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 この世界に来て三日目。

 怪物の隣で目覚め、朝食に洋梨のような果物を食べ、川へ行き、昼食にはクルミとブルーベリーを食べて、その後は洞窟の前で木の枝をいくつか拾い集めた。歯ブラシを作りたかったからだ。

 怪物が隣で日向ぼっこをしながらこちらを観察してくる中、枝の先端を石で叩いて潰して、繊維に沿ってなるべく細かく割く、という作業をしていた時だった。


 集中を切らせてふと顔を上げると、大きな白い狼が二頭、近くの森の中にいる事に気づいてぎょっとする。

 実際の狼を見たことはないけど、あの二頭は普通の狼の倍くらいの大きさなんじゃないだろうか? あんなのに噛みつかれたら、私なんてひとたまりもない。


 狼たちは、川で洗った後、木の枝にかけて干していた私の下着の匂いをフンフンとかいでいた。

 全裸でずっといるのは嫌なので、今日は下着だけ洗ったのだ。


「私の下着がっ!」


 一組しか無い、貴重な下着が! 

 狼にかじられたり、おもちゃ代わりに持っていかれたら大変だと思ったけど、下着のためにあの巨大狼たちに立ち向かうほど私は無謀じゃない。

 

「逃げなきゃ……!」


 下着の事は泣く泣く諦めて、洞窟の中に隠れようとした時――。

 隣りにいた怪物が、ブォォォと不機嫌そうに鳴いて狼たちを威嚇した。


「ちょっ、し、静かに!」


 怪物がどれほど強いのか知らないが、見た目だけなら狼の方が強そうだ。こっちも顔だけはふてぶてしいが、果物と木の実、そして日向ぼっこが好きな、意外とのほほんとした生き物なのだ。


 怪物の吠え声に気づいて狼たちはこちらを見た。青い瞳は美しいけど、二頭とも好奇心の強いやんちゃそうな顔立ちをしている。

 狼たちは牙を向いてこちらに襲い掛かってくるんじゃないかと思ったけど、そうはしなかった。代わりに意外な行動に出たのだ。

 ニカッと笑って、フレンドリーにこちらに近づいて来る。しかも――


「Mody、sonokodaredayo?」


 英語のようで英語でない、聞いたことのない不思議な言葉を喋った。

 

(喋れるの!?)


 何を言っているのかは分からないが、狼たちは流暢に言葉を操って怪物に話しかけている。


「ningenka? ningendayona。tabenaino?」

「sarattekitanoka? oremohosii」


 そして二頭は好奇心いっぱいの瞳で私を見ると、鼻を近づけてきて匂いを嗅ぎ出した。

 怪物は文句を言いたげな険しい顔をして、狼たちの顔を順番に前足で突っぱね、私から離そうとする。

 

(もしかしてこの三人って知り合いなのかな?)


 狼たちの親しげな態度と、怪物があまり狼に対して警戒していない様子を見てそう思った。

 もしかしたら友だちなのかも。

 

「Mody、konokoiinioigasuruna!」


 しかし私が驚いたのは、はしゃぐようにそう言った狼に対して、怪物までもが言葉を返した事だ。


「urusai、dokkaike」


 狼が喋った時の倍驚いて、私は目を丸くした。怪物も喋れたの!?

 しかもちょっと渋めの低音ボイスだ。あまりにいい声をしているので、ちょっとドキッとしてしまった。なにそのイケボ。

 というか、言葉を話せるという事は結構賢いのだろうか。てっきり動物くらいの知能しかないと思っていた。

 

