嵐の前2
一時間後、ロジャーを捕まえて、酒場へと向かった。
アレスの生家。アレスは、両親がこの世からいなくなった日を境に家を出ていた。そこに住み続けるには、あまりに広く、思い出が残りすぎている。生ぬるい思い出は、ただ邪魔になるだけだった。今は、戦闘員用のアパートへ身を寄せていて、代わりにファミルが居を構えている。そして、レジスタントの本拠地として未だに稼働している。
「さて、集まったな」
ジャンが死んでから、リーダーとなりファミルがその座に就いた。ファミルの皺はより一層増え、深くなり、髪も薄くなった。これまでの苦労が伺える。それを隠そうともしないファミルは、集まった面々を確認する。
二年前よりも増えたメンバーは、二十名。この数が多いのか、少ないのか。そう問われれば、後者だろう。
女王の悪政に嫌気がさし、人々の不満は募った。二年前、アレスの両親が亡くなった当時は、その波に乗りレジスタンスメンバーは百を上回りそうな勢いだった。が、ある日、暴動を起こした市民が粛々と容赦なく宮殿兵によって処理されていく末路を目の当たりにして、その数は減った。
宮殿に恐怖を植え付けられた人々は委縮し、結局立ち上がる勇気も削がれいた。
そんな中でも、ここに残ったメンバー。それは、決して圧力に屈しない鋼のメンタル部隊といっても過言ではない。その原動力は、それぞれの胸に刻まれている女王への憎悪だ。
「とうとう、明日は作戦決行日だ。皆の者、覚悟は良いな? 失敗すれば、我々は罪人として、逃げながら生活することになる。だが、成功すれば我らが、この国のリーダーとして立て直せる。天国か地獄。どちらに転ぶかは、神のみぞ知る。もう後戻りはできんぞ。それでも、よいな?」
ファミルの声は凛として力強い。そして、メンバーひとりひとりの前に立ち、それぞれの意志を確認する。年老いて幾分は迫力が減少していたはずの瞳は、矢のように鋭い。アレスの前にも、やってくる。まるで別人のように見えるほど気迫に満ちたファミルに、アレスは覚悟を刻むように深く頷いた。
離脱するものは、誰一人いなかった。
「明日は、数年に一度の宮殿の点検に作業員が入る。そこへ、実行部隊が潜入。許可が下りているのは、作業員五十名。そのほとんどは、外庭の方へ回されるが、五名のみ宮殿内入室が許されている。そのうちの三名が本物の作業員。これは、宮殿側の指名で変えられないため絶対。そして、残りの二名の枠に実行役は、アレスとロジャーが入る」
名前を呼ばれなかった実行担当が、悔しそうな顔をするが、すぐに納得し頷いていた。アレスの能力はみんなの知るところだ。冷静な判断、身体能力、確実な実行力。誰よりも抜きんでている。一方のロジャーは、感情に振り回されがちではあるが、年齢の近いアレスとの息は抜群にいい。
「一緒に入る指名された作業員っていうのは、こちら側の人間ですか?」
ロジャーが質問を加える。アレスも気になるところだ。中に入り込める人数が少ないほど宮殿寄りの人間であれば、かなり動きにくい。
「あぁ協力者だ。だが、戦闘訓練は施されていないから、とっさの対応はとれない。あくまで口裏を合わせてくれる程度とみておいてほしい。今回の二枠もその組織が譲ってくれた。彼らの裏切りはないことは、私が保証する」
はっきり言い切るからには、疑念を持つ必要はないのだろう。その心配はしなくてよさそうだ。
「女王の部屋は、中央広間の両階段を上った左奥の階段をさらに上がった三階の右突き当り。一番奥の部屋だ。突き当りの部屋だ」
「女王が突き当りの部屋だなんて、珍しいですね」
ロジャーが呟きにアレスも同調した。
「確かに。通常、重役はフロアの真ん中の部屋を使用することが多いのに」
