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寂しさに夜空を添えて

作者: 春陽ウィル

 電車を降りた瞬間に、分かった。

 あ、やばい。

 来た。

 急いで辺りを見渡し、空いていたベンチまでよろよろと近づく。

 そのときにはすでにやつは私の心臓まで忍び寄っていて、計り知れない恐怖と、過呼吸という形で現れた。

 めまいがする。

 息ができない。

 苦しい。

 何とか落ち着こうと水筒のお茶を喉に流し込んで、ゆっくりとした呼吸を心掛けようとする。

 でも激しい鼓動はおさまらない。

 どうしよう…。

 誰かを呼ばなければここから出られない。

 でも、誰を?

 身近な人、助けてくれそうな人、信頼できる人、あとは…。

 ラインを開く。

 見ると前回の会話は1ヶ月前だった。

 出てくれるだろうか。

 すがる思いでトークルームの電話マークを押す。

 3コールもないうちに声がした。

「どうした?」

 にゃあと鳴く猫の声が奥から聞こえて、家にいるのだと分かった。

「……怖い」

「怖い?」

 単純に少し驚いているようだった。

「どこにいるの?」

「駅のホーム」

「……誰かに何か、された?」

「それは、ない……ただ、息が、うまくできなくて」

「息?」

「呼吸が苦しくて、心臓がばくばくいってて、すごく、すごく、怖い」

 返事はすぐには来なかった。

 どこかに移動する足音がした。

 ピーッと長めの電子音が聞こえ、声が戻ってくる。

「今から行く。駅ってこの間送ったところであってる?」

「あ、うん」

「何番乗り場?」

「2」

「了解。すぐ着くからそこで待ってて。俺が来るまでに何かあったら迷わず電話すること。……さっき暖房消したけど、やっぱつけといた方がいいな。とりあえず今から行くから」

 電話は切れていた。

 話している間も、心臓は暴れ回っていた。

 座っているベンチの周りに人はいない。

 閑散としたホームも、静かに更けていく夜の闇も、全てが恐怖を駆り立てているように感じられる。怖い。

 横から吹く冷たい風に耐えながら肩で息をしていると、階段を上ってくる音がした。

 私に気がついた彼は足早にこちらに駆け寄ってくる。

 そして来ていた紺色のロングコートを素早く脱いで私の肩にかけた。

「遅くなってごめん。苦しかったな」

 私の横に座り、ゆっくりと私の背中をさする。まるで怖いものなどない、とでも言うように。

 もう片方の手が、震えている私の手をしっかり握った。

「大丈夫。すぐに元に戻るよ。ゆっくりゆっくり、息を吸って、吐いて」

 言われたとおりに呼吸をする。次第に手の温もりが戻ってきたように感じた。

「めまいが、おさまった」

「ああ。何も考えず、今はとにかく呼吸だけに意識を向けて」

 ゆっくりとした呼吸を続けているうちに、だんだん心臓も落ち着いてきて、恐怖も遠くへ引いたようだった。

 コートのおかげで寒さもおさまり、ようやく完全に過呼吸が消えた。

「ありがとう。もう大丈夫」

 そう言うと、彼は背中をさするのをやめて口元を緩めた。

「よかった。もう遅いから、家には明日帰りな。昼くらいにまた送ってく。今日は泊まっていけよ」

「いいの?」

 彼は優しく笑った。

「俺の家は3割くらい波瑠のものだからな」

 なんで3割、と聞く前に、彼は立ち上がった。

「今夜は冬の大三角が綺麗に出てるよ」

「冬の大三角?」

「ああ。ベテルギウス、プロキオン、シリウス」

 彼が私の背中を支えるようにして歩き出す。

「ねえ、蘭」

「ん?」

 彼、もとい、蘭がこちらを向いた。

「…なんで、いや、えっと、なんか、慣れてるの?」

「何の話?」

 本当によく分からないという声が返ってくる。

「背中さすってくれたり、呼吸を上手くできるように導いてくれたり、その仕草がなんか、初めてじゃない感じがして」

「ああ、それね」

 蘭は笑った。

「俺が高校生だったとき、兄貴が不安障害になったんだ」

「え、お兄さんいたの?」

「いるけど?」

「知らなかった」

「まあ、言ってなかったからな。そのときもよくあんな風に背中さすったりしてたんだよ。波瑠が元気になったみたいで何よりだ」

「……ありがとう」

 蘭は頷いて「帰ろう」と階段を降り始めた。

 彼の少し後ろを歩きながら空を見上げると、薄い大気の中で冬の大三角が光を纏っていた。


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