第二話 お湯の夜はお仕事してない、走らない
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数日後、一人で聖女の元へ通っていた令嬢から面会の要請があり、執務室へと招き入れることにした。
彼女は聖女につけた侍女の一人を連れてやってきた。
「聖女様は、魔力の低い侍女達との『相互理解』にだいぶ苦心されているようで……」
「そうか。そこの者、発言を許す。どんな様子だ?」
侍女は畏まっていたが、一歩進み出ると礼を取った。
「はい、申し上げます。聖女様は随分と疲労を感じていらっしゃるご様子ですが、私どもに声を荒げたりすることはなく、気を配っておられるご様子なのです。ご不便をおかけしているのが心苦しく、どうにかできないかと僭越ながら……」
「例えば?」
「先日は、アタタカイ、ミズ、タクサン、と仰せでしたので、ティーセットと湯をお持ち致しましたところ、大変困った顔をされましたが、アリガトウ、と言って飲まれました。違いましたか、と聞くと、その後のやり取りや身振りで、どうやら入浴をご希望らしい事が分かりました。すでに夜半の魔素節約時間になっていたため、謝罪して説明致しましたが、どれほどご理解いただけたのかは……」
「ああ……、フフ」
婚約者殿が笑った。何か笑いに結びつく要素があっただろうか?
「なんだ?」
「申し訳ありません、つい。実は聖女様が、侍女ちゃんズの大きい子に、お風呂に入りたいって言ったら、お湯の夜はお仕事してない、走らない、って言われたけど何のこと?と仰っていたのです」
侍女は目を見開き息を短く吸った。驚いているのだろう。
「あの、私、そんな風には……」
「もちろんですわ、わかっておりますよ。ただ、『相互理解』の力は、いわゆる翻訳の力ではないので、魔力の大小でこのようなことも起こるのです。誤変換というのかしら」
「……はい」
侍女は俯いてしまった。ここは労いの言葉をかける場面だろう。
「手間をかける」
「いえ、殿下。恐れ多い事でございます。お仕えできることを光栄に思っておりますが、聖女様のご負担を思うと、もう少しできることがないものかと、申し訳なくて」
「そうだな、『能力』の訓練をするといい。手配しよう。それと今後、魔素が集まってくれば底上げも出来るだろう。他には?」
「ございません」
「下がっていい」
侍女と共にに下がろうとする令嬢を引き止める。
「大きい子、とかいう侍女の呼び名は何だ?」
「聖女様は、こちらの名は発音も難しく覚えきれないと、わたくしの事もお姫さま、とお呼びですの。
侍女三人は、大きい子ちゃん、小さい子ちゃん、中ぐらいちゃん、とお呼びです。三人まとめて呼ぶ時は侍女ちゃんズとお呼びです。
それと関連してですが……」
頬に片手をあてると考え込んだ。
「聖女様は、わたくし達とは聴覚が違うのではないのでしょうか」
「聴覚?」
「ずっと何かの音が聞こえると仰せですが、他の者には何も聞こえないのです。遮音の被膜を張らせましたら、静かになったと落ち着かれました。わたくし達には聞こえない音を聞いておいでなのかも……」
聞こえない音を聞いている、か。なるほど。
「わたくしどもの名前を発音できないのも、そのことに関係しているのかもしれません」
「そもそも固有名詞は『相互理解』で伝わらないからな」
彼女は曖昧に頷いた。
「あと、もう一つ。
常に目上への敬いの言葉を使って話していると仰せですが、その様には聞こえませんわね。わたくし達を尊重すべき相手とは思っておらず、お心を開いては下さらないため、言葉は敬いの言葉を使用していても、わたくしどもにはそんな風には『理解』できないということでしょうか、無理もありませんが」
彼女は眉を寄せ、頬に手を当てた。憂いているのだろう。
「心を開かない……。つまり、信頼も尊敬もできないということか」
「自分の誘拐犯を信頼も尊敬もできませんでしょ?」
「何か不足があるなら補わせるが」
「……殿下のお言葉は、その、大変に強いと言うか、尊大に聞こえるそうですわ。殿下が親しみや尊重の「気持ち」を込められない以上、これも仕方のないことかもしれませんが……」
「そうか」
気持ちを込められない、か。訓練や教育を重ねたつもりだが、まだ足りないとは。このような時に人は、どのような「感情」になるのだろうか。
礼をとり退出していく彼女の背中を見ながら、聖女の深い色の瞳を思い出していた。
聖女の聴覚は確かに私たちとは異なるようだ。
庭を共に歩いていると、鳥の気配などを即座に見つける。「ヘンな音がするもん」と言って。
そうしているうちに魔術師長が目覚めた。三人目の『相互理解』保持者として早速聖女に面会させた。聖女は彼には早くから打ち解けたらしい。
そこで、彼に放出の訓練を受けるよう聖女を説得させたところ、聖女はあっさり受け入れたということだ。どう説得したのだろうか。
「実際に放出するかどうかは別として、不測の事態がないとも限らない、何でもできるに越したことはないので訓練だけは受けてほしい、と伝えたのですよ。ある程度できるようになったら、魔素が逼迫する村なんかを巡れば、同情して放出に同意下さるでしょう」
と涼しい顔をしていた。
ところがその後、
「聖女様はこちらの意図にお気付きでした。そういう騙して言いくるめるようなやり方は好きじゃない、最初から普通に依頼してくれれば放出に応じるつもりだった、と言われてしまいました。あの方を理解するには高い壁がありそうですが、率直で聡い方ですね」
と肩を落としていた。
ともあれ、聖女の魔素放出は成功した。少なくとも十日以上は聖女はこの地にいる。それを思うと何故だか体が弛緩する。不思議な感覚だ。
次回
若返る訳じゃない
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