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青の女王  作者: 月影
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動乱2

 広場に群衆が集まる。ほとんどは、宮殿支持者だ。忠誠心を誓う旗や、ワッペンを付けている。人々は高揚したように、その声も一段と大きくなっていた。その中には、子連れの家族も複数見受けられる。

 たった今、目の前で人一人殺されようとしているというのに、何をそんなに見たいのか。アレスは、怒りと人々に対する失望を、頭に被せているフードで隠しながら思う。

 

 人は生まれながら、必ず残酷な部分を持って生まれてくる。日常の営みや教え、時間によって、それは薄い膜で包み込まれ、顔を出さないように隠されていく。だが、その幕は、刺激されれば簡単に破れてしまう脆いものだ。その幕が裂かれるのは、特殊な環境下。本来持っている悪が、疼き暴れだす。それだけで、手一杯なところに、何とか抑え込んでいる膜に引っかき傷を与えてやれば、あっという間に本性が剥き出しになる。正に、今のような環境なのだろう。異様なほど、目がぎらついている。


 アレスは、その群衆に紛れ込みながら状況を把握していく。ロジャーが執行されるであろう広場。それを取り囲むように宮殿兵が配置され、群衆に対して目を光らせている。フードを目深に被って、その隙間を縫いながらアレスは、パン屋のレインの店へと足を延ばした。店のドアを押すと、軽々と開き、ギギッと木製のドアが軋んだ。ドアの隙間から体を滑り込ませると、パンの香ばしく甘い匂いが懐かしさを運んでくる。レインのよく通る声が飛んできた。

 

「こんな時に、買い物だなんて。変わり者もいるもんだね」

 カウンター越しから怒声のような声量で、不機嫌を隠す気もないレインがキッと大きな二重を三角にさせて、フードの奥にぶつけてくる。相変わらずだなと思いながら、アレスはフードを外しながら、苦笑する。

 その顔を見て、レインは目が落っこちるのではないか思えるほど、丸々とさせてカウンターから飛び出してきた。

「ご無沙汰しています」

 アレスが、一言発する。が、本物なのかいまいち信じられぬとばかりに、アレスの周りをぐるりと一周する。それでも、疑いは晴れないとばかりに、アレスの頬にレインは手を伸ばしてきた。アレスの胸位しか身長がないレインだが、恰幅がいいせいか不思議と小柄には見えない。レインは、遠いとばかりに顔を両手を挟み込んでくる。日々パン作りをしているせいか、男性のような肉厚で堅い手のひらだ。だが、その手はとても温かい。

 レインは、グイっと自分の方へと引き寄せた。アレスは、苦笑いを浮かべながら、されるがままにじっとレインのを見返す。

 時間を積み重ねてきた分、細かい皺が至る所に浮かんでいる。その中にはたくさんの苦労と悲しみが隠されていることを、アレスは幼少のころ父から聞かされ、知っている。


 かつて、レインには、夫と子供がいた。子供の名前は、ニック。

 夫は、少し離れた場所で代々武術道場をしていた父の跡を継いで、経営していた。そんなある日、突然宮殿兵がやってきて「お前たちがやっていることは、宮殿に対する暴挙だ」と言い掛かりをつけられた。それに反発したレインの夫は、その場で殴り殺された。ニックは友達と遊んでいて、不在だったが、レインは、その場に居合わせていた。宮殿兵へ食って掛かろうとしたが、まだ幼いニックを一人にするわけにはいかない。泣きながら自分を殺すしかなかった。自分がニックを守らねばならない。

 そう決意した、数か月後。子供が忽然と姿を消した。レインが買い物に出て、ニック一人で店番をしていた。時間にして三十分弱のことだった。町をくまなく探したが、何ひとつ手がりなく、目撃者を見つけることはできなかった。疲れ果て、放心しながら、帰ってきたレインは茫然と店のカウンター奥で、座り込み泣くしかなった。その時、レインは、見つけた。

 カウンターの隅の木柱。当時のニックの背丈の位置に、落書きのような跡。まだ、ニックの幼い文字で「たすけて」と書かれていた。その文字を見た瞬間、レインは確信した。

 宮殿の仕業だ、と。

 それが、彼女がレジスタンスに肩入れした理由だ。

 

