3、ゼミ 戦争のルール
村瀬教授の授業の6月のテーマは「戦争のルール」に決まった。5月は「地球温暖化」というテーマで話し合ってきたが、道下もようやくみんなと同じくらいに話し合いに参加できるようになってきた。7月からは夏休みが始まり、9月は前期の試験のシーズンである。試験前最後のテーマという事になった。戦争についてという事で環境問題から大きく変わった。村瀬教授の説明では環境問題も大切だが、現代は民族問題が激しく、大きな戦争に発展していて、難民の問題も解決しなくてはいけないらしい。村瀬教授の専門分野だそうだ。
アパートに戻った道下はとりあえずパソコンで「戦争のルール」と打ち込んで検索してみた。するといくつかの情報があったが、その中の一つにアクセスしてみると興味深い記述があった。
『1864年、赤十字の設立者であるアンリ・デュナンの提唱で、ジュネーブ協定が結ばれ、戦争で負傷した戦闘員の看護を軍隊に義務付け、ヨーロッパの12の国が批准してスタートしていた。それから85年、2度の世界大戦を経験し各国の外交官たちは、戦場にいる戦闘員だけでなく、捕虜の扱いに対処するための追加的な修正や条約について議論し、採択してきた。第二次世界大戦後の1949年にジュネーブに再び集まり、これまでの条約を再確認・更新し、一般市民を保護するための条項を拡大した条約を採択した。現在のジュネーブ条約と呼ばれるのは1949年に採択されてものになり、戦争の最も重要なルールを定めている。2019年時点で196の国と地域が批准している。』と書かれていた。そこで追加的な修正や条約とは具体的にどんなことなのかを調べてみた。すると別のページで
『7つの禁止事項』として
1、民間人・施設をターゲットにしない
2、投降した兵士を殺してはいけない
3、捕虜・被収容者に対する拷問又は非人道的な取扱いの禁止
4、病院や救命隊員を攻撃してはいけない
5、民間人が避難するための安全な通路を提供する
6、人道支援組織へのアクセスを提供する
7、不必要、過度な損失及び苦痛がないこと
以上のことが1949年に決められ、現在では196国が批准しているという事は、現在の民族紛争のほとんどはこの取り決めを守らなくてはいけないことになっている。
そこまで調べて道下は戦争にもルールがある事を知ったが、民間人が攻撃されて殺されたり難民になって国外に逃げ出したりしているニュースを見たことがあるので、やや違和感を覚えた。詳しくは知らないけれど、ベトナム戦争の写真を見た時に子供に銃が向けられていたのを見たことを思い出していた。世界中の国で批准されているこの条約があるのに、民間人が戦争に巻き込まれる事態は、依然として続いているのではないだろうか。
もやもやした気持ちのままネットで調査を続けていたが、もうひとつ面白いものを見つけた。イタリアの軍人であるジュリオドゥーエが1921年に発刊した『制空』という書籍が注目されたという物であった。この書物では『これからの戦争は兵士、民間人に区別はない総力戦であり、空爆で民衆にパニックを起こせば、自己保存の本能に突き動かされ、戦争の終結を要求するようになる。』という物だった。
道下は1921年にはジュネーブ条約も結ばれているし、第1次世界大戦も終結している。だから民間人や民間施設を攻撃することは禁止されているはずだと考えた。しかしこの「制空」の考え方は真逆で民間人を無差別に攻撃することで、戦争を早期に終結し、結果的には戦争の被害者を少なく抑えることが出来るとしている。道下は何が何だか分からなくなってきた。どっちの考え方が正しいんだろう。
悶々とした気持ちを抱えたまま木曜日になってしまった。道下は今日の授業でどんなことを討論すればよいか迷っていた。ジュネーブ協定が戦争のルールなんだと主張したいけど、実際には民間人は攻撃されているし、ジュリオドゥーエは『制空』の中で民間人無差別攻撃こそ戦争終結のための効果的な攻撃だと主張し、その考え方を世界の国々の指導者たちは、表向きでは賛成しないが、裏ではそう思っているのだろうと思った。いろいろ考えながら昼食を終え講義棟の3階の302教室に入った。いつものように30人ほどのメンバーが陣取っている。同じグループのみんなも教室後方のいつもの席に、ぽつぽつと集まっている。
