5、現代の戦争
東京裁判についての道下の熱弁が班員の心を動かしていた時、司会の鈴木君が
「太平洋戦争は我々にとっては歴史上の戦争で、体験していないし昔の出来事で、歴史の一ページとして語っているよね。だから東条英機が絞首刑になったと言ってもさほどの驚きはなく、そんなものなのかと感じてしまう。だけど今の戦争に当てはめたらどうなんだろうね。」と言うと道下は現代に当てはめて話し始めた。
「たとえば、2023年の10月から始まったイスラエルとガザ地区のハマスとの戦いでは、ハマスの兵士がイスラエルの民間人数百人以上を誘拐したことから始まった。これは明らかなルール違反で、しかも戦争犯罪ではなく普通の法令違反のはずです。しかし逮捕しようにも逮捕できていません。しかしイスラエルが勝ってハマスの構成員が逮捕されれば、法律に基づいて裁かれるでしょう。しかしイスラエルは報復措置としてガザ地区の民間人に向けて砲撃を繰り返し、多くの民間人犠牲者を出しました。これは戦争のルール、ジュネーブ協定に違反しているとして世界中からイスラエルのネタニヤフ首相は人道上の犯罪行為として批判され、イスラエル国民からも戦争を拡大させたとして非難されました。同盟国として協力的だったアメリカも民間人の犠牲者が多かったことや、NGO団体の職員が犠牲になったとしてイスラエルを非難したこともありました。これってどうなんでしょうか。」と疑問を投げかけた。東京の佐々木さんは
「ハマスの犯罪行為に対しての報復行為だったんですが、反撃しなければ誘拐されたイスラエル人の家族はネタニヤフを許さなかっただろうし、あの時のイスラエル国民の怒りは激しいものがあった。」と発言してくれた。そこに道下は
「でも少しひいて考えてみると世界最大の民間人に対する攻撃である原子爆弾投下を行ったアメリカがイスラエルのこの攻撃を非難できるんでしょうか。」と言ったところで近くで聞いていた村瀬教授が話に割り込んできた。
「先週の討論でアメリカの原爆投下についてこの班は話し合っていたね。原爆を容認してしまったらすべての民間人無差別攻撃は大したことないってなってしまいそうだね。でも原爆投下も歴史の中の一ページになってしまったのかもしれないよ。長崎を最後に原爆は投下されていないからね。」と言った。道下は
「もう、どの国も原爆のボタンは押さないんですかね。」と聞いてみた。すると
「わからないよ。でもイスラエルを批判したアメリカは、世界最大の核保有国だけど核爆弾は使用しない決意を持ってるように思いたいけどね。」と言っている。道下も他のメンバーも本当にそうなのか疑問に思いながらその日の討論は終わった。
授業を終えて家に戻った道下は次回の授業に向けて再び調査に入った。次回は現在も激しい戦闘が続くウクライナ戦争についてだった。ウクライナ戦争が始まったのは道下たちがまだ高校生の頃で、2022年2月24日、突然ロシア軍がウクライナの東部に軍事侵攻したことから始まった。道下は高校生の頃には何が原因かよくわからなかったが、パソコンで検索してみるといろいろなレポートが掲載されていて、少しづつわかってきた。
ロシアからの世界観は1990年ごろの東西冷戦の終結、ベルリンの壁崩壊の頃から西側NATO陣営が巨大化して、ロシアとの国境付近の国がNATO陣営に入ってしまうとロシアはNATOのミサイルの脅威にさらされる。その怖れを体現化したのがウクライナやフィンランドバルト3国のNATO加盟であった。そのため、ロシアは西側陣営との間の緩衝地帯としてどうしてもウクライナ東部のいくつかの地域を手に入れる必要があったという事らしい。しかし国内的には戦争を仕掛けたとすると国民の理解を得られないので、軍事行動として極力ロシア民間人の戦争参加を避けて、民間の軍事会社や刑務所にいた囚人に刑期を短縮する代わりに軍隊に入る事をさせたり、様々な方法で国民世論を刺激しないように軍事行動を続けてきた。しかしその戦争行動には戦争犯罪と思われる行動が多く、民間人保量を虐殺したり、民間施設を爆撃したりする行動が報道されている。ただ逆にウクライナによる攻撃でロシアの民間施設が爆破され、多くの市民に死傷者が出たという報道も流れている。戦争の報道は太平洋戦争のころもそうだが、自分たちに都合のいい報道しか流さないという一面があるので、一概には信用できない。戦争は開戦以来ウクライナは西側諸国からの支援で長期化した。ここまで調べて道下は授業に臨むことにした。
翌週の木曜日、再び村瀬教授の討論の授業が開かれた。本日の司会は道下だった。
「では討論を始めます。今日はウクライナ戦争についてです。ウクライナ戦争も戦争のルールを違反するようなことがたくさん起きているようですが、どうでしょうか。」と切り出すと、長崎の森本君が