 しばらく、顔を拘束された後、急にパッと手を離され、屈んでいた背中をまっすぐに伸ばす。

 レインはアレスの横を通り過ぎ、すぐに店のドアを開けて「本日閉店」の札を掛けて、鍵を閉める。改めてアレスの方へ向き直ったレインの瞳は潤んでいた。

 

「アジトが襲われて、あんたも追われてるって聞いたときは、本当にどうしようかと思ったよ! ナリーが無事だって知らせてくれたからよかったものの、本当に心配したんだからね!」

 レインの怒りに気圧されて、アレスは、すみませんと謝る他ない。

 レインという人はそういう人間だ。所作は、豪快でガサツだといわれがちの彼女だが、その内側は真逆。特にアレスのことを幼少期から知っているレインは、アレスへの思い入れは特に強いと、レジスタンスのメンバーは口を揃えて言う。アレスの両親の死の知らせを聞いたとき、レインはしばらく店も開けることができなかったほど、悲しみに打ちひしがれていたという。人への情が非常に厚く、他人の悲しみや痛みを自分のものにしてしまうほど、心優しく繊細にできているのだ。だから、レインはアレスがここに来た理由もよくわかっていた。安堵と喜びは、一瞬でかき消され、細かい皺が深々と刻まれていく。

 

「ロジャーを助けるために、ここに来たのかい?」

「はい。申し訳ありませんが、ここの二階から上へあがらせてください。もちろん、レインには迷惑はかけません」

「そんなことは、どうだっていいし、アレスのためなら、いくらだって力になるよ。だけど、まさか、あんた一人で助ける気なのかい?」

「はい。今回は、俺一人の単独行動です」

「そんな……」

 レインは愕然としながら、この場にいないレジスタンスのメンバーへ非難する。

「あんな、敵だらけの場所へ一人乗り込んでいくなんて、無謀にもほどがあるだろう! 素人の私にだって、無茶苦茶だってことくらいわかる! ファミルやアイザックは、あんたの行動を了承したのかい?」

「もちろん、反対されました。ですが、そもそもロジャーが捕まったのは、俺のミス。あいつが公衆の面々の前で公開処刑されるのを、指をくわえてみていることなんてできない。できる限りのことをしたいんです」

 

 ロジャーを逃がし、自分自身も生き残る。その確率は極めて低いだろう。結局、ロジャーを助けられず俺自身も殺される可能性の方がはるかに大きい。だが、それでも。仲間に見捨てられ、すべてを恨み、絶望したままロジャーを逝かせることは、絶対にさせたくないと思う。

 アレスの瞳が切実さに染まっている。レインは、その思いは痛いほどわかるとばかりに、ドア横に置いてあった椅子に崩れ落ちるように座り込んで、頭を抱えていた。

「私がこの店を出してから、もうずいぶん時間が経った。店を出したての頃は、やっと平和をつかんで、明るい希望に満ちた空気で包まれていたよ。私の店に来る人達もみんな笑顔で、パンを買って帰った帰りの子連れ親子は、そこの広場で駆け回っていた。キャーキャーはしゃぎ、笑いながらね。それが、今は……いったいどうなっているんだい?」

 落ちる沈黙の奥から、「早くしろ!」血を早く見せろと急くような群衆の異様な歓声のようなものが聞こえてくる。


 

 そろそろ時間になる。

「すみません。早速上へ上がらせてもらいます」

「……わかった」

 行かせたくない。だけど、そうしてはいけないのだと言うように苦し気にレインは答えていた。


 二階へ素早く駆け上がり、広場と反対側にある窓から外を確認する。裏手には宮殿兵はいないことを確認して、窓を開け放った。

「アレス。私はあんたを尊敬しているよ。いろんなものを乗り越えて、それでもブレることはない。間違った方向へ突っ走る世間に流されることなく、自分の道を突き進む。アレスは、私の自慢の息子さ。だから、絶対に帰ってきなさいよ。私を悲しませることは、絶対に許さない」

「ええ。わかってます。戻ってきたら、一番おいしいパンを食べさせてください」

「もちろんだよ。めちゃくちゃ手の込んだパンを用意しとくよ」

 レインは、そういって、力こぶを作る。その瞳は光るものがあった。アレスは、目を細め頷く。

 それが合図だったかのように、後方へ下がり、助走をつけて窓枠を両手でつかんだ。その勢いのままに、アレスの体は屋根へ飛び上がっていた。


 

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