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1、大学入学

 阪急電車は関西の私鉄で、六甲の山の手の高級住宅街を走っている。気品があるイメージを保っていて、小豆色のシックな外装は創業当時から変わっていない。落ち着いた色合いで、周辺住民はそのカラーを高級住宅街のイメージだと信じ、誇りに思っている。

 2024年4月、道下瑞穂みちしたみずほは、福井市の進学校福井中部高校を卒業して、この阪急電車沿線の近畿学園大学国際学部に入学した。この学部は2010年に新設され、国際化の流れに乗って人気が高く、この大学で最も入学者の偏差値の高い学部になっていた。しかし道下瑞穂は中学まではよく勉強もできスポーツでも活躍したが、高校に入り学習面でやや伸び悩んだ。周りの生徒が東大や京大など旧帝国大学の一流国立大学を目指して受験勉強に励む中、彼女は早くから国立大学を諦め、この高校が有する私立の指定校推薦枠に絞っていた。その結果、この高校が一流の進学校だったため、多くの生徒が難関国立大学を目指していたので、有名私立の指定校推薦枠は競争相手が少なかったことも幸いして、この有名私立大学合格を許されたのだった。

 近畿学園大学は古い歴史を持つミッション系の大学で、広い敷地にレンガ造りの校舎が点在し、中央の芝生の広場の奥には教会がそびえ立っている。週末にはこの大学の卒業生が思い出深いこの大学の教会で結婚式を挙げる光景がよく見られる。

 入学式を終えた道下瑞穂は、国際学部の大講堂で入学オリエンテーションを受けて、受講する講義を考えていていたが、一抹の不安を感じていた。周りの同級生たちがみんな賢そうに見えたのだ。自分が指定校推薦枠で入学してきたことで、過酷な受験競争を経験してきてないことが、強い劣等感につながっていたのだ。

 周りをきょろきょろ見回しておどおどしていると突然隣の子が声をかけてきた。

「私、佐々木望。東京から来ました。よろしく。」と笑顔で挨拶してきた。道下は驚いたが初めて声をかけられたのでうれしくなり

「私、道下瑞穂です。福井県の福井中部高校から来ました。よろしくお願いします。」と挨拶した。佐々木望は東京出身と言うだけあって福井出身の道下から見ると、都会的に見えた。大学生になったばかりだというのに、お化粧も派手すぎない程度にきれいにできている。

「下宿はどのあたりですか。」と彼女が聞いてきた。道下は

「この大学の近くで上ヶ原3丁目の安いアパートです。佐々木さんはどこですか。」と問い返すと彼女は

「私は少し離れているけど西宮北口の駅から徒歩3分の賃貸マンションです。」と答えた。

「私も北口周辺のマンションを見て回ったけど、すごく高かったから手が出なかったわ。」と答えながら道下は佐々木が自分とは違いお金持ちだと感じていた。でも彼女とは長く友人としてつき合うことになる。

田舎から出てきた道下瑞穂は社交的なところが少なく、どちらかと言うと引っ込み思案の方だった。だから自分だけではサークルなどへの所属も決めかねていたかもしれない。しかし都会的な佐々木望が一緒にいたことで、シーズンスポーツ系のサークルに所属することもできた。そこで知り合った同級生には広島の鈴木恵子もいた。3人は学部が同じでサークルも同じという事で、仲の良い3人組を構成した。ただ道下瑞穂が英語の授業についていくのに苦労していることを除けば、3人とも楽しい学園生活を謳歌していた。

入学式から慌ただしい日々が続いたが、仲良くなった3人は買い物に行こうという事で西宮北口で集まった。ここは阪急沿線でデパートも立地し、JR西宮駅前よりも繁華街になっている。学生が多いので流行の最先端の町だった。おしゃれなブティックやカフェが立ち並び、レストランも人気の店が集まっていた。

3人は春物の洋服を何点か購入してカフェでお茶をした後、佐々木のマンションに行こうという事になった。カフェから徒歩で3分の立地の良い場所に佐々木のマンションはあり、彼女の部屋は5階の見晴らしの良い場所だった。

「佐々木さん、すごい部屋ね。1LDKでお家賃はいくらぐらいなの。」と鈴木が聞くと

「月12万円くらいかな。でも北口が近いからここに決めたの。」と悪ぶれることもなくあっけらかんと答えた。道下は窓から見える景色を見ながら

「六甲の山が良く見えるけど、大学がある上ヶ原はこっちの方向よね。」と聞くと

「大学まで意外と遠いのよね。山の上までバスで登るときにはくねくね曲がりながら登って行くし、通学に疲れてしまうのよね。車買ってもらおうかな。」と佐々木望が愚痴をこぼした。

