第3話
「いやー、あの、えーっと、本当に気にしないで……って言っても、そう簡単な事じゃないんだろうけど……あぁ、ムズい。人との会話ってほんっとにムズいな。小学生の頃はこんなんじゃ無かったのに……。おかしいよね、ほんと。入院期間中に全てすっぽ抜けたみたいだ。ははは……」
どうすればいいことかと頭皮をポリポリと掻きながら、頭に流れてくる言葉を取り敢えず全て口から出してみる紫音。
めちゃくちゃを言っている自覚はあるのだが、如何せん入院生活が長かった彼にとって、こういう時の誤魔化し方が分からないのは仕方の無いことではあるのだ。
クラスの委員長と聞いてパッと浮かんでくる印象と言えば、大きくわけて二パターンある。
一つは生真面目な性格が行き過ぎるが故に、それを他者に押し付け、自分の納得がいかない物は全て否定するという、ことある事にガミガミと口を挟んでしまう典型的な嫌われ委員長パターン。
そして二つは、前者と同じくそれなりにしっかりとしているのだが、ある程度の融通が効き、持ち前の明るさでいつの間にかクラスの中心的立ち位置にいる、統率力の長けた誰からも好かれる人気者委員長パターン。
そして現在、紫音の目の前で未だ硬直しているその女子生徒こと、クラスの委員長は後者のパターンであると、紫音は推測するのだ。その理由の一つとして、先ず持ち前の容姿が挙げられる。
艶やかな濡場色のストレートヘアーは、仮に櫛で梳かすようなことがあっても、微塵もつっかかりを感じさせない、毛先まで手入れが行き届いる様子で、その所から見ても、彼女が非常にマメな性格であるということが見て取れる。綺麗な二重と可愛らしさのある涙袋で覆われた、人形然とした大きな瞳に微笑まれたら、世の男共は一撃でノックアウトされるだろう。
オマケに(これをオマケと呼ぶには大層勿体ない事は承知の上だが)痘痕の無い白い肌に、プックリとした薄ピンクの唇も相まって、彼女の容貌は女優のソレを遥か凌駕している。
大きくもなく小さくもない、年相応に成長を遂げているであろう(紫音は中学時代のまるまる全てを入院生活にあてている為、同世代の女性の成長具合が分からないのである)ふっくらとした胸はその可愛らしい顔立ちとは裏腹に、男子高校生の情欲を掻き立てるようになっており、端的に言って欠点がない、紛れも無く完壁な天使であると言えるのだ。
そして恐ろしいのが、これがまだ彼女が好かれる委員長であるだろう所以の一つでしかないという事だ。
とはいえ、紫音と彼女はついさっき目を合したばかりであって、お互いの性格云々は分からない状態であるので、彼女が好かれる委員長であるとここで断定するのは早計であるのだが。
それでも、女性経験の乏しい紫音から見ても、紛れも無くその女性はモテると言える。いや、これはもうモテるという度合いを超えて、ファンクラブ何かができててもおかしくはないだろう。それ程までに彼女の美貌は圧倒的なのだ。
だからこそ、紫音はそんな彼女との初対面が、このような最悪の事態になってしまったことを、心底後悔しているのだ。
スクールカーストという階級指標が、もしもこの高校に存在するなら、彼女はトップを超えて神に君臨するだろう。そんな神には必ずと言っていいほど信者がいる。
紫音はこれからの学生生活、そんな信者たちから虐められたりはしないだろうかと、内心穏やかでは無いのだった。
――あぁ、ヤバいヤバいヤバい。考えれば考えるほど、ここから良い方向に行く未来が見えない。どうすればいい? 取り敢えず、仲良くなっとかないと……でもそれで、帰ってまた変なことを口走ったら……。
紫音は露骨に頭を抱えるが、それには相手を責め立てるような意図は毛頭ない。自分の事で手一杯の今の紫音が、他人のことを考えられるはずもないだろう。
そんな紫音を見て、彼女も流石に申し訳ないと思ったのか、紫音の喋った言葉に対していくつかの質問を入れてきた。
「急に怒鳴られてビックリしちゃったけど、全然大丈夫だよ。それよりも――」
と、彼女は紫音の腕やら首やら顔やらまで、至る所に存在する傷痕を指さして、
「それ……さっき入院って言ってたけど、もしかして……」
好奇心が抑えられなくなったのか、恐る恐る申し訳なさそうに、何処か含みのある不安げな表情で、尋ねてきたのだ。
紫音としても、これは痛い所を突かれたなと口篭る。
正直に話すべきなのか、はぐらかすべきなのか、その話をする事自体は正直、予想の範疇であった。だが、その応えは未だに見つけられてはいないのだ。
いずれ、遅かれ早かれバレることを考えれば、それはただ問題を先延ばしにするだけであるということを理解していたから。
故に結論づけられなかった。
だがそれも、今となってはもう関係なくなった。嫌でも解を作り出さなければならない状況は、ある意味では良かったのかもしれない。
紫音は考える。
仮にここで正直に話したとして何になるのか?
