動乱7
アレスたちの戦闘が始まる。
二階のから見守ることしかできない三人は、自身のもどかしさと共に、手に汗を握るしかなかった。
サラは祈るように、両手を合わせる。ナリーは今にも飛び出しそうに、足をじたばたさせて、それをレインが頭を乱暴に撫でながら宥め続けていた。食い入るように戦況を見つめていると、コンコンと、階下の玄関を叩く音が響いてきた。
外の大混乱のせいで、誰かが助けを求めているのだろうか。それにしては、やけに落ち着いたリズムだ。
レインは苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら、こんな時に誰だと、苦言を零す。そのまま、階段の方へと向かおうとするレインの肩を、サラは咄嗟に掴んでいた。
「どうしたんだい?」
レインが振り返り、丸い瞳を向けて尋ねてくる。だが、そうした張本人のサラもはっきりとした理由は、答えられず言葉を詰まらせながら、ポツポツと答える。
「嫌な予感が、するんです。もしかしたら、宮殿兵かもしれない」
「だとしたら、余計に出ないとまずいだろう。あんたたちを拾ったとき、私らがここに入っていったのを兵士は見ていたはずだ。居留守を使っていては、後ろめたいことがありますと、白状していることになる。心配せずとも、大丈夫さ」
レインは肩に乗っている思いつめたサラの手に、自分の肉厚な手が包み込む。笑顔はどこまでも、温かい。うっすらとしか記憶には残っていないが、母はきっとこんな笑顔を向けてくれていたのだろうと、ふと思う。陽だまりにいるような、優しい眼差しだ。
だから、どうしても、離したくなかった。サラは唇をかみ、被っていた帽子をゆっくりと外してみせる。
「……私は、赤の女王です。私を追って、誰かやって来たのかもしれません」
サラは、引き結んでいた唇を震わせると、レインの笑顔は消えていた。温厚な双眸がすっと冷え鋭く光る。動じることなく、返ってきたレインの視線は、鋭利だ。サラは怯みそうな気持を、何とか踏みとどめて、受け止める。
「知っていたよ」
レインの冷えた視線の先に、慌てた様子でナリーが割り込んでくる。レインはナリーをやんわり睨んでら、横へ追いやっていった。
「この前の任務で、アレスが連れてきたって情報は、私のところまで届いていた。最初は、信じられなかった。どうして、あんたを殺さなかったんだって、思ったよ」
レインの瞳は、憎しみ、悲しみを隠すことなく一層鋭く尖っていく。ずっとため込んできた感情を、開放するように鈍く暗い。
「でも、アレスがその判断をしたということは、それだけの価値があんたにあるのだろう。利用価値なのか、それとも他の何かなのか。正直、私は信じがたかったけどね」
そこまでいって、ふうっと大きく息を吐いた。
「でも、あんたに会って、なんとなくそうした理由がわかったよ。アレスが、どうしてあんたを生かす判断をしたのか」
レインの尖った目尻が元の位置に戻っていく。温厚な瞳がさらに慈しみ深い色に染められている。強い優しさを、サラはそっと胸にし舞い込む。私はもう、絶対に取り落としてはならない。
再びノック音が響く。
なかなか出てこない家主に対して、苛つき、ノックに強さや乱れが生じるところだろう。が、今も叩き続ける誰かは、先ほどとはまったく変りない。不気味なほど、淡々とした同じリズムでゆったりと叩かれていた。サラの不安は、増幅されていく。表情ごひどく硬くなる。それを拭い去るように、レインは笑った。
「大丈夫。私は何度も兵を何度も穏便に兵を引き返させてきた。問題ない。あんたは、ここにいな」
今度こそレインは踵を返し、ゆっくりと階段を下りていく。うるさいねぇと、ぶつぶつとしたレインの文句が遠ざかっていく。それでも、引き止めたい思いをどうにか押し殺して、サラはその背中を見送るしかなかった。
空気が震えた。玄関のドアが開かれたのだろう。その数秒後、二階まで届くほどのレインの息をのむ音が伝わってきた。
少し遅れて、聞こえてきたのは「母さん、ただいま」という、感情が消えた男の声だった。