「iidaro、tyottokurai」


 右側にいる狼はニッと笑って怪物に言うと、隙をついて私の顔をベロンと舐めた。

 怪物はブォォと鳴いて怒って、狼をバシバシ叩く。

 何やってんだろ、この二人。空気感が高校生くらいの男子だ。


「userobakainu!」

「sonnaniokorunayo」


 イケボで声を荒げる怪物に狼はちょっと驚いたように言った。

 だけど次にはまた、もう一人の狼と一緒にニカッと笑う。


「sonokonokoto、zuibunkiniitterumitaidana!」

「matakuruyo、Mody!」


 何を言ってるかは分からないけど、おそらく怪物をからかうような言葉を残してここから去って行った。

 去り際にイタズラで私の下着を咥えて行こうとしたけど、怪物に唸られると笑って諦める。


「友だち?」


 振り向いて訊くと、怪物はブォッと不満そうに鼻を鳴らした。

 だけど私は怪物同士で友だちのような関係も築けるんだと思って少し安心した。彼らは思っていたより知的で、人間っぽい情を持った生き物なのかもしれない。

 そして狼たちが怪物の事を何度か「モーディ」と呼んでいたのが気になった。もしかして怪物の名前なのだろうか? 


「もーでぃ?」


 狼の発音とはちょっと違うけど、声に出して呼んでみると、怪物はびっくりした顔をしてこちらを見た。


「モーディ」


 もう一度呼ぶと、興奮気味に耳の内側を紅潮させてしっぽをピコピコと激しく振る。

 嬉しいのかな? 分かりやすくて笑ってしまう。


「私はたまきって言うの。分かる? 環だよ。環」


 何度も自分の名前を繰り返すと、怪物は嬉しそうな顔をしたまま口を開いた。


「taamaki」


 タァマキ、みたいな発音だけど、私の名前は伝わったみたい。

 何だろう。怪物の名前を知れて、こちらの名前も知ってもらえて、私も嬉しくなる。私が環という名前の人間である事を知っている人が、この世界にも一人いるのだ。


「taamaki」


 怪物はもう一度私の名前を呼んで、私の事をぎゅっと抱きしめてきた。

 モフモフに包まれて息が苦しいけど、もう少しこうしていてあげよう。



 それから二週間、私はモーディと一緒にわりと楽しく毎日を過ごしていた。

 モーディはとても優しくて、私をいつも守ってくれる。それに果物や木の実ばかりだけど、食べ物を一日何度も採ってきてくれる。

 あとは、お花も毎日摘んできて私にくれるのだ。可愛い水色の花を私が気に入ると、次にはそれを山のように持ち帰ってきたり。


 おまけに、私が一度洞窟内にいたコウモリに悲鳴を上げてからと言うもの、住処はいつもモーディが綺麗にしていて、コウモリ一匹、虫一匹の侵入すら許さない。

 枯れ葉のベッドも数日で全部新しいものに取り替え、整えてくれる。


 とにかく彼はかいがいしく私の世話を焼いてくれるのだ。

 私が喜ぶと彼も喜び、私が笑うと彼もフガフガ笑う。


 私はこの二週間ですっかりモーディに心を許し、信頼するようになった。

 モーディは謎の言語とはいえ言葉を操れるし、私と同じ常識は持っていないけど頭はいいと分かった。それに友だちもいる。だから彼はただの怪物じゃないんだと思うようになってきたのだ。


 その友だちの白い狼たちは実は二頭だけではなかったようで、群れの仲間たちが次から次へと洞窟に遊びに来ては、私を大切に扱うモーディをからかって帰っていく。

 何がしたいのか分からないけど、彼らなりのコミュニケーションの取り方であり、親愛の表現なのかもしれない。

 最初に来た二頭とは私も結構仲良くなって、毛皮を撫でさせてくれるまでになった。


「モーディと出会えてよかったよ」


 昨晩、私はそう言ってモーディのふかふかのお腹に抱きつき、顔をうずめた。

 突然この世界にやってきてしまって、最高に不安だった時に出会ったのがモーディでよかった。モーディがいれば、この世界でも何とか前向きに生きていける。

 ――昨晩までは本当にそう思っていた。



 だけど一晩経って朝目覚めた時、私の頬には涙がつたっていた。

 日本で家族と普通の日常を過ごしている夢を見たのだ。

 この二週間、ほとんど夢なんて見なかったのに。

 

