第五話 ありがとう、伺います
こんばんは!今週末もどうぞよろしくお願いします。
再び彼女の姿を見たのは、そこから十日ほど経った後だった。宣言通り、私は彼女から距離を取り、用があるときにも侍女たちを介して伝えるようにしていた。このまま百日目を迎える事になるのだろうかと考えていた。なんとなく胃の底が重い様な感覚が続いている。忙しすぎるのだろうか。あまり考えないようにしつつも執務をこなす毎日を送っていたある日、中庭を歩いている私に彼女の方から話しかけてきた。
「お願いがあるんだけど」
私に直接?
「要望があるなら他の者に言ってくれれば、できる限り叶えよう」
訓練通りの柔らかい声で返答する。
「普通に話していいよ、その声胡散臭すぎる」
相変わらずの物言いだ。
「そうなのか?柔らかく発声するのは対面の礼儀と習ったが。で、願い事とは?あなたが私に直接頼むとは、よっぽどの事なのか?」
「前の聖女の人たちが書いた手記があるって聞いた」
「ああ、あるな」
「あなたの立ち会いじゃないと見れないっていうから直接頼みに来た。時間を取ってもらいたいんだけど」
時間か。
「手記の閲覧は構わないが、予定が立て込んでいる。私の執務の傍らで良ければ用意させる。立ち会ったという体裁は取れるだろう」
「すぐ見れる?」
無茶を言う。が、仕方ない。
「……では、昼食後までに用意させる。付き添いは誰が?」
「付き添いがいるの?一人で大丈夫だよ」
私は彼女の顔を見返した。
「聖女様とはいえ、未婚の女性が一人で私の執務室に入るのは障りがある。誰か入室資格のある者に頼んでおこう。迎えをやる」
聖女はぎこちなく微笑んだ。
「ありがとう。伺います」
相変わらず私をまっすぐに見る。あの深い色の瞳に、私が映った。
付き添いには婚約者の令嬢が突然の願いにも関わらず駆けつけてくれた。髪を乱している。滅多に見ない姿だ。随分と急がせてしまったのだろう。
「歴代聖女様方の手記とは大変興味深いですが、残念ながらわたくしには、文字までは『相互理解』の能力は無くて……」
心底残念そうに彼女は言った。
「そうなの?もし読めるのがあったら読んであげたいけど、ダメなのかな?アタシに付き合わせちゃって、退屈しない?」
「ご心配なく。読みかけの本を持参しましたので、お陰様でじっくり読めますわ。なかなか続きを読む時間が取れないでいましたの」
「そうなの?よかった。お仕事も読書も邪魔しないようにするよ。二人ともありがとう」
「構わない」
「いいんですのよ。殿下も執務にお戻りください、本日中に裁定の案件が複数あると聞き及んでおります」
言われて早速執務に戻る。
その後聖女は彼女にも読める手記を見つけ読み耽っていた。執務室を訪れた者たちは二人の姿があることに驚いていたが、何も聞かなかった。行き届いていることだ。
「読み切れなかったから、そっちの都合がいい時にまた呼んで欲しいんだけど、できるだけ早く」
夕食前まで読み続けていた聖女がようやく手記を閉じると言った。
「調整しよう。手記には何か有用なことは書いてあったか?」
「内容を話しちゃってもいいの?」
「私と彼女と魔術師長だけにしてくれ」
聖女は頷くと再び手記を広げた。
「えっとね、アタシの住んでる国で、アタシより千日くらい前に呼ばれた人がいたよ。ただし、こっちには随分前、何人も前の王様の時代に来てたみたいだったんだ。
名前とか住所とか連絡先が書いてあったから、戻ったら行ってみる。
それで、この国の歴史が勉強したいな。その人が帰った後どうなったか、教えてあげたい」
「教師を手配しよう。他に何が書いてあった?」
「他に向こうに帰らなかった人がいたよ、こっちで結婚してお子さんも産まれたって……。今その人のを読んでるところ。今んところ、魔素の放出のコツみたいのもあったけど、ほとんどが日記みたいな内容だよ。詳しく知りたい?」
「そうしたいが、時間が取れない。彼女と魔術師長に話しておいてくれないか。君、まとめて報告してくれ」
「承りました」
私達を交互に見ていた聖女は、ため息をつくと立ち上がった。
「王子殿下、ごめんなさい」
「……何だ?」
「あなたに、怒鳴ったこと、嫌なことを言っちゃったこと。言いすぎたなって思ってたし、今日殿下は本当に忙しそうだった。
アタシ、ホントはあの時、もう少しお互いに歩み寄ろうって言いたかったんだけど、言い方も間違えたし、なんか拒絶されたみたいに思ってカッときちゃって、それに、確かにアタシ、分かりにくい言葉とか使ってて、本当のことだけに八つ当たりっていうか……。
分かりにくいかな?えっと、つまりね。あの時あなたはできることを全部してたけど、アタシは全部はしてませんでした。だから、ごめんなさい」
意味はよく分からないが謝罪をしている。しかし、この場にふさわしい返事が思いつかない。私は令嬢を見た。彼女は、言葉に詰まる私に驚いた様子だ。
「……いや、無理もない。私の方がずっと無礼をしているのだろう。あなたの謝意は認識できる。言葉使いが改まって聞こえるからな」
「ああそれ。慣れない敬語、一所懸命使って損したよ、全然伝わってなかったんだね」
私は曖昧に頷いた。婚約者殿も曖昧な笑顔を浮かべている。見慣れないその表情が記憶に残った。
次回
おにいちゃんの悪口
ありがとうございました!また明日。