その理由は、両隣に護衛者を置くことができること、不測の事態が起きたとき、逃げ道が確保しやすくなるというメリットがある。それに引き換え、突き当りの部屋というのは、デメリットの方が多い気がする。ファミルがその疑問に大きなため息を点いて、細い目を吊り上げた。
「まぁその辺は、女王の好みなのだろうな。花や野菜を育てるのが趣味だそうだから、裏庭の菜園も見える場所がいいとでもいったのかもしれん。民はこんなに苦しんでいるというのにな」
女王が手にしていた、赤い花が憎らしいほど甦って、アレスの血がすっと引いていた。
「まぁこちらにとっては、好都合だ。女王に逃げ道はない。部屋に侵入したと瞬間、確実にやれ」
アイザックの冷えた声が、アレスの頭の中でキンと響き渡った。
その瞬間、透き通った瞳が、黒く染まる。
そこに、アレスを慕っている短い茶髪をピンピンとさせているナリーが、寄ってきた。アレスの瞳の暗さが薄まる。ナリーの両親もまた、レジスタンスに所属していたのだが、数日前宮殿に歯向かうものというレッテルを張られ、殺された。
その時、ナリーは大きな瞳には大きな水の膜が張られ、土砂降りの雨を降らせていた。他のメンバーは、皆自分のことで精一杯。一言声をかけるくらいだったが、アレスだけはその横にずっと寄り添っていた。かける言葉はみつからなかったが、ただそのしっとりと濡れた頭と背を撫で続けたが、今は、その湿り気は消えている。
「子供は、ここに来るなと言われていたはずだ」
作戦に関係ないメンバーは、ここに入ることは許されていない。立ち聞きしていたナリーをアレスが、非難を込めて軽く睨む。だがナリーは、なんの反省の色も見せず真っすぐに大きな瞳を向けてきていた。
「アレス兄ちゃん行っちゃうんでしょう? 僕も、一緒に行きたい」
「お前は、ここでいい子にしていることが仕事だ」
「僕はいつも子ども扱いだ。もう六歳なんだ。僕だって手伝いくらいできる」
自分を暗殺者にしてほしいと願った自分と重なる。深い傷が衝動となり、暗い道へ突き進もうとするあの日と。
「ナリーの手伝いは、ここでできる」
「ここで?」
首を傾げ、尖っていた目じりが下がって、キョトンとした丸に戻っていく。アレスは、ふっと笑みを零し、ナリーの頭を撫でると人懐っこい毛先が纏わりついてくる。手のひらの心地よい感触から、まだ細い両肩に手をのせて願いを込めるように言った。
「この国の薄暗さが消えて、自由に何でもできるようになったとき、何をすればみんなが幸せになれるか。それを一生懸命考えて、いざその日が訪れたとき、すぐに実行できるようにすること。それが、今のナリーの仕事だよ」
あの日、自分に希望はなく、ただ黒い一本道へ突き進んでいった。それは自分が強く希望したことであり、身体能力を見込まれた周囲の大人たちの期待もあった。だから、迷いもなかったし、今もこの道を選んだことへ一切の後悔はしていない。
だが。それをまっすぐ見返しながら、まだ汚れ切っていないビー玉のように透き通った薄茶色い瞳の奥に願いを託す。
未来を担う小さな子供たちは、同じ道は歩んでほしくはない。汚れ仕事は、俺たちに任せればいい。子供たちは、ただ明るい希望だけを胸に生き、新たな道を明るい世界を築いてほしい。
「わかったよ。じゃあさ、兄ちゃん、これお守りの代わりにもっていって」
渡された水色のハンカチだった。そこに『がんばれ』とつたない文字で、書かれていた。
「じゃあ、大事に持っていくよ」
貰い受けて、握りしめる。頭をまた撫でてやると、毛先がぴょんぴょんと嬉しそうにはねていた。その顔も、笑顔で溢れている。
それを守るために、俺たちはいるんだ。