しばらくすると村瀬教授が入ってきてグループ討議を始めるように言って、授業はスタートした。第5グループの今日の司会は広島の鈴木さんだ。村瀬教授は黙ってそれぞれのグループの話し合いを聞いて回っている。
「それでは各自で調べてきていると思うから発表してください。今日は道下さんから行きましょうか。」と指名されてしまった。道下はドキッとしたが、もじもじしながら迷っていることを話し始めた。
「実は私、調べたんだけど結論が出てないの。戦争のルールってことで調べたらジュネーブ協定が出てきたの。そのことはみんな優秀だから知っているんでしょね。民間人や民間施設は攻撃目標にはしないとか、捕虜は大切に扱わなくてはいけないとか決まっているやつだけど、実際にはこのことはお題目のように軽く扱われているのが現状です。イタリアの軍人が『制空』という論文で最も効果的な攻撃は民間人に対する無差別攻撃で、敵政府に戦意を失わせ素早く終戦に持ち込むことが出来るとしています。アメリカの湾岸戦争でもアメリカ軍が空爆した様子が映像で流れていたけど、イラクの声明ではよく『民間の病院が爆撃されて女性や子供を含む20人が死亡した。』とか報道していたでしょ。でもアメリカ軍の報道では『病院の地下に軍事施設があったから爆撃した。』と言ってました。どっちが本当か分からないし、それぞれの主張には民間人を攻撃することはいけないとわかっているんです。でも戦争って人を狂わせてしまうんでしょうか。」と悩みながら話した。すると東京の佐々木さんは相当調べてきているのか自信をもって話し始めた。
「ジュネーブ協定はアンリ・デュナンの活躍したクリミア戦争の悲惨の状況の反省から、傷ついた兵士を助ける医師や看護師を守る観点で出来たけど、戦争の兵器の進化はアンリ・デュナンの理想を守るには、スピードが速すぎたんだと思うのよ。飛行機は大型化し、1回の給油で行って帰ってこれる飛行距離が20世紀に入って飛躍的に伸び、その飛行機が積み込む爆弾は大型化して、一つの軍事施設だけを爆発させるには大きすぎる爆発力になってしまったのよ。その究極が広島、長崎の原爆と言えるのかな。」と諭すように話した。
すると次に長崎の森本君が口を開いた。
「僕は民間人に対する無差別攻撃の歴史について調べてきました。最初の民間人への空爆はどこだと思いますか。第2次世界大戦開始前の1937年、スペインの内戦に介入したナチスのドイツ空軍がバスク地方のゲルニカを空爆したんだけど、その時に軍事施設だけでなく町自体を焼き尽くす焼夷弾が使われ、美しいゲルニカの町は焦土と化した。その爆撃が本格的に民間人を攻撃目標にした空爆と言われています。その惨状を目の当たりにしたスペイン人の画家のピカソは悲しみと怒りに震え、あの名画“ゲルニカ”をかきあげたと言われているんです。」と説明してくれた。道下はゲルニカは美術の本で見たことはあったけど、そんな歴史があったことは知らなかった。
韓国のキム君は
「ゲルニカから始まる民間人無差別爆撃は日本だってやってるんだ。1937年に始まった、日中戦争で特に8月15日から9月25日まで中国各地の都市を空爆しているんだけど、1937年9月28日には国際連盟の日中紛争諮問委員会、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択されています。日本軍による「無差別攻撃」は同年4月26日のゲルニカ爆撃と並んで、世界航空戦史未曾有の大空襲だとされました。さらに翌年の1938年には国民党政府が移動した大都市重慶を空爆し、焦土と化しています。それに僕のふるさとの朝鮮半島は日本に領土化され、非常に屈辱的な支配を受けた歴史があります。多くの民間人が虐殺され虐げられました。だから日本も“やってしまっている”という事実を日本人は受け止めるべきだと思います。」と報告した。
