女王3
どかどかと複数人部屋になだれ込んでくる。アレスは、咄嗟に壁際に身を寄せて死角に入っていた。アレスの監視役としてついてきていた兵士二名は、突然入ってきた者たちに驚き動揺を見せていた。
「ミリオン長官、お疲れ様です!」
女王への態度から一転、恐怖に塗り替えられた声色。敬礼したのか、カチッとかかとのブーツが揃えられる音とほぼ同時に、雷のような怒号が響いた。
「早くここから、出ていけ!」
一人は、逃げ出すようにバタバタと廊下へ出ていったようだが、残された兵は「ですが……」と、部外者がいることを伝えようとしているのがわかった。アレスは、戦闘に入れるように隠し持っていたナイフを手にしながら、気配を殺す。
突然、壁がビリビリと裂けるような衝撃とドンという鈍い音。身を隠しているため視覚的確認はできないが、兵が女王の部屋のドアを突き破り、廊下の壁へ激突したことは、想像に難くなかった。
「さっさと片付けろ!」
「はいっ!」
一緒についてきた兵士が、慌てて廊下へ出て行って、衝突した兵を引き摺り、遠ざかっていく。
ミリオンのブーツが床を重々しく叩いて、女王のいる奥の方へ向かっていく。その間にアレスは、頭の中にある資料を開いた。
ミリオン長官。決して表舞台には出てくることはなく、顔さえも世間に知られていない。情報は、女王の右腕として力を発揮しているという噂だけ。ならば猶更、顔を確認したいところだ。が、今動けば察知されるだろう。気配でわかる。奴の能力は、常人からかけ離れている。すっと背筋に冷たいものが流れた落ちる。初めての経験だった。アレスは、じっとりと手の中に滲んだ汗を静かに握り、事態を見守ることに専念する。
「会見は、一時間後だ。用意しろ」
「……今度は、何なのですか……」
まだ数人残っている兵士たちから放たれる恐怖がこの部屋中に充満しているせいか、女王の声は更に弱弱しい。
「早く読め」
ミリオンが、一枚の紙を女王へ投げてよこす。それに触れれば、毒に蝕まれるのではないか沈黙が落ちた後、「どうして……」と、埋もれてしまいそうな女王の呟きが発端となり、空気をかえていた。
「……何故? どうして! わざわざ世界の均衡を崩すようなことをするのですか! 我が国は、隣国とも同盟を結んでいる。それなのに、今更戦争だなんて!」
戦争? 耳を疑う言葉だった。この世界は三つの国で成り立っている。その三者は何十年もの間、戦争に明け暮れていた。
そこへ、和平の提案を示したのは、当時我が国の王であったフレア国王だった。赤の女王の父親に当たる。彼は和平交渉に尽力し、三十年前、交渉成立。和平条約が結ばれている。それは、今も有効に働いていて、戦争を起こす足音は少なからず、聞こえてこない。
「父の尽力を無駄にするのですか!」
「そう、お前の父親のせいだよ。最悪の腰抜け同盟だ」
吐き捨てたと同時に、女王の華奢な体が床に転がったのか空気が動いた。女王が呻き声をあげ苦し気な息遣い。それでも、今この部屋で見てきた女王とは考えられないほどの音量が放たれた。
「たださえ、この国の民は、悪政で苦しんでいるのです! 戦争など起こせば、民に今以上に苦しみと悲しみを与え、人々の命が消えていく!」
「悪政? どこがだ。先を見したうえでの、善政だろう。 戦争を起こすにあたり、宮殿にすべての食糧、武力、金をかき集めずに、どうやって勝利をもたらす?」
「……あなたは……! いったい何がしたいのですか!」
怒りで震え、かなぎり声をあげる女王に、大きな溜息がそれを払いのけた。
「世界の掌握。世界と歴史に俺の名を、刻む。ただそれだけに決まっているだろう。それが、究極を求めた人間の行きつく場所だよ」
「悪魔だわ……」
「人々にとって、お前が悪魔で邪悪なのだよ。赤の女王」
女王が声を詰めて、嗚咽する。
それは、とうてい演技とは思えなかった。女王に対するこれまでの印象が覆され、頭が混乱する一方で、アレスの胸にも怒りが生じていた。もしも、本当に戦争だなんて、愚行を強行することになれば、貧しい暮らしどころでは済まなくなる。全世界が混とんとした闇に落ち、死が渦巻く。
