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 オリヴィアは恋など知らないふりをしていた。

 そんなことには興味がなさそうに、いつも誰かの恋愛や憧れの気持ちを不思議そうに首を傾げながら聞いていた。

 そうすることで心の平穏が保たれるのだとオリヴィアは信じていたのだ。実際には平穏とはいえず、自分の気持ちから少しだけ目を逸らすことができていただけであったが。

 本当はいつだって、胸に疼くような小さな熱をオリヴィアは持っていた。


 社交界に出るようになって、しばらく経った頃のことだった。

 オリヴィアは乳母の娘であり気心の知れた親友でもあるマーシャと、その兄ルイスと共に庭でアフタヌーンティーを飲みながら過ごしていた。


「すごかったのよ、マーシャったら。顔を真っ赤にして声も出ないくらいで。あの方が去ってからはその場にへたり込みそうになっていたんだから」

「もう、ヴィア様! お兄様にそんなことまで言わないでください!」


 昨夜の夜会での出来事を語るオリヴィアに、マーシャは非難の声を上げる。しかし、仲のいい兄にバラしたところでそれほど怒っていないことは長い付き合いでわかる。オリヴィアは笑いながら続けた。


「別にいいじゃないの。あの方にはほとんどの令嬢がそんな風だったわよ。すごいわよね。みんな顔を真っ赤にしてぼうっと彼を見つめているのよ。確かにものすごくハンサムだったけど」

「ハワード・スタローンなら仕方がないな。なにせ夜会に現れるといつも女性の視線を釘付けにしている。男どもはやりにくくってしょうがないよ」


 ルイスが妹をなだめるように言った。


「それで、その話題の美男子とは会話ができたのか?」

「できるわけないじゃない! 緊張して声が出なかったわよ!」


 顔を覆ったマーシャが涙声で首を振る。


「そうよ、マーシャったらわたしをダシにしたくせにね。わたしと一緒ならちゃんとお話してくれるからって連れて行かされたのに、自分は全く話さなくて、結局わたしがちょっと挨拶をしただけだったわ。あれじゃあ全然伝わってなかったと思うわよ」


 オリヴィアは不満を隠さずじとっとマーシャを見る。ダシにされたことではなく、せっかく親友の恋の応援ができるのかと意気揚々と向かったのに、彼女が全く成果を上げられなかったことが不満なのだ。


「やめてください、ヴィア様! わたしはあの方とどうこうなろうだなんて考えていませんから。そんなの無理に決まってます。ちょっとお話できたらいいなと思っただけなんです!」


 マーシャが真っ赤になった顔を上げてとんでもないと悲鳴を上げる。


「まあ、どうしてよ。他国の王子様でもないんだから、マーシャが親しくなれっこない男性なんていやしないわ」


 釣り合わないと考えているマーシャに、オリヴィアはまたしても不満顔になる。するとルイスが吹き出した。


「出たよ、ヴィア様の悪い癖。ヴィア様は自分が大好きな人間のことを過大評価しすぎだ」

「そんなことないわ。マーシャは可愛いし優しいんだから、相手にしない男性がいるとしたら、その人の見る目がないのよ」

「そんなわけないです! あれだけ女性に人気がある方が、わたしを相手にするわけないですから!」

「それがわからないわ。そこまでの人かしら。顔がいいだけじゃない」


 オリヴィアはついに話題の美男子をこき下ろしはじめた。大切な親友ではなく、相手の男性の方に選ぶ権利があるなど認められないのだ。マーシャはそんな友の反応についため息を吐いてしまう。


「ヴィア様だけですよ、そんなこと仰るの。あの方のこと格好いいと思わないんですか?」

「顔はいいと思うわよ。格好いいといえば格好いいかしら?」


 ルイスがまた吹き出した。


「いくつになっても同じ反応だな、ヴィア様は。社交界デビューもしたのに、異性に憧れすら抱かないなんて」

「だって興味ないんだもの」


 つんと澄ましてオリヴィアが答えると、マーシャとルイスは苦笑しながらも安心したような顔をした。

 二人とも恋愛感情を理解していなさそうなオリヴィアをからかいながらも、オリヴィアのためにそのことに安堵しているのだ。

 いくら恋愛をしようとも、オリヴィアは結局は恐ろしく年下の同盟国の王子と結婚しなくてはいけないことになっている。マーシャたち兄妹はオリヴィアが恋愛に興味を抱かないことに対してよかったと思っているが、それと同時にせめて結婚するまでは自由に恋愛くらいできればいいのにと思ってもいるのだ。

 どちらが正解かなどわからないが、オリヴィアが環境のせいでこうなってしまったことはなんとなく察していた。


「まあ、恋愛感情を知っていることが正常である証というわけでもない。ヴィア様はそのままでいいと思うよ」


 オリヴィアは思わずルイスをじっと見つめた。

 自分を肯定してくれる言葉は嬉しいものであるはずだ。でも違う。これは偽りの自分なのだ。オリヴィアは悲しくなりそうな心を笑顔で押し流す。

 人を好きになるという感情をオリヴィアは知っている。会えただけで胸が温かくなり、同時に締め付けられるように少し苦しくなるような感情だ。

 本当はもう何年も前から好きな人がいる。誰にも口にしたことがない、オリヴィアだけが知っている気持ちだ。これが一過性のものではないと理解しているからこそ、オリヴィアはこの気持ちを一生隠し通さなくてはいけないと思っていた。相手が自分を妹のようにしか思っていないこともわかっているから。


「そうよ。わたしはこれでいいの。恋愛に興味がなくたって何も困らないわ」

「その通りだ」


 ルイスは優しく頷いた。


「まあ、お兄様ったら、ご自分がまだお相手を決めたくないからって、ヴィア様の味方をなさっているんでしょう」

「あら、そうなの?」

「そうです。お兄様だって早めに相手を決めておいたほうがいいとお父様から言われているのに、のらりくらりとかわしているんですよ。きっと、面倒だと思っているんでしょう?」


 マーシャが兄を睨むと、彼は無言で心外だという顔をした。


「まあ、駄目じゃない。ルイスは侯爵家の跡取りなんだから、早めにお相手を決めないと。評判のいいご令嬢はすぐに貰われてしまうのよ」


 笑いながらオリヴィアがマーシャの味方をすると、ルイスは困ったように微笑して目を逸らした。


「別に面倒なわけではないけど。でも、そうだな……いっそのこと父上に相手を決めてもらおうかな」

「えっ、どうして?」

「せっかくある程度は選べる立場にいるのに。もったいないわよ」


 ルイスがいつものように穏やかに笑って、オリヴィアに視線を戻した。その顔が少し悲しそうに見えて、オリヴィアはドキリとする。

 なぜか取り繕っていたものが剥がれそうな焦燥感に襲われて、鼓動が早くなった。

 恋を知らないふりをしながら、こんな瞬間をオリヴィアは何度も体感していた。好きだという気持ちを、まだ風化できていないのだと再認識させられる瞬間を。

 オリヴィアはいつものように、不自然にならないくらいに顔を伏せて口角を上げて紅茶を飲んだ。どうか誰も気づかないでと祈りながら。

 好きな人のふとした表情や仕草に動揺なんかしてはいけないのだ。一国の王女として。


「そうしたほうが上手くいくということもあるんだよ」


 静かな声でルイスが言う。何かを諦めているかのように。

 オリヴィアは彼が特定の誰かを自ら選ぼうとしないことを、喜べばいいのか悲しめばいいのかわからなかった。

 


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