(帰りたい……。私なんでこんなところにいるんだろう)


 一度そう思ったら、もう止まらなかった。

 怪物の事は好きだし、この生活も楽しい部分はある。

 だけどやっぱり元の世界に帰りたい。親や友だちに会いたい。日本語で会話がしたい。普通のベッドで寝たい。普通の家で暮らしたい。


 ふと自分の薄汚れた服を見て、森の中での原始的な生活が急に嫌になってきた。

 服は川で洗ってるけど、水だけじゃなかなか汚れは落ちない。でもこれしか着るものがないので下着も服も同じものを身につけるしかないのだ。


 この服がボロボロになったらどうすればいいんだろう。原始人みたいに裸に動物の毛皮で過ごせって言うの? 

 服に限らず、体もちゃんと石鹸で洗いたい。水だけじゃ汚れが落ちていない気がして気持ち悪い。

 頭もシャンプーで洗いたいし、バサバサになってきたからトリートメントもしたい。櫛を使って髪を綺麗にとかしたい。

 

 この世界で暮らしていくと自分が不潔になっていくので、それが嫌だった。

 昨日まではまだ耐えられていたのに、今朝、急に嫌になったのだ。夢の中ではちゃんとお風呂に入って、美味しいものを食べて、便利な家電を使っていたからかもしれない。

 そう、食べ物だって、モーディの採ってきてくれる果物や木の実は美味しいけど、一生この食生活なのは辛い。栄養が足りているのかも分からない。


 人間らしい生活というのは、私にとって大切なものだったのかもしれない。

 元の世界に戻りたいと思うのは、家族に会いたいという理由の他に、日本のあの平和で便利な生活が恋しいからなのかもしれない。


 この原始的な世界は私には合わない。

 しかも私は火を熾せる道具も持っていなければ、ナイフの一本、タオル一枚すら持っていないのだ。

 私はモーディみたいに体一つでは生きられない。こんな世界は嫌だ。


「うう……」


 違う世界に来てしまった恐怖や混乱が、二週間経って一気に押し寄せてきたのかもしれない。堤防が決壊するかのように私の目からは涙が溢れ出してきた。


「うー……」


 自分でも、自分がとても不安定な状態になっていると分かる。感情のコントロールができない。

 と、私の泣き声に気づいて、寝ていたモーディが目を覚ました。

 モーディは嗚咽を上げる私の事を心配しつつ、どうしたらいいか分からずにいるようだった。

 爪の先で私の髪を掻き上げて顔を覗き込んでみたり、背中を肉球でさすってみたり、私をぎゅうっと抱きしめてみたりしている。

 だけど悪いけど、今はそんな事をされても涙は止まらない。

 

「taamaki?」


 私の名前はタァマキじゃなくて環だ。なんて、そんなところにも文句をつけてしまう。

 

「taamaki」

「うるさいっ、触らないで!」


 私はついに爆発して、モーディに八つ当たりしてしまった。

 一人で思い切り泣きたいのに一人にしてくれないし、なんとか泣き止ませようとしてくるから、それに無性に腹が立ったのだ。


「一人にして!」


 自分がこんなふうにヒステリーを起こすなんて思わなかった。初日こそ混乱していたものの、この二週間、私は上手く現実を受け入れてきたのに。

 ブォォ……と悲しそうに鳴くモーディに、私は枯れ葉のベッドの上で胎児のように丸まりながら言った。


「どこかへ行ってよ……」


 腕で顔を隠して、ぐずぐずと泣く。モーディに対して申し訳ないと思っている自分もいるけど、「ごめんね、少しの時間でいいから一人にして欲しい」なんて冷静に言えるような精神状態じゃない。大体、モーディに日本語は通じないし。


「ひとりにして……」


 泣きながら言うと、やがてモーディの足音は遠ざかっていく。腕をどけてちらりと見ると、彼が洞窟から出ていくのが見えた。

 

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