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青の女王  作者: 月影
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動乱8

「本当に……あんたなのかい?」

「自分の息子がわからないのかい? 僕、ニックだよ。母さん」

 

 忽然と姿を消してしまっていた最愛の息子ニック。きっとどこかで生きてくれていてくれていると、信じていた。だが、月日が経つほど、どうしようもない無力感が襲った。その穴を埋めるように、レジスタンスへの加入を望んだこともあったが『いつかニックが帰ってきたとき、この店が無くなっていては悲しむ。レインはここで店を続けていけ』と、アレスの父ジャンに止められ、叶うことはなかった。

 本当にニックが帰ってくる日は来るのだろうか。疑問と焦燥が渦巻く日々ばかりが過ぎていく。その間に、ジャンも殺され、アレスの母ソフィアも亡くなった。絶望ばかりが訪れ、ニックが戻るという希望も、その中へ消えていったように思う。

 それなのに。

 レインは、何度も瞬きをして、目の前に立つニックを頭からつま先までゆっくりと、視線を移動させる。自分の腰の高さまでしかなかった背が、私よりもはるかに大きくなって、夫の生き写しではと思えるほどがっしりとした体格をしている。レインは、そっと手を伸ばし、ニックの頬へと手を伸ばす。記憶にある柔らかさは角ばり、幼少期の丸く誰でも虜にしてしまう笑顔も、消えている。だが、レインにとって、そんなことどうでもよかった。ただ無感情に、見返してくる瞳の冷たさは、苦労した分を表しているのだと思い、レインは切なく目を細める。手から伝わってくる、温度と懐かしさは、確かに記憶にあるものと同じだ。

 この日を、どれだけ願っていたか。どんなに、待っていたか。こんな奇跡が、諦め続けてきた人生で起こってくれるとは、夢にも思わなかった。

「ニック、生きてたんだね……」

 ずっと我慢してきた様々な感情の波が、胸を詰まらせる。レインの視界が分厚い水の幕で覆われ、歪んだニックは口を開いていた。

 

「留守番してたあの日はね、町を巡回している兵がやって来たんだよ。その兵士さん、とっても優しくて、おもしろくて、まるで、お父さんみたいな人で、すぐ打ち解けちゃってさ。そうやって、話し込むうちに『君には素質がある。是非、宮殿来ないか』って誘われたんだ。もう嬉しくてさ。『今すぐ行きます』って、即答しちゃったんだよ。ごめんよ、連絡もなしに出てっちゃって」

 再び、視界に映ったニック。これが、現実だと忠告されているような気がした。

 ニックが早口にいい終えた頃には、レインの涙は乾いていた。あれだけ、天にも昇る気持ちが一気に地獄奥深くへ突き落とされた気がした。どうしようもない落胆と困惑に塗り替えられていく。

 レインは乾ききった口の中の不快感を、必死に飲み込もうとしていたが、うまくいくことはなかった。喉の奥が張り付いて、掠れた声が出た。

「……今は、宮殿にいるってことかい? ……じゃあ、『助けて』って、壁に書き残したのは、なぜ?」

 本当は聞きたくなかった。でも、聞かねばならない。そんな思いで、震える指先を指し示す。カウンター裏にある拙い文字で書かれている文字。ニックは、指さす方向へ視線だけずらして、やはり感情の乗らない淡々とした口調で、機械のように答えた。

「あぁ、それね。あの日『助けて』なんて、変な書き置きしちゃったから、心配させてしまったよね。あの時の僕はさ、母さんに兵は、怖いものだって言われ続けてたから、姿をみただけで捕まるって、怖くなっちゃったんだよ。それで、ついそこに書いちゃったんだ」

「そう……だったんだね」

 最愛の息子のニックに尋ねれば尋ねる程、絶望に突き落とされていくことは、わかっていた。わかっているのに、止まらなかった。視界が再び滲んでいく。落ちた涙は、嬉し涙とは程遠い、冷たい涙だった。心が凍り付いていく。

「じゃあ……今は何しているの?」

「今は町の治安維持を担当してるよ」

 ポトリと涙が落ちると、一挙に激しい感情が襲い掛かってきた。乾ききっていない濃い睫毛を一直線にニックへと向ける。

「父さんを、殺した奴らと同じ職業ってことかい?」

「まだ、根に持っているの? あれは、父さんが悪いんだよ。反感をかうような道場なんてするから。父さんは、殺されても当然なことをしていたんだ。そんなことより、僕がここに来た理由は、わかるよね? 誰か、ここにいるんでしょ? さっき同僚が言ってたよ」

 自分の父親の死を、簡単に非難しできてしまうニックの言葉に、激しい怒りが燃え上がった。憤りと悲嘆。全身を熱くさせて、声が震え、感情が高ぶった。

「私の知っているニックは、お父さんを敬い、慕っていた。それなのに、今は、冒涜している。もう、私の息子はいない。その質問に答える必要もない」

「あぁ、面倒くさい。僕はもう大人だ。変わって当然だろう。正しい判断もできるようになって、父親は最低な人間だということを知った。それだけだよ。そして、それに同調している母さんもね」


 冷たく放たれたニックの言葉と共に、鋭く鈍い痛みが走った。

 いったい何が起きたのか、わからない。わからないのに、どこからか生温かい何かが競りあがり、口の中へと入り込んで。鉄の味が、広がる。それが、そのまま床に零れ赤く、汚していく。その途端、全身の力がガクっと、抜けて、気付けばその場に倒れていた。

 朦朧とする意識の中で、確認できたのは、床一面に広がる赤黒い液体。

 冷たい瞳で、見下ろしてくるニックの手に握られていたナイフには、血が滴り落ちていた。

 





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