8月11日―PM2:00
父が運転席から「着いたぞ、降りろ」と声をかけてくる。
助手席でうとうとしていた僕はごしごしと目をこすり、傍の木にぶつけないよう注意深くドアを押し開ける。
ドアを開けた瞬間、流れ込んでくるのは、むわっとした熱気、そして、耳をつんざくような蝉の大合唱だ。
一体何匹いるんだよとつっこみたくなる。
ここまでくると一匹一匹の鳴き声なんか分かりゃしない。ジイジイギャアギャア、とりあえずうるさい。僕はドアを閉めると早々に耳をふさいだ。
母が妹の桃をチャイルドシートから降ろしている。それを待ちながら、僕はぼんやりと周りを見渡す。
そこそこ広い庭には、蝉が寄り付くくらい成長した木が何本も植えてあって、幹に張り付いた蝉たちの一匹と、目が合ったような気がした。
そして、目の前にでん、と立つでかい家。いかにも田舎、といった具合に純日本風家屋。
築何十年とかなり古いはずだが、手入れは行き届いていて、立派な瓦屋根が、太陽の光を受け、てかてかと黒光りしている。
ここは、母方の祖父の家だ。
二、三年前にも来ているはずだが、都会育ちの僕はやっぱり驚いてしまう。庭も家もでかいし、記憶によればトイレは別棟と言っていいほど遠かった。
そういえば、その時の僕は、日が暮れてからトイレに行くのをひどく怖がった。田舎の夜は本当に真っ暗で、無理もないと祖父は笑い、一緒に行ってくれたっけ。なぜか当然のように祖父の可愛がっている猫までついてきて、二人と一匹でとことこと長い廊下を歩いたのを覚えている。
これまたいかにも田舎の家といったところだが、1階はずいぶん開放的な造りで、ふわりと風が吹き上げると縁側にぶら下がっている風鈴がちりんちりんと涼しげな音をたてた。
そしてその縁側から、祖父が顔を出す。僕らがもたくさしている間に気づいてしまったようだ。
慌てて挨拶をする父と、よく来た、上がりなさいと促す祖父。
僕は祖父にお辞儀をし、父の後についていく。
今はもう、8月も半ば。
つまりはお盆である。
僕たちを迎えた蝉の大合唱は、ジーワジーワとなり止む気配もなく、別段遮るもののない家の中でことさらに響いていた。
祖父の家に上がりこみ、大人たちの世間話が一旦尽きると、人が混まないうちに皆で墓参りに行こうという話になった。
うちの親族の墓場は、祖父の家から少し離れたところにある。
小さな山の一部を使っているようで、途中からは車を降りて、少し足場の悪い小道を登らなければならない。
桃は、最初はハイキング気分ではしゃいでいたが、途中で飽きたらしく、ちゃっかり父に肩車をしてもらっていた。
桃を肩にのせた父と母が前を歩き、僕、祖父が後からついて行く。祖父は年の割にはかくしゃくとしていたが、山道は流石に足腰にくるのか、少しきつそうで、僕はできるだけゆっくりと後ろを気にしながら歩いていた。
墓参り自体はすんなりと終わったが、帰り際、突然のひどい雨に遭った。
僕らは、滑りやすくなった山道を転げそうになりながら駆け下り、車の中へ避難する。
昼間あれだけ晴れていたのに、と文句を言いながら、父が家まで車を走らせた。
車を降りる時、祖父は少し顔をしかめ、しばらく休ませてくれと言って動かなかった。
気を遣わせまいとしてか、祖父は「大丈夫」と言って笑ったが、あまり大丈夫そうには見えなかった。
「無理、しないで」
なんとか車を降りようとする祖父に、僕は肩を貸そうと腕を伸ばす。
「ごめんなぁ。雨、酷くて、濡れてしまうな」
「もう既にびしょ濡れなんだから、いくら濡れたって変わんないよ」
「……理玖、お前、いい子に育ったな」
目を細めて僕の頭を撫でる祖父に、「大袈裟な」と返しながら、祖父が降りるのを手伝う。
僕の身長が足りなくて、役に立ったのかは微妙だったけれど、祖父は嬉しそうに笑い、「助かった」と言ってまた頭を撫でた。