そこで道下が再び問いかけた。
「過去にいろいろな無差別攻撃があったことは分かるけど、戦争のルールはどうなっているんでしょうか。戦争と言うのは国と国の戦いだけど、軍隊同士で戦うべきで、関係のない女、子供、老人は巻き込まれるべきではないと思うんですけど。やられたらやり返すという論理では平和は訪れない。そのことに気が付いた国際連盟はジュネーブ条約を締結させたのに、人類はいつまでたっても同じことを繰り返す。科学は進歩して兵器は進化したけど、人間の心は何ら進歩してないという事なのかな。」と感想を述べた。
佐々木さんが思い詰めたような口調で続けた。
「太平洋戦争で日本はアメリカから本土空襲をされたけど、あれは中国に対する日本の無差別攻撃に対する仕返しという事なのかな。」と言うと森本は
「あれは真珠湾攻撃に対する仕返しだと言われているよ。」と続けた。道下は
「でも真珠湾攻撃は軍事施設を狙った攻撃ですよね。アメリカは宣戦布告前の攻撃だから不意打ちだったと主張しています。」と続けた。道下は
「アメリカはどこの国からも空襲を受けたことはないけど、日本やドイツに無差別空爆で壊滅的な打撃を与えています。それに何といっても広島と長崎の原爆は一度に何十万人もの民間人を殺戮しています。ゲルニカなんかの比ではありません。先日、映画『オッペンハイマ―』を見ましたが、トルーマン大統領は『原爆を使用したことで太平洋戦争を早期に終結することが出来た。結果的には日本やアメリカの兵士の犠牲を最小限に抑えることが出来た。』とか『日本は本土決戦になっても降伏はしそうにない。』とか言っていました。でもトルーマンの主張は勝者の詭弁に聞こえてならないんです。」と新たな見方を示した。この考え方には長崎の森本君も広島の鈴木さんも同調してくれた。
「そうだよね。私たちも小学校からの平和教育で世界で唯一の被爆国である日本が、原爆の恐ろしさを後世に伝えて行く大切な使命があると教わって来ましたが、なぜアメリカは原爆使用に踏み切ったのか、原爆を使う必要性はあったのかという事には触れてきませんでした。どちらかと言うとアメリカが原爆を使ってくれたから戦争が早期に終結した。戦争責任は日本の戦争指導者たちにあるものと教えられてきました。」と被曝県を代表して述べてくれた。道下はこれを聞いてさらに続けた。
「さっきの『オッペンハイマー』なんだけどアメリカの原爆開発はドイツが原爆を開発する前に開発しなくてはいけないという事で大急ぎで科学者を集めて開発したけど、1945年の4月にはドイツは降伏してしまい、今度は戦後の冷戦時代を想定してソビエトとの原爆開発競争になっていったんです。ソビエトが原爆開発に成功するのは1949年までかかるんですが、そこまではアメリカが唯一の核保有国だったんです。世界を軍事力でリードするために原爆を保有することが大切で、その次には水爆開発へと移行していきます。その過程で日本に原爆を投下する必要性はあったんでしょうか。アメリカはとにかく自分たちの力をソビエトに誇示したかったんではないか、そう思えて仕方ないんです。」と自論を展開した。
道下が熱弁をふるってメンバーたちが道下の言葉を聞き入っているときに時間が来た。村瀬教授が
「それでは今日の授業はこの辺にしておきましょう。次回もこの続きです、みんな自分なりの考えを持って次回の授業に臨んでください。」と言って教室から出て行かれた。
授業が終わり道下がカバンの整理をしているとグループのみんなが集まって来た。
「道下さん、今日の討論は見違えたわ。4月の原発のテーマの時には福井の人なのに原発のことをあまり知らないから、この学部の学習についてこれないんじゃないかと心配したけど、今日の道下さんは素晴らしかった。私たちが調べてきたことは、固定概念にとらわれていたかもしれないわ。」と佐々木さんが褒めてくれた。そこから学生会館のカフェに行って次回の討論について、そしてグループ発表について話し合った。