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マーシャとグレースはすぐにオリヴィアが出席できそうな夜会を探すと言って帰って行った。王女であるオリヴィアは夜会に出るのにも場所を厳選しなければいけない。今まであまり出席していなかった分、マーシャが言うようにたくさん出るというのは難しいだろう。
ただマーシャたちには申し訳ないが、オリヴィアとしてはそのほうがありがたい。
オリヴィアにはすでに好きな人がいるのだから。どれだけ見方を変えようと、自分がルイス以外の人を好きになるとは、オリヴィアには思えなかった。
彼女たちに黙っていたことに罪悪感が芽生えて、言ってしまったほうがよかったのだろうかと考える。
マーシャは恐らく全面的に協力してくれるだろうし、グレースも賛成してくれそうだ。しかしだからこそ、もしルイスにそんな気がなかったとしたら、悲惨なことになるのではないだろうか。周りから固められて、ルイスは断れなくなってしまうだろう。
それも一つの手かという考えもよぎったが、できれば憂いなく幸せな結婚がしたい。まずは正攻法で行くべきだ。ルイスにそれとなく想いを伝えて、好きになってもらう努力をする。周りを固めるのは最終手段だ。
目標を立てたオリヴィアはよし、と気合を入れる。
しかし彼女はわかっていなかった。
長年、想いを押し隠していて、それが習慣化しているオリヴィアには、それとなく想いを伝えるということがどれだけ難しいことなのかを。
同盟国に嫁ぐ予定がなくなったからといって、これまでの生活が一変するわけではなかった。
そもそもこのことは大々的に発表するつもりはないらしい。オリヴィアが自身で結婚相手を選ぶということも、親しい者以外には黙っているように言い付けられているので、貴族たちの間では様々な憶測が飛び交っていることだろう。
今日のオリヴィアは以前からの予定通り、午前中は学習室で勉強だ。ヴィズニアス国で有名な観劇や小説についての意見交換をルイスとすることになっている。
なぜルイスとするのかというと、その意見交換をヴィズニアス語でするからだ。語学の勉強にもなって、社交術を鍛えることもでき、芸術面での造詣を深くすることもできる一石三鳥の授業なので、相手になってくれる人が限られているのだ。ルイスは次期侯爵としてとても優秀で博識だから、昔からよくオリヴィアの勉強に付き合ってくれていた。
もうこれ以上ヴィズニアスのことを学ぶ必要はないのだろうが、無駄というわけでもない。すでにある予定はしばらくの間、ほとんどはこのままだ。
それにしても、婚約が成立しなかったことを告げられた後、はじめてルイスに会う。オリヴィアは顔には全く出ていないが、かなり緊張していた。
きっと昨日のうちにグレースたちから話は聞いているだろう。ルイスがどんな反応をしてくるのかちょっと怖い。
マーシャたちのようにやっぱりという顔をするだろうか。それとも礼儀として、残念だったと言うのだろうか。オリヴィアはルイスにそう言われた時のことを想像して、足が止まりそうになった。
たとえそれが礼儀だとしても、オリヴィアがヴィズニアス国に嫁ぐ予定がなくなって残念だったと、それをルイスに言われるのは堪える。その言葉を真面目に受けとるなら、ルイスはオリヴィアがヴィズニアス国に行くことを望んでいたということになる。
オリヴィアは想像だけで憂鬱になった気分を王女らしい微笑みの中に隠し、学習室の扉を開けた。
いつものように、既に部屋にいたルイスが椅子から立ち上がる。
「おはよう、ヴィア様」
「おはよう、ルイス」
朝の日差しが入り込む、緑豊かな庭園に面した静かな部屋の中にいるルイスは、風景に溶け込んでいるかのように様になっている。
ダークブラウンの髪に新緑色の瞳をした穏やかで整った顔立ちの彼が、ハワードほどではないにしろ令嬢たちから人気があることをオリヴィアは知っている。そして誰に対しても平等に優しいことも。