メリットといえば、事件に巻き込まれた『可哀想な子』として認識され、それは瞬く間に学校中に拡がって、毎日毎日、望んでもいない同情をされるだけだ。
それどころか、昨今のSNSの発達により、紫音の存在が不知不識の内に広まって、一躍時の人なんてこともおかしくないのだ。
紫音が望むのはあくまでも普通の学生生活であって、有名人ではない。放課後に友達とカラオケに行ったり、休みの日には遠くに出掛けたり、甘い妄想だが彼女なんかもできちゃったりなんていう、そんな、皆が一度は考えつくような、普通の生活だ。
話すメリットはデメリットに等しい。
だとすれば、残された選択肢は自ずと一つに絞られる。
はぐらかすのだ。だがこれにもまた、いくつかのバッドルートが存在する。
もし仮に、「中学の時にヤンチャして、年少に入ってたんだよねー」なんて言おうものなら、一発でヤバい奴だと断定されて、即刻一生孤立生活の刑なのだ。
慎重に丁寧に言葉を選ばなければいけない。もう、入院時代のような、孤独を過ごさない為に。
「あー、これ? 見た目は確かにグロいかもしれないけど、全然大したことないから。入院って言っても高々一日二日くらいだし? て言うか、初対面で怒鳴ってきた相手だって言うのに、そんな所まで気にしてくれるんだ。委員長って先生の言ってた通り優しい人だね!」
傷の理由は徹底して話さず、話題の標的を委員長へと持っていく。紫音は屈託のない純粋無垢な満面の笑みで、委員長を褒めたのだった。
肉体的にはちゃんとした高校生ではあるのだが、精神面は未だ小学生気分が抜けきれていない紫音の褒め言葉には一切の下心が無い。
人間という生き物は、そういう部分に変に敏感であるが故に、紫音の褒め言葉が紛れもない純朴であると感じ取ると、委員長は戸惑いつつも少し頬を赤く染めた。
「そ、そっか。気になる所は消えてないけど、一応はそれで納得しとくね。それより、『先生が言ってた』っていうのは?」
「分からないことがあれば聞くといいって。委員長だから頼りになるって。随分と信頼されてるみたいで凄いね!」
「あっはは、信頼……なのかな? 面倒事を押し付けられているだけのような気がするけど」
「――? 信頼してなきゃ頼まないでしょ?」
「……ま、まぁそうだね」
と委員長はそう言ったあとで、「どの道このクラスで先生がまともに頼れそうなのが私しかいないのは事実だし、仕方ないか」と、溜息混じりに独り言をポツリ。
「あぁ、そうだ。さっきは結構焦ってたから、改めて自己紹介させてもらうね、とは言っても、後々皆の前でまたすることになると思うけど。俺の名前は天谷紫音、よろしく委員長! 友達第一号だ! ガッハッハッ!!」
「えぇ、友達早過ぎない……? あ、えーっと、私は雨塚波莎。よろしくね、紫音くん」
委員長改め雨塚波莎は、友達という言葉に若干引きつつも、受け入れてくれたようで、それは『紫音くん』という呼び名が表していた。
「うぉ!! 超絶美人の紫音くん呼びは流石に効くね!! 良いね!! もっと言って!!」
「うーん、ちょっと気持ち悪いかも……」
そうやって二人は楽しげに笑い合った。