今にも飛び出したい衝動に駆られる。その瞬間、ミリオンから表情が消えた。
「そういえば……さっき、どうしてお前のところに兵がいた? 気分高揚して、つい殺してしまったが」
突然変わった話題。ミリオンが突如、周囲の気配を探り始めていた。より一層気配を消しながら、アレスは冷静に状況分析していく。
ここで、女王が俺の存在を話せば、ミリオンは今の会話を全部聞かれていたことを知る。容赦なく排除されるだろう。アレスは、静かに息を整え意識を整え、全神経を集中させる。このままでは、気づかれる。ならば、一層のことこちらから仕掛けるか。
動こうとした瞬間、女王の嗚咽がアレスを制していた。
「……先ほどそこの窓から外庭をみたら、不審者がいたように思い、不安になって兵を呼びました。ですが、今は宮殿の点検をしているのですね……ただの作業員だと説明され、呆れられてしまいました……」
女王は涙声で、アレスを庇っていた。アレスの足に込めようとしていた力が、抜ける。これが嘘だとばれたら、女王の雑な扱いをされている現状を見れば、女王は殺されないまでも、酷い目にあわされることはわかっているはずだ。そこまでのリスクを冒してまで、なぜ。
アレスのざわつく感情をよそに、ミリオンにその嘘はすんなりと届いていた。「お前らしい馬鹿さ加減だ」と、蔑みケラケラ笑う。
耳障りな雑音。それをかき分けて、女王の声が微かに聞こえた。
「……私は、もう耐えられません……。もう、嫌です……私はもう……!」
最後の女王の悲痛な叫びを、ミリオンは血を供わずぞっとするほど冷たい何かが、彼女を押さえつけていた。
「心配するな。いつも以上に、丹念に術を込めてやるよ。精神が崩壊しない程度にな。戦争終結後、堂々と民の前で、お前を処刑する時にバレるから、うまくやってやらんとな」
一時間後だ、わかったな。言い置いて、ミリオンは出ていく。遠ざかる気配。察知されない程度離れたのを確認して、アレスがふうっと息をつく。同時に、王女の咽び泣きが空気を震わせていた。
アレスは握っていたナイフの扱いに迷っていた。この状況を、どう受け止めるべきなのかわらかない。両親が死んだあの日から、女王へ復讐するために、生きてきた。レジスタンスを潰さないために、女王の命をとるために、人を殺めたことは、幾度もある。手が血まみれになって、自分が死んでいくような感覚に陥ったこともあったが、それは一概に、女王をいつか殺したいと思う一心でやってきたことだ。それだけが、自分の存在意義。生きる意味だった。それなのに。目の前にあったのは、長年テレビで見てきたものとは真逆の女王の姿。言動も、所作も一貫して、真逆だ。
葛藤が絡みつき足取りは、重くなる。アレスは、握りしめていたナイフをポケットに隠しながら、女王がいる場所へと歩み寄っていた。
再び視界に入ってきた女王は、床にべったりと座り、両手で顔を覆い、肩を震わせている姿。束ねた金の毛先まで、泣いている。
無防備に泣く女王。白く細い首。それをとるために俺は、ここにいる。感情はいらない。ただ、任務を遂行すればそれでいい。レジスタンスのメンバーの思いは、この手に託されている。
そんなアレスに、女王は涙を拭い泣き腫らした顔を向けていた。下から見上げてくる女王の瞳は、何か決心を固めたような鋭さがあった。テレビでみた女王と同じ、強さ。すべてが同じだった。だが、やはり違う。瞳の周りの双眸が赤いが、瞳はやはりブルーのままだ。
「……あなたは、私を殺しに来たのでしょう?」
核心をつく質問だった。今までの気弱さの欠片もない。ただただ鋭利に研がれている。憎らしいほどに堂々と演説をしている女王の声色と重なる。これまで鬩ぎあっていた葛藤が嘘のように、冷えていく。頷きも、否定もしないアレスは、女王を見返して、ポケットの中のナイフの柄を握りなおした。そこに女王は、いった。
「お願い。今すぐ、私を殺してください」