ。


 脳内で今日一日の記憶が逆再生される。


 記憶の中の看板の文字が、ぐにゃりと歪んだ。

 今まで聞き取れていた言葉が、知らない言語のように聞こえる。

 

 事実を認識した途端に、自然だったものが不自然になっていった。

 

「――さん? ハジメさん……! あの、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ。大丈夫……ちょっと混乱しただけだ」


「すみません、僕の言い方も悪かったですね……ハジメさんのペースで考えましょう」


 カインは眉尻を下げて困ったように微笑むと、窓の外に目を向けながら紅茶に口を付けた。

 その横顔は何か考え事をしているようで、俺も静かにカップへ手を伸ばす。紅茶はすっかり冷めてしまっていた。

 

 なんとなく同じように窓の外に視線をやると、ちょうど日が傾き始めているところだった。

 地獄の空は、夜も赤いままなのだろうか――そんな取り留めのないことを考える。

 

 少しの間、会話のない時間が流れた。


 そんな沈黙の中で、カインがぽつりと声を漏らす。

 

「あの……さっきは、僕の知識の範囲だけで考えてしまったんですが……」


 それは何かに思い至った、というような言い方だった。


「ハジメさんの言う“異世界転生”というものには、自動的にその世界の言語が理解できるようになる……みたいなケースもあるんでしょうか?」


 カインは少しだけ言葉を選ぶような間を置き、続けた。


「……脳の仕組みが切り替わるとか、何か特別な“加護”のようなものがあるとか……」


「あー、あるっちゃあるけど……」


 確かにカインの仮説の通り、フィクションでよくある設定だと、そういうの――いわゆる“最初から言葉が通じる系チート”みたいなものは存在する。

 なぜか言葉が通じるのがデフォルト、というやつだ。

 

 しかし、それはあくまで“ご都合主義のフィクション”の話であり、現実がどうなのかはわからない。

 死後の世界を誰も知らないのと同じで、実際に異世界転生したやつの話は聞いたことがないからだ。

 

 ……異世界に転生や転移をした人間が現実世界に戻ってきていないだけかもしれないが。

 もしいるのなら「異世界から帰ってきたけど質問ある?」みたいなスレが立つに決まっている。


 でも、あの時のモルティナの口ぶりからすると、異世界転生自体は本当にあるのかもしれない。

 あれが冗談じゃなければの話だけど。


 俺は頭の中で、書庫での彼女の言葉を思い起こす。

 

 ――「あるにはある。ただね――昨今の異世界転生ブームで、枠が空いてないんだよ」


 “異世界転生ブームで、枠が空いてない” 確かに彼女はそう言っていた。


 自分の置かれた状況を鑑みるに、九割九分異世界に来てしまっていると思うのだが、その言葉だけが妙に引っ掛かっていた。


「んんー……いや、あのさ……俺もちょっと気になってることがあって」


「ぜひ聞かせてください……! なにか手掛かりになるかも」


 俺の言葉に、弾かれたように顔を上げるカイン。

 その声と目は純粋な好奇心と、“探偵の熱”を帯びていた。

 

「その……ここに来る前に、異世界転生の枠は空いてないって言われたんだよ」

 

 自分で“異世界転生”とか言っといてあれなんだけど、と頬を掻く。

 しかし、そんな俺の態度とは裏腹にカインは眉をひそめた。

 

「……それ、誰が言ったんですか?」


 今日一番の真面目な顔だった。

 鋭い視線を真っすぐに向けられて、思わずたじろぐ。


「あ、ああ……モルティナっていう人なんだけど……命星の書庫ってとこで会って……“魂の観測者”だって言ってた」


「魂の観測者に、書庫……ですか」


 カインが口元に手を当てる。

 さっきも同じ仕草をしていたが、これは彼が考え事をするときの癖だろうか。

 

 ややあって、カインは慎重に話し始めた。


「……まず、その“命星の書庫”が、おそらく僕たちが“サンクチュアリ”と呼んでいる場所だろうと仮定して話しますが――」

 

「ん? ちょっと待て、“おそらく”ってどういうことだ? 死んだ人間はみんなあそこを通るはずだろ?」


「ええ。おっしゃる通り、人間に限らず全ての魂はそこを通ります。それでも断定できないのは……この世界の“誰も”サンクチュアリを知らないからです」

 

「……まぁ、知らないというよりは覚えていないと言った方が正しいかもしれませんが」とカインは付け足す。

 

 なんだか核心を避けたような物言いだ。

 誰もが通る場所なのに誰一人としてそこを知らない――まるで謎解き問題でも出されているようで、自然と眉間に皺が寄る。

 そしてそれは、あまりにも矛盾し過ぎていて、どこか薄気味悪ささえ覚えた。

 

 カインは少し悩むように小さく息を吐き出すと、話を続けた。

 

「――サンクチュアリは“誰でも”行ける場所であると同時に、“不可侵の領域”なんです。その性質ゆえに、サンクチュアリで見たもの、聞いたもの……すべての記憶は、あの場所を出ると同時に消えるようになっている……。それは人間も、天使も悪魔も……神までもが等しく、です」


 誰の記憶にも残らない“聖域”――なのに俺は、あの時の会話も、モルティナの声も、はっきりと覚えてる。


「つまり――そもそも俺がモルティナのことを……書庫でのことを覚えてるってのがイレギュラーなわけか」


「そういうことです」


 カインは「ふむ……」と小さく唸ると、床に落ちていた紙切れを拾い上げる。


 そして、ベストの内ポケットからペンを取り出すと、テーブルに身を乗り出し、背中を丸めて何やら書き始めた。

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