「今日はどうしようか? 前回の続きからにしようか。それとも何か気になっている作品がある?」
拍子抜けするほどルイスは普段通りだった。まるでまだ何も知らないかのようだ。考えにくいがマーシャたちは何も言わなかったのだろうか。
オリヴィアは流されるように最近読んだ小説について話がしたいと言った。
しかし、しばらく話していると、ルイスがオリヴィアをじっと見つめた。
「ヴィア様、どうかした?」
「え?」
「ちょっと変だから」
オリヴィアは傍目には何もおかしなところなどなかっただろう。体裁を取り繕うのは得意だ。しかし、ルイスやマーシャやグレースはオリヴィアが取り繕っている時とそうでない時の違いがわかる。
ルイスは自分と学習をしているだけなのに、オリヴィアが取り繕った態度を取っているのが変だと言ったのだ。周りにはいつもの護衛と侍女しかいないのに。
「……ルイスは聞いていないの?」
「ヴィズニアス国との婚約が駄目になったこと?」
オリヴィアは驚いてルイスを見た。やっぱり知っていたのだ。
「……残念だった」
ポツリと呟いたルイスの言葉に、オリヴィアの胸がズキリと痛んだ。でも、これは社交辞令なのだと自分に言い聞かせる。
「って言わないといけないんだろうね、本当は」
ルイスは真剣な顔をしていた。
「でも、ごめん。僕は何て言ったらいいのかわからない」
眉を寄せて思い悩むような表情で、ルイスはオリヴィアの顔から何かを読み取ろうとするかのように見つめている。
「ヴィア様は……残念だった?」
こんなことは本来口にしてはいけない。しかしオリヴィアたちはさっきからずっとヴィズニアス語で話している。それでも二人だけが聞こえるように小さな声で聞いてくれるルイスに、オリヴィアは黙って首を振った。
「そう、よかった」
心底ほっとしたようにルイスが言った。
どういう意味なのか聞きたい。でもきっとオリヴィアが落ち込んでいなくてよかったとか、そんな意味でしかないのだろう。ルイスのオリヴィアに対する態度はマーシャに対するものとほとんど変わらない、妹のようなものなのだから。
でも努力すると決めたオリヴィアは勇気を振り絞って言った。
「結婚する相手はわたしが決めていいんですって」
「ああ、マーシャと母さんが喜んでいたよ」
「……夜会にたくさん出ましょうって言ってたわ」
「うん、それがいい」
笑顔で答えるルイスに、オリヴィアはかなり落ち込んだ。
「今は好きな人がいなくても、ヴィア様はやっぱりヴィア様が好きになった人と結婚するべきだ」
応援するみたいに言わないでほしい。本当はずっと好きな人がいるのだと言ったら、ルイスはどんな顔をするのだろう。
「でも、心配だな」
ルイスは困ったように呟いた。
「エスコートは誰かにお願いしているの? エリオット様は忙しくなるんじゃないか」
「え、あ、そうね」
あまり夜会に出ることがなかったオリヴィアだが、出席する時は必ずエリオットがエスコートをしてくれていた。相手がいないオリヴィアのためにエリオットが付き合ってくれているのだと思っていたが、よく考えればエリオットにも相手を決めてはいけないという理由があったのだろう。
「じゃあ僕がしてもいいかな」
「え?」
「エスコート。発表していないとはいえ、国の重鎮はもうヴィズニアス国に行くのがエリオット様になったことを知っているから噂は広まっていくだろうし。そうなればヴィア様の婚約者の座を狙う男も出てくるだろう。今まではなかった分、ヴィア様は男のあしらい方を知らないだろうからすごく心配だ」
「……いいの?」
嬉しさを隠さずにオリヴィアは聞いた。たとえ兄のような心配のしかただとしても、他の男性よりルイスのほうがいいに決まっている。
「ああ、ヴィア様を碌でもない男から守らないとね」
「夜会に出たほうがいいって言ったくせに」
矛盾しているように聞こえる言い分に、オリヴィアはふふっと笑った。
「……心配なんだよ」
苦笑いをしようとして失敗したような、微かに歪んだ顔をした後、ルイスはばつが悪そうに逸らした。