「今のところ戦闘はウクライナの領土内で行われているので、犯罪行為はロシア側に多いように思います。戦争開始直後には侵攻してきたロシア兵が、ウクライナの村人を全員虐殺して死体を埋めたというようなことが起きました。ウクライナは戦争犯罪の証拠を記録し、戦争終結後に裁判にかけると意気込んでいましたが、まだ実現していません。」と述べた。すると広島の鈴木さんが
「西側の支援でウクライナが攻勢を強めて、ロシア国内まで侵攻したら逆のことが起きるのかしら。」と問いかけるとキム君が訝しげながら
「どうだろうね。ウクライナの人たちもロシア軍からひどい目にあっているから、その報復は激しいものになるだろうね。よく報復行動では平和は維持できないとか言うけど、親兄弟子供を殺された人たちの憎しみは、計り知れないから止めようがないかもしれないね。」と発言した。すると
「広島の人たちは原爆でやられたけど、アメリカに報復はしていないし、長崎の人だってしていない。日本は戦後の日本国憲法第9条で戦争を放棄したから、報復行為をすることは良いことではないと知っているんだと思うけど。」と広島の鈴木さんが発言すると道下は
「その気持ちもよくわかるんだけど、最近、日本人が平和ボケだって言われることも聞いたことあるでしょ。もし中国や北朝鮮がミサイルを日本に打ち込んできたり、尖閣諸島に軍隊を上陸させてきたりしたら、アメリカ軍は日本を守ってくれると思いますか。アメリカは日米安保条約で日本を守るとなっているけど、トランプ大統領は『アメリカファースト』と言ってアメリカの不利益になる事には消極的な姿勢を示したことがあったわよ。そうなると日本も自分のことは自分で守らないといけないんじゃないかな。平和ボケって言われない程度に。」と日本のことを心配した。すると森本君は
「ウクライナもロシアに比べたら小国だけど、必死に自分の国を守っているからね。アメリカもイギリスも兵器を供給してくれているけど、自ら戦争に参加はしないだろ。正面切って戦うわけにはいかないのさ。ロシアもそのことはよくわかっているから、核兵器を使うぞと脅してくるけど、もし使ったらアメリカもイギリスも世界中がロシアを許さないから、使えないんだろうね。」と戦況を解説した。
話がどんどん進んでいったが、道下が話を戻そうとした。
「ところで、戦争のルールと言うテーマなんだけど、現代の戦争において戦争のルールはどうなっているんだろう。犯罪行為が横行したら東京裁判のような戦争裁判は開かれることになるんだろうか。」と問いかけた。
「そうよね。ウクライナとロシアの場合だったら、もし仮にウクライナが勝利してロシアが無条件降伏したとしたら、ウクライナ軍や警察が犯罪行為を行ったロシア兵を検挙して裁判を開くかもしれないわね。でもそれは完全に勝敗がついた場合であって、現実的には勝敗は無視して条件をすり合わせて休戦協定を結ぶことが多そうだから、軍事裁判はないと考えるのが妥当なんじゃないかな。」と鈴木さんが語った。すると森本君が
「完全に勝敗がつく戦争と言うのはどこまで戦うことを言うんだろうね。」とつぶやいた。一同は沈黙した。完全な勝敗と言う言葉はどれくらいの人間の血が流されることを言うのか。見当もつかなかった。
「1945年ころの基準と現在の基準では、人権感覚が違うので簡単に比較は出来ないが、
戦争指導者が自国民の惨状を見て決めるんだろうね。」とキム君がつぶやいた。道下は
「中国にはこんな言葉がある事を知ってますか。草莽と言うんだけど、民は草のように生えてくる。中国国民党の蒋介石が日本との戦いで100万人近い戦死者が出ても、中国には数千万人の人がまだ残っているし、国民は草のようにまた生まれてくると言ったらしい。現在の中国で習近平がそんな考え方をするとは限らないけど、北朝鮮ならありうる考え方だと思いませんか。」と真顔でみんなの顔を見つめながら言うと森本君は
「今でも公開処刑が行われているらしいし、国家を批判することは許されない国だからね。ただ戦前の日本は国に対する批判はご法度だったし、国家総動員法で国民全部で戦争に参加している意識だったし、何よりもほとんどの国民は本土決戦で最後まで戦う覚悟だったからね。ドイツは国土のほとんどが戦場になって、ロシア軍とアメリカ軍が東西から侵入して国土を2分してしまったしね。最後までと言うのはこういうのを言うんだろうね。」と意見を追加した。
「ウクライナへの支援が途絶えたら、ロシア軍はウクライナ全土を掌握するかもしれない。そうなると戦争犯罪人はウクライナ側の人たちになるんだろうね。完全に勝敗がつくところまで戦いを続けさせないことが国際機関の役目かも知れない。国際連合にその力はあるんだろうか。結局、アメリカが仲介するしか解決の糸口はないという事かな。そのためにもアメリカ大統領選挙は世界の進路を決定することになるのかもしれない。」道下が司会者として最後のまとめを行って授業を閉じた。
結局、戦争のルールについてはあるにはあるが有名無実化していて、大国の論理で世界は動いているという結論に達してしまった。