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8月13日―PM2:00

 家に帰って、一緒に少し遅めの昼ご飯にした。

 今日のお昼は冷やし中華。冷蔵庫から胡瓜とトマトとハムを取り出して、麵の上に乗せる。

 じいちゃんが作る料理はシンプルだけど、やっぱり美味しかった。


 食器を片づけた後は、二人でのんびりと過ごした。

 僕は縁側の隅で本を広げ、じいちゃんは疲れたのか畳の上で横になった。


 僕がその本を読み終わって顔を上げると、どうやら二、三時間が経っていたらしい。

 昼間燦燦と照っていた日差しは和らぎ、庭木の影が長く伸びていた。

 僕は縁側に腰掛けて足を投げ出し、ぼんやりと庭先を眺めた。


 昨日のように、寝て起きたら、ユキが現れないだろうか。


 そんなことを思い、僕はゆっくりと目を閉じた。

 さわさわという微かな風の音と、リンと小さく揺れる風鈴の音。

 タタタというせわしない足音が、聞こえたら――。

 そうやって、瞼の裏に、真っ白な女の子を思い浮かべた。


 静けさを破って、ジィィィィと耳障りな音がした。

 僕は思わずぱっと目を開く。

 見ると、一匹の蝉が、ジイジイバタバタと騒がしく飛び回っていた。ふらつき、地面を転げながら必死に羽をばたつかせ、文字通り断末魔のような声をあげる。

 最後の力を振り絞るように庭木の影に向かって飛んでいき、ジジッと音を立てるとすぐに静かになった。


「なんだ、蝉か」

 背後で声がしたことに驚き、僕は振り返る。

 喧しさで目が覚めたのか、じいちゃんがいつの間にか僕の後ろに立っていた。


「ねえ、じいちゃん」

 僕はじいちゃんを下から見上げ、口を開いた。


「うん?」

「七年ひとりぼっちで土の中にいて、やっと地上に出たと思ったら一週間で死ぬなんて、怖いと思わない?」


 じいちゃんは目をぱちくりさせ、「なんだ、藪から棒に」と所々抜けた歯を見せて笑った。

「蝉の話か?」

「……そう」


 僕が頷くと、じいちゃんは「ううむ」と腕を組んで唸り、「どっこいしょ」と呟いて、僕の隣に腰を下ろした。

「怖いってのは、すぐに死んじまうことが、か?」

「それもあるけど、なんていうか……やっと土から出てきて、でもすぐに死ぬのに、あれだけ力いっぱい鳴いてるのが、怖い。一生懸命生きても、どうせ一週間なのに」


 じいちゃんは、「最近の小学生は大人びてるなあ」とびっくりしたように笑い、少し考えてから言った。

「怖いってのは、ちと難しい」

「……うん」


 僕はこっくりと頷いた。

 なんたって、当の僕にもよく分からない。


 でも、可哀想だとかそういうことが言いたいんじゃなくて、

 真っ暗な土の中、焦がれるように夢見た、眩しいこの世界を、

 空を自由に飛びまわる喜びを、

 やっと手に入れた燃えるような生を、

 一週間で取りあげられてしまうことが、

 たまらなく、理不尽だと思った。


「ただ多分、蝉たちは、たとえ自分の命が一週間で尽きると分かっていたとしても、それでも、なにくそと、力いっぱい、鳴くんじゃないか」

「なにくそと?」

「なにくそと」


僕がオウム返しに言うと、じいちゃんは真面目な顔で頷いた。


「……別の人が、怖いのは、死ぬことより、一人で生きていくことだって言ってた」

「うーむ。そりゃまた、大人びた答えだな」


 じいちゃんは、参ったなというように頭をかいた。

「でも、人は……広い意味では動物も、一人では生きていけんからなあ」


 僕はまた、こっくりと頷いた。

 一人で生きていると思っていたじいちゃんは、全然、一人で生きてはいなかった。


「さてと」

 じいちゃんは、よっ、と声を上げて立ち上がった。


「そろそろ、晩ご飯の支度でもするか」

「もう、そんな時間?」

「じいちゃん、あんまり手際よくないでな。それに、花火もするだろう?」

「うん」

「よし。理玖、手伝ってくれるか?」


 僕はまた「うん」と頷き、立ち上がってじいちゃんについて行く。

 庭先では、静かになっていた蝉が、まだ生きているぞと呻くように、ジジ、と微かに鳴いた。


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