動乱3
「ナリーさん?」
アレスが出発したあと、サラはすぐに二階へ駆け上がって行ったナリーを追った。五部屋程の部屋が並ぶ。その中の 昨晩アレスとナリーが寝泊まりした部屋を覗き込んだ。部屋には二段ベッドが一台と、窓が一つ。ただそれだけだ。ベッドの中に潜り込む以外に、隠れる場所もない。上下段のベッドは、アレスの職業柄か、単に性格を表しているのか。人がいた形跡は完全に消されていて、シーツ、布団皺ひとつなく、きれいに折り畳まれていた。
隠れられるような場所はどこにもなかった。それなのに、ナリーの姿はどこにもない。念のため使用されていない部屋、サラが使用していた部屋も、確認してみるが、どこにもいない。もう一度、アレスたちの部屋へ戻ると、ふわっと生ぬるい嫌な予感が吹き抜ける。
大人の体半分もない小さい窓。だが、ナリーくらいの子供ならば、簡単にすり抜けられる大きさだ。
サラは反射的に、正面の窓に駆け寄って、顔だけ外へ出す。真下に、一階のひさし。ここに下りれば、容易に地上へ降りられることは想像ができた。その思考の端に、家々の隙間にナリーの小さな背中が見えて、名前を叫ぼうと口を開けるよりも早く、細い裏路地へと消えてしまう。
いったいどこへ? そんな愚問せずとも、わかる。アレスのところへ行ったのだ。彼の身を案じて、居てもたってもいられなくなったのだろう。サラの体は弾かれるように、動いていた。
今なら、まだ間に合う。
サラは、ポケットにしまってあったナイフを取り出し、鞘から刃を抜く。
「これは、自分の命を絶つ為に使うのではなく、守るために使うんだ」
護身用に隠し持たされたアレスから渡されたナイフ。それを、自分の背に刃を向けて、引き切った。床に、パサリと金色の糸が散らばった。
階段を駆け下りて、昨夜被っていたキャップを手にする。それを見た、ファミルが驚きの声を上げていた。
「姫、その髪はどうされたのですか」
サラの長い金の髪は、肩よりも短くなっている上に、急いで切ったせいで毛先はガタガタになっている。
「少しでも、正体を悟られないために短くしました。二階のアレスたちの部屋、床に髪が散らばっていると思います。すみません」
サラは、早口にそう言い切り、キャップを目深にかぶり、玄関のドアに手をかけた。今にも飛び出さんとするサラに、ファミルの驚きは飛び散って、細い手を掴んで険しい顔を向けていた。
「どちらへ?」
「ナリーさんが、二階の窓から出ていきました。今なら、まだ間に合う。追いかけます」
サラが拘束されていない方の手で、ドアを押そうとした。だが、今度こそファミルが身体ごと外へ出ることを阻んで、首を横に振る。
「アレスの単独行為という位置付けでも、今はこの通り、アレスを少しでもバックアップしようとそれぞれ動き、出払っています。わしは、情報をここで集るため、残らねばならない。だからといって、今姫をここから出すわけには、いきません。おわかりでしょう?」
「わかっています! 私が動けば、みんなの迷惑になる。でも、このままナリーさんを放っておくわけにもいかないでしょう?」
公開処刑という、一大イベントを行おうとしている宮殿だ。当然目を光らせているはずだ。そして、近年宮殿は一人で行動している子供を積極的に捕えようとしていることを、サラは知っていた。
その理由は、宮殿思想の刷り込み。宮殿に歯向かうような考えを持たせないための策略だ。兵士として使えるように、幼少期から強制的に訓練を行う。大人の醜さを露呈しているかのような、最悪の汚い戦法。そこに引き入れられてしまえば、脱出するのは難しい。だから、絶対に今一人で行動させてはならない。
「見つけたら、必ず、ここ戻ります。私を信じてください」
切実に、訴える青い瞳をファミルはじっと見つめる。人への気遣いが人一倍強い彼女の瞳。改めて思う。サラは、本当に幼少からずっと変わらない。
ファミルは、やがて根負けしたように、大きなため息をつく。そして、ごそごそとポケットの中に手を入れ、その手の中に持ったものをサラの前で開いた。その手のひらにあったのは、海のように深い青色をしたペンダントだった。
「……これは?」
「王が条約を結ぶために、城を出る直前、わしに預けたものです。これは、姫のお守りで、大人になったとき、渡してほしいと言付かっておりました。遅くなり申し訳ない。これを姫へ渡す前に、わしは不甲斐なく宮殿を追われてしまったので、ずっと渡せずにおりました」
ファミルの傷だらけの手がサラの手を握り、その手を開かせペンダントを握らせてくる。その感触は、少しひんやりとしていて、ただの石の感触だ。
サラは、握らされた手をゆっくりと開く。すると、突然ずっと持ち主を待っていたかのように、自ら青々と透き通った輝きを放っていた。喜びを表すように、眩しいほどの光を放つ。ペンダントの変化にファミルは、「驚きました。わしが、このペンダントを持っている間は何の変化もなかったのに」目を大きくしながら、続ける。
「この石は、どのような力が宿っているのかは、わかりません。説明を聞く間もなく、王はいってしまわれたので。ただ、必ず姫を守ってくれるはずだと、ただそれだけを言い残されました」
光を放ち続けていたペンダントは、やがて落ち着きを取り戻したように元の深い青色に戻っていた。一方で、ひんやりとした感触は消えて、自分と呼応するように、同じ温度を保っている。
「それを身につけて行って下さい。きっと、あなたを守ってくれる。ナリーをよろしくお願いいたします。そして、姫も必ずここへ戻ってください」
サラは、深く頷き、ペンダントを自らの首へとかけ、洋服の内側へとしまい込む。サラは、キャップを注意深く目深にかぶり、駆け出した。




