第十四話 相変わらずの朴念仁
こんばんは、本編の最終話です。どうぞよろしくお願いします!
百日目がやってきた。
帰還の事実を彼女は魔術師長には知らせていないらしい。
と言うより隠してこっそり帰ろうとしている。
「本当にこれでいいのか?」
婚約者と並び立ち、私は聖女に声をかけた。
「決心が鈍るようなこと、言わないでよ。アタシは帰らないといけないし、あの人はこっちで必要とされてるし、彼を連れてくったって、向こうでうまく暮らせるか分かんないし、大体ホントに一緒に行けるかだって……。失敗して彼になんかあったら……!やっぱ連れて行けない。
でも見送られたりしたらもう、ムリ。一緒がいいって、連れて行っちゃう。だから……、彼には、笑って帰ったって言ってね」
懸命に微笑もうとする彼女に、私は強く胸が痛んだ。だが笑って帰りたいという彼女の気持ちを尊重したかった。私は精一杯におどけた。
「相変わらず話に脈略がないな。ほとんど意味がわからない」
「もう!最後まで失礼ね!」
ようやく彼女が笑った。
「アタシ、あの時……、ちょっと思っちゃったんだよね。あの人のお母さんに捕まって、このまま帰ってくれれば何もかも丸く収まるって言われて……。それもアリかもしれないって。でも帰るにしても、そんな帰り方したらあの人がどう思うか、あんま考えてなかった。ホント……、楽しいレトロな召喚モノかと思ってたのに、こんなに大好きになっちゃうなんて。悔しいよ」
「聖女殿」
私は居住まいを正した。
「あなたには言い切れぬほどの恩を受けた。十分に報いることができないのが残念でならないが、これから先、こちらで私たちが皆、あなたに感謝し、あなたの幸せを毎日祈り続けていることを、どうか覚えていてほしい」
私と令嬢は揃って頭を下げた。
「いやぁね、泣かせないでよ。笑って帰りたいんだってば。そういう気持ち……、分かる?」
「離れがたく思う気持ちは、私にも分かる。あなたには義妹になってもらいたかった」
「ホントに?いやー、成長したねぇ、最初に会った頃にはさ……」
彼女は唐突に言葉を切った。
大きく目を見開き、何かに驚いている。
「聖女殿?」
私は彼女の正面に周り、顔を覗き込んだ。彼女の深い色の瞳に、私が写り込んだ。彼女は私をまっすぐに見た。
いや、違う。
彼女は私を見ていない。何かに気を取られている。
私たちには聞こえない何かを、じっと聞いているのだ。
私を見ているのではないのだ。
私がそこに写っているのに。
やがて深い色の中の私の姿が、ぐにゃりと歪んだ。
「やあ、ひどいな、僕を置いていくつもり?」
ようやく私にも聞こえた、乱れた足音の持ち主は言った。
「バカ!何で来たの?!これじゃ、これじゃ、何のためにアタシが!」
「泣かないでよ、泣きたいのはこっちだよ、置いてくなんて。あんなに約束しただろう?」
それからの騒動は、「これが痴話喧嘩というものですのね」との婚約者殿のつぶやきが全てを物語る。
「ゴメンね、やっぱアタシ達、このまま一緒に帰る」
固く抱き合ったままの二人が告げた。
「そうか、そう決まったか。私としては何としても引き留めたいところだが……。残念だ」
「残念に思って頂けるとは、光栄の極み」
弟も、精一杯おどけているのだとわかる。
「思ってもいないことを言っているのは分かっている。優秀な魔術師長と聖女を一度に失うのだからな、残念に思うだろう」
「陛下と兄上のお二人の治世の間くらいは、ゆうに過ごせる魔素は蓄積したよ」
「そうだな、すぐにでもまた召喚ができそうだ、お前たちを召喚するかな」
「殿下、いや、兄上」
弟が本気で慌て始めた。おかしくもあり、悲しくも寂しくもある、複雑な思いが一気に湧き上がるが、懸命に微笑んだ。
「それよりもお前、あちらではお前こそが「異物」だぞ、お前に魔素が集まったりしてな、早めに向こうの放出方法を取得するのを勧める」
「……イジワルが言える程、感情豊かになったんだね、兄上。感無量だよ」
「純粋混じり気無しの厚意による提案だ」
私は彼の背中を小突いた。
「お前がいなきゃ寂しくなるよ。彼女のことをよろしく頼むと言いたいところだが、お前の方が面倒を見てもらうことになりそうだな。