「何言ってるのよ、こんないいマンションに住んでて。私たちなんて木造2階建ての古ぼけたアパートよ。ところで佐々木さんのご両親はどんなお仕事なの。」と鈴木が聞くと

「うちのお父さんは都市銀行の支店長なの。半沢直樹の世界だったりして。」ととぼけた。

「すごいね。支店長なの。役員にはなりそうなの。」と鈴木が驚いている。道下には詳しいことは分からないが都市銀行の支店長はどうやらお金持ちらしい。部屋にはベッドと机とテレビ、冷蔵庫、洗濯機が買い揃えられていてどれも高級な感じがした。


1年生の間は一般教養がほとんどで、専門領域の授業は少なかったが、2年生になると少人数での討論形式の授業がいくつか出てきた。道下瑞穂は他の3人とも相談して『現代社会の国際問題』を取り上げる村瀬教授の授業を受けることにした。

木曜日の3校時、午後1時からの100分間、国際学部の学部棟の3階、302講義室に30人ほどの学生が集まっていた。100人位は入れる講義室で前の方の座席を空けて、中央から後ろにばらばらと30人が座っている。討論形式の授業をするためなのか固定式の机ではなく、移動させてグループが集まるテーブルを作れる机が配置してある形式の教室になっている。新2年生の道下たちは初めての討論式の授業に不安を隠せなかった。始まる前からそれぞれがどんな授業なのか小さな声で囁き合っている。

時間になって村瀬教授が教室に入って来た。白髪が目立つ初老の男性だったが、パリッとしたスーツで眼鏡の奥に知性を感じさせる目が光っている。講座の名称が『現代社会の国際問題』というので、この教授の専門が国際問題に関連していると思われたが、具体的にどんな内容なのか推測できなかった。しかしテレビの討論番組のコメンテーターで中国や北朝鮮問題に詳しい専門家がいたり、アメリカとの外交問題を研究している大学教授などが出てきたのを見たことがあるので、どこかの国との関係を専門にしているのだろうと考えた。

初めての授業なので学生たちは緊張して教室は静寂に包まれている。村瀬教授は

「講義を始める前にまずオリエンテーションとして映像を見せるので、しっかりと見てください。」と言って最初にビデオを見せた。世界各地でいろいろな問題が発生しているが、交通網の発達と企業のグローバル化で、単一の国家では解決できない問題が多くあり、国と国の境を超えた話し合いで解決していかなかったら、地球全体が汚染されたり飢餓に苦しむようになったりしてしまうという物だった。

その後、この授業の進め方について説明していった。毎回宿題が出て、現代の課題である地球規模の国際問題について調べて来て、グループごとに討議して問題点と解決策をまとめてグループ発表するというサイクルで、1サイクルは4回の授業、つまり1月ごとにテーマが変わるという内容だった。

1回目の授業の最後に村瀬教授は4月のテーマを発表した。

「早速、次回からのテーマですが『原子力発電』についてです。いろいろな角度から原子力発電について調べて、ユニークな発表を期待しています。グルーピングは次回の授業の最初に発表します。それぞれの出身県や出身国などを考慮して決めさせてもらいます。それからグルーピングする関係上、この授業の登録手続きは明日金曜日の正午までとします。金曜の午後にはグルーピングを済ませる予定です。では本日はここまでです。」と話して教室を出て行かれた。国際学部は外国からの留学生も多く、特に中国や韓国の学生は珍しくなかった。


 1回目という事もあり授業が早く終わったので次の授業まで1時間近く空いてしまった道下たちは、大学構内にあるコーヒーショップでテイクアウトのコーヒーを購入し、教会前に設けられている芝生広場の噴水付近で、腰を下ろしておしゃべりを始めた。桜の時期は過ぎてしまったが、青葉が美しい4月の心地よい風が3人の心を和ませた。西ノ宮は瀬戸内の気候で雨が少なく、芝生が濡れているという事も少なく、座り込んで休むには場所を選ぶ必要もなかった。

