レジスタンス4
ここまで辿り着く道中雲隠れして、欠けはじめた満月が空の真ん中に浮かぶ。その下で、夜風がアレスの髪をさらりと撫でていた。湿度の少ない清々しい心地よさに、自分の中に籠っていた熱が冷めていく。この時、初めて自分はサラの熱にやられていたことに気付いて、嘆息を漏らすしかなかった。
ドアの外へ出れば探すまでもなく、すぐ目の前にサラの後ろ姿があった。肩の震えは消えているが、相変わらず小さな手は握りしめられたままだ。その手の中に何があるのか、容易に想像がついて、掛けるべき言葉が見つからずにいると
「すみません。すぐに戻ります」
サラは振り向かないまま、そういう。
アレスは、ドア横の壁にもたれ掛かり、腕組みをして目を閉じ、もたれ掛かる。
サラが振り向いた気配はなかったが、そこにいるのが誰なのかわかっている。そういうように、話し始める。
「本当は、理想など語る資格もないことは、頭ではわかっているんです。でも、抑えきれませんでした。何だか私、堪え性がない子供のようですね」
アレスがゆっくりと目蓋を開ける。
「ロジャーは、必ず俺が助ける」
勢いよく振り返ってきた青い瞳には、光ったものはなく、むしろ勢いよく口を開きかける。サラが何をいうかは、明白でアレスはそれを手で制す。
「サラがその場に現れては、相手の思う壺だし、俺自身身動きがとれなくなる。だから、ここでおとなしく待機していてほしい」
そういうアレスの声は柔らかいが、有無をいわせぬ力があった。サラは、何もいえずただ唇を噛み頷くことしかできなかった。自分が端を発しながら、何もできない悔しさと拭いきれない理不尽さを封じ込めようと、無理矢理作った笑顔は月明かりに照らされて、やけに痛々しくみえる。
サラに埋め込まれた刺が、アレスの心臓のさらに奥へとぐりぐり押し込まれた気がした。そこから、何かが溢れて口をつく。
「俺は両親が死んでから、戦うことばかり考えてきた」
サラといると、どうしてか深い穴へ捨て、埋めておいたものが自然と口をついてしまう。自分は、いつも無口でそれを咎められることが多かった。だが、彼女の前にいると、自然と口が動いていく。それはどうしてだろう。
「父を殺した奴が憎くて仕方がなかった。刺し違えてでも、仇を取りたい。俺の生きる原動力はそれだけだった。だから、迷いなく俺はレジスタンスに入り、仲間と共に必死に腕を磨いた。そんな時間を長く過ごし、仲間を排除しようと宮殿兵もやってきたこともあった。俺は、そんな奴らを躊躇もなく殺した。罪悪感なんて、なかった。たとえ、殺した奴に家族がいようが、俺には関係ないことだ。それが俺の正義だった」
いつでもサラの前で見せるアレスは、暗殺者とは思えない端正な顔を見せていた。だが、今のアレスは、怒りに満ち、鋭く冷えた瞳を見せる。その元凶は、自分だと言うようにサラは正面から受け止めようとするが、それよりも前にアレスは目を伏せる。そして、アレスは「そう、いい聞かせていた」と、刃を仕舞い込んでいく。
「頭の片隅では、わかっていた。俺が手を汚した分だけ、泣く人がいる。その悲しみや絶望は、俺自身が受けてきたものだ」
アレスは、自分の手のひらを見つめていた。そこに何が映っているのか。サラには、手に取るようにわかった。だからこそ、苦しかった。
「だが、それでも俺は戦う」
アレスははっきりとそういった。長い睫に月明かりが落ちて、その下に浮かぶ陰影をわざと深くさせているように色濃く刻まれていもそれは、変わりないのだというように。いくら傷の深みが増しても関係ない。
サラの胸の中に抱えている罪悪感が、ズキッと呼応するように痛む。
「どうして、アレスはわざわざ自分が傷つく道を選ぶのですか?」
アレスへ問いかけるサラに非難の色はなく、寂しげに労るような眉を潜めていた。長い金の髪が揺れて、伏せられていた睫毛が上向いて、サラに一直線に向けられる。
「サラの掲げる理想は、繊細なガラス細工のような美しい世界だ。だからこそ、あまりにも脆い。触れただけで、簡単に壊れてしまうだろう」
頼りない月明かりが、凝縮されたようにアレスの透き通った瞳に集まっていた。
「だが、たとえ無理だと嘲笑われても、その理想をサラは語り続けろ。誰かが声をあげ、立ち上がらなければ、何も得られないし、その思いは広がってはいかない。世界を変えることができるのは、女王であるサラ。あなただ。それを守るために俺たちのような人間がいるんだ」
理想が叶うのならば、この手を汚すことも厭わない。むしろ、その先に光があるというのならば、喜んでこの身を捧げよう。アレスの瞳は揺るぎなくそう訴える。
「この国を不幸へ陥れたのは、紛れもなく私です。その責任は、私自身が取らねばなりません。私は、昔のグラン王国のような平和と豊かさに満ち溢れた時間を取り戻したい。誰も悲しみに暮れることなく、血を流すことのない、平和な国にしたい。そのために、私ができる何かがあれば、命を懸けて尽くしたいと思っています。ですが、私が理想を掲げるほど、誰かの手が汚れ続けるというのならば、いくら実現したとしても、私はきっと後悔する」
サラは、たった今大きな傷を負ったように苦し気にそういう。
「そんなことは、すべてを成し遂げてから考えればいい。それに、例え何かの犠牲の上で成り立った平和だとしても、不幸の連鎖が止まるのならば、これほど喜ばしいことはないと、思わないか?」
サラになら、いちいちこの思いを説明しなくてもわかるだろう。アレスはそう思う。サラもまた、自分の犠牲をいとわない。むしろ、この先に明るい未来があるというのならば、喜んで命を差し出すだろう。 だからこそ、この思いはきっと、誰よりも理解してくれるはずだ。アレスは、透き通った瞳をサラへと向ける。サラもまた、目を逸らすことはない。
「サラ。あなたは赤の女王ではなく、青の女王として、理想の国を作り上げろ。それが、俺の、この国の人々の願いだ」
サラは揺るぎない決意を胸に深く頷く。この命にかえても守ると言い聞かせるように。
「アレス。一つだけ」
先ほど、部家の中でも話にも出ましたが、と前置きしてから、サラは眼光を鋭くさせてアレスへと放った。
「私が志半ばで、宮殿へ連れ戻され、また赤の女王と自ら名乗るような事態に陥った時には、迷わず私を殺してください」
「わかっている。その時は、俺の手で必ず終わらせてやる」
「アレス、ありがとう」
心底安心したような吐息を吐く。だが、サラの瞳は、青く頼りない三日月のような弧を描き、アレスは目を細める。
こんな願いしかできない。
こんな約束しかしてやれない。
二人の青と茶色が交わった視線は、切なく不思議な色に染められていく。そして、それは深い夜の中に溶けて、消えていく。