聖女殿、弟のことをよろしく頼む」
魔術師長は口を開け、何か言いかけたが、何も言わずに閉じた。聖女は力強く頷いた。
「……弟さんを連れて行くことになっちゃって、ゴメンね。でもアタシも、頑張るよ。それに、ホントに、二人で行くことで何かの力が働くかも。大事な時計を残していくんだし、またきっと皆に会えるような気がするよ」
聖女殿は婚約者殿と抱擁を交わしながら泣き笑いだ。
弟は私に近づくと、固く抱擁した。こんなことをするのは最初で最後だろう。
「兄上のことだけが、僕は心残りだ。何とか連絡の手段を探ってみるし、向こうに帰られている歴代の聖女様方も頼ってみようと思う。僕も寂しくなるけど、そのうちお互い家族も増えるだろうしね」
「家族が増える……?」
弟は破顔した。
「相変わらずの朴念仁だな。義姉さんは苦労するよ」
風がふわりと立ち昇りだんだんと強くなってきた。
距離を取って振り返ると、聖女が手を振っていた。あれは別れの挨拶と言っていたな。
私も同じように振り返してみた。
「じゃあね、みんな、またね!」
風がさらに強く吹く。今度は召喚の時とは逆に体が引き寄せられるようだ。
あまりの眩しさに目を閉じた一瞬に、二人の姿は見えなくなった。
最後に何もない床から風が立ち昇り、消えた。
「ちょっとイイな、と思っていたのですって」
数日後、婚約者殿が言い出した。
「なんだ?」
「聖女様です。殿下の容姿は、あの方の言い方では「好みのど真ん中」なのですって」
「それはそれは……」
彼女は苦笑する私を、眩しそうに見上げた。
「その後、わたくしを褒め称えてくださいましたの」
「またなんで」
「……それがその。「ちょっとイイな」と「好き」との間には、ものすごい山だの谷だのがあって、自分はとても超えていく気にならなかったと……」
なるほど、よく分かる。私も聖女のことを理解するのは登山のようだと思ったことを思い出した。再び苦笑し、私を見上げている彼女の隣に腰を下ろした。
「君を褒め称えたのはつまり、そのものすごい山だの谷だのを君は超えたから、ということで合っているかな?」
彼女は少し頬を染めると、それには答えずに目を逸らした。それが答だ。私は嬉しくなった。
「……わたくし、聖女様には本当に感謝しておりますの。殿下の感情を揺らしてくださったこと……。婚約者となる前からもずっと、わたくしにはできなかったことですから」
ものすごく悔しいですけどね、と続ける彼女の手を、私はそっと取った。
「殿下!?」
「どうも誤解をさせてしまっているようなので念のために言っておくが」
私は彼女の目をじっと見た。澄んだ空のような明るい色だ。
「率直にいうと確かに聖女のことは、ちょっとイイヤツだなと思った。感謝も本当だ。だがそれだけだ。私の側からも登山を始める気にはなれなかった。
しかし、私は、幼い頃よりずっと寄り添って、根気よく私に感情を教えてくれた君のことは、だいぶ、相当に、イイな、と思っているよ。君が超えたその山だの谷だのを私も超えて行きたいのだが、どうだろう」
彼女は私に手を預けたまま目を見開き、みるみるうちに首まで真っ赤になった。
なんだこれ。可愛いな。
そうだな、聖女殿、あなたの言う通りだ。
これは、確かに、かなり、相当、良いものだ。
私はいつの間にか、両方の口角が思い切り持ち上がっていることに気が付いた。
end
完結しましたー!ありがとうございました!
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
明日は、番外編を投稿いたします。侍女ちゃん目線のお話です。
今作品はそれで完了して、その後、短編をひとつ、用意しています。弟くん目線のその後のお話です。今作品とはジャンルが違うような気がしたので短編にしました。
そちらも是非ご一読いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
(投稿しました、目次ページ上部のシリーズから飛ぶことができるそうです。よろしくお願いします!)