「4月ってもう少し肌寒い感じじゃなかったっけ。」と東京出身の鈴木がカップのコーヒーを飲みながら話しかけると道下が

「福井はここよりももっと寒いわ。西宮は瀬戸内の気候だから温かいと思うわ。」と答えた。すると広島の鈴木恵子は

「地球温暖化で冬が終わるとすぐに夏が来てしまうようになってるのよね。5月の初めには半袖の服を着るようになったでしょ。桜の開花も以前は4月6日くらいの入学式に満開だったけど、最近は3月末に開花して、4月6日には散ってしまっている。それくらい温暖化が進んでいるのよ。」と言うと佐々木が

「村瀬教授の授業でも地球温暖化はきっとテーマにあがりそうだわ。桜の開花時期の変化は面白そうだと思わない?」

佐々木の言う事は外れてなさそうだった。地球規模の国際問題を扱う上で地球温暖化は避けては通れないからだ。佐々木はさらに

「今回のテーマは原子力発電だけど、道下さんの福井県は原発をたくさん抱えているけど道下さんは原発についてどう考えているの?」と突然振られた。道下は考えてもいなかったのでびっくりしたが、改めて言われると福井県が原発を多数抱えていることは他県の人から見れば異常に見えるようだと感じた。

「私は福井県出身だけど、これまで深く考えてこなかったかもしれないわ。私が住んでいた福井市は嶺北地方で古代国名は越前なんだけど、原発があるのは嶺南地区で古代名では若狭になるの。だから何となくよそのことって感じで真剣に考えていなかった。」と答えた。すると広島の鈴木が真剣な顔で

「広島では原子力に対する感情が異常なほどに違うのよ。世界で初めて原爆を体験しているでしょ。私の家のお爺さんの弟もその母の曽祖母も被爆して死んでいるし、今でも放射能被爆の後遺症に悩まされている人は多いんだよ。原子力の平和利用と言っているけど放射能が発生していることに違いはないし、福島原発みたいに津波に襲われたら地域一帯が被曝して広島と同じようになるんだよ。敦賀の原発から福井市はどれくらい離れているの。」と心配してくれた。道下は敦賀福井間が高速道路で30分くらいだからと考えて

「正確には分からないけど、50キロくらいだと思うわ。」と言うと

「福島原発事故では事故発生の翌日には30km以内の地域に避難指示が出たのよ。福井市の近くの人にも避難指示が出るという事よ。」と詰め寄られた。道下は責められているような感じがして切実な問題として考えてこなかったことを反省した。

「原発立地県出身の私なんかより2人は原発に詳しいのね。すごいわ。」と感心すると

「高校の現代社会とか物理の授業とかで出てこなかった?私の学校ではグループ討議をしたから覚えているわ。」と東京の佐々木さんが話してくれた。そういわれると道下は自分だけの責任ではなかったような気がして

「早く教科書を終わらせて、受験対策の問題解説が多かったから、グループ討議はなかったかも。」と高校の先生たちの責任に転嫁して気を取り直した。

 それにしても福井県出身だというのに、原発のことをあまり知らないという事は、おかしいと指摘されたような気がして、劣等感をさらに深めてしまった。帰ったら来週までに原子力発電所の利用とその問題点についてネットで調べてみようと心の中で思った。


 道下瑞穂はアパートの部屋に戻るとパソコンで『原子力発電所』と入力して検索してみた。すると原子力発電所の立地分布が日本地図に落とされて地図化されているものを見つけた。海岸線を有する県に多いことがわかった。北から北海道 東北は青森、宮城、福島、関東は茨城、中部は静岡、新潟、石川、福井、中国四国は島根と愛媛、九州は佐賀と鹿児島。地図に表された原発の分布を見て道下は日本中に分布しているという印象を抱いた。しかし福井県の原発を詳しく見て驚いた。廃炉が決定しているものを含めた原子炉の数を、原子力発電所ごとに書いてあった。敦賀原発2基、美浜原発3基、大飯原発4基、高浜原発4基、合計13基。2番目に多いのは福島県の10基、3番目は新潟県の7基、他の県は1基から5基で若狭湾周辺が日本の原子力発電所の集積地域であることがわかった。さらに関東地方や近畿地方を見て感じたのは、大都市が多く人口が集積する都府県には原発が立地していないという事だ。逆に言えば原発は海辺まで山が迫った半島や人里離れた砂丘に立地しているという事だという事に気が付いた。道下瑞穂は調べたことをメモに書き込んで次の授業に備えたつもりになっていた。



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