8月12日―PM3:00
濡れ髪のまま風呂場から出てきた彼女が、犬のようにブルブルと雫を飛ばす。
見かねた僕は、桃にしてやるように、タオルで髪を拭き、ドライヤーをかけていた。
日本人には珍しい、さらさらの白い髪。ひょっとすると外国の血が混じっているのかもしれない。
「そういえば、君、名前は?」
髪を乾かし終え、ドライヤーを片づけながら、僕は尋ねた。
いつまでも、君、とか言うのも正直変な感じだし、名前を知らないと色々不便だ。
けれど彼女は、「ん?」と首を傾げ、「名前ってなあに?」とでも言いそうな顔で僕をまっすぐ見つめた。
「……うーん」
流石に、これくらいの年の子どもでも、自分の名前くらい言えると思うんだけど。
「まあいいや。適当に呼んでいい?」
「うん」
「じゃあ、ユキちゃんで」
「ユキ?」
「……ごめん、嫌なら変えるよ」
イメージと呼びやすさでなんとなく思いついただけだ。センスがなかっただろうかと僕は若干顔を赤くした。
「ううん。ユキがいい」
「?……そう?」
聞き返した割に、ユキ(仮)は妙に気に入った様子で笑った。
釈然としないまま、僕はふうんと頷いた。
小腹が空いたので冷蔵庫から西瓜を出して皿に盛る。
朝、母が気を利かせて冷やしておいてくれたものだ。
タイミングが悪かったのか、じいちゃんはまだ眠っていたので声をかけずにそっと西瓜をしまう。
僕は自分のぶんの西瓜をユキと半分こして、縁側でしゃくしゃくとかじった。
いつのまにか陽は傾いて、オレンジ色の西日が家々の窓や瓦に反射して僕らを照らしていた。
西瓜を食べ終え、僕はしばらくぼーっとしていた。僕が一人たそがれていたのがつまらなかったのか、ユキが「ねえ、見て」と僕のシャツを引っ張る。
我に返ってユキが指さすほうに目を向ければ、庭の隅の鉢植えの陰で蝉が羽化していた。
既に茶色い殻から脱け出て、ゆっくりと淡い青色の羽を伸ばしている。
僕は「珍しいな」と低い声で呟き、蝉を驚かさないよう、静かにその様を見つめ、ふと思いついて口を開いた。
「知ってるか?蝉ってさ、土から出てきて、たったの一週間で死んじまうんだぜ」
「そうなの?」
「ああ。七年土の中で過ごして、羽化してからは一週間。……怖いと、思わないか」
まだ青白い蝉をじっと眺めながら、僕はユキに尋ねるでもなく呟いた。
たったの、一週間だ。
土から出て、本能のままに番い、子をなし、死んでいく。
生まれたばかりの赤子のようなこの蝉も、僕らがここを去る頃には、ぱたりと動かなくなって、土に還る。
それが自然の摂理だと分かってはいる。
それでも。
時々、蝉の鳴き声が、まるで泣き叫んでいるように聞こえることがある。
「怖いけど、怖くないよ」
完全に矛盾しているユキの答えに、「どっちだよ」と僕は笑った。
「えっとね、死ぬのは、こわくないよ」
「え?」
「こわいのは、ひとりぼっちで生きていくこと、じゃないかなあ」
僕は思わず、蝉から目を離してユキをまじまじと見つめた。
さっきまで僕の真似をして赤い果肉がなくなるまで西瓜をかじっていた幼い少女が、今は随分と大人びて見えた。