05
返信に何日か掛かるだろうと思っていた王城へ送った手紙は、午後には返事が届けられた。
予想より早い。
執事が首を傾げながら「奥様宛です。この封蝋はあまり見かけぬ物ですね。」と室長からの手紙を持ってきた。
あまり見かけないのは、転生者関連にしか使用されないからだろうが、独特の紋様である。
この国の崇拝する男神が中央に描かれ星と月が背景に重なる様にある。
普通の貴族が使用する封蝋には、家紋と貴族名の頭文字を重ねてある物が主流だったと思う。
執事が立ち去るのを待ち、封蝋をじっくり眺めた後に開封する。
やはり室長からであった。
イルヴァ・ヘルグレーン様から始まる文章は、分かりやすく簡潔にしたためてあり、読みやすい。
室長はサッパリした性分なのかもしれない。
内容は、手紙にびっくりしたことと、それが事実ならば明日にでも王城に来て頂きたいこと、質疑応答の他に魔道具での転生者である確認をするが、問題はないだろうか?出来れば今日中に返事を頂きたい。とのことである。
旦那様と夜に離縁の話をして、明日にでも公爵家を出るつもりだったので、どちらにせよ都合がいい。
転生者だと決定するのは間違いないし、前例から見ても王家は即囲うであろう。
後日まとまった荷物を取りに来て、いよいよ王城へ・・を想定していたが、帰らせて貰えない予感がした。
午前中に使ったばかりなので、まだ机に万年筆と上質な紙が置いてある。
『素早い返事助かります。感謝致します。明日、午後にお伺いします。魔道具の確認も質疑応答も全然問題ありません。充分にお調べ下さいませ。』と、したためて、申し訳なく思いながらも、また侍女にお願いした。
この家の者に頼むと、お義父様とアンドレ様に筒抜けな気がする。
先程の王城の手紙も首を傾げていたし、すぐ返事を私が書いたとなれば、尋ねて来るかもしれない。
何も悪い事する訳じゃないけど・・・明日無事に王城に着くまでは、誰にも何も尋ねられたくない気持ちなのだ。
――――夜の10時、夫婦の寝室。
夕食を部屋で頂いた後、湯に入り身を清めた。
侍女二人が明日の王城入りに張り切って、湯から上がると、頭のてっぺんから足のつま先まで磨き上げてくれる。
侍女達の手入れのおかげか、ここ最近の悩みと今日の浮気報告で顔色の悪かった顔が随分明るくなっている。
いつも寝る前のひと時飲んでいる侍女が調合した特性のハーブティーを飲みながら、深夜に旦那様との会話の流れを頭の中で整理していた。
感情的にならず、事実のみを述べて、離縁をお願いする。
私が慰謝料請求もしなければ、簡単に同意するだろう。
昔望んだ愛する女を、妻として手に入れることが出来るのだから。
「まだ、お帰りになられていない様です。帰宅されるまで少しばかりお休みになられますか?帰宅されてから起こしますので。」
今日の話の内容に打ちのめされた私を見た侍女は、少しでも休ませたい様だ。
心配性なんだから・・・。
こうやって心配して貰って、甲斐甲斐しく世話をやいてくれる存在は疲れた心に優しい。
だけど・・・寝てしまったら、この胸に灯る闘志の様なメラメラした物が落ち着いてしまう気がした。
「大丈夫よ。起きて待つわ。有難う。」
「はい・・・私も起きていますので、何かあればすぐお呼び下さいませ。」
「分かったわ。」
侍女を下がらせ、自分以外の気配がない部屋。
夫婦の寝室の他に、私だけが使う寝室もある。旦那様だけの寝室も。
一緒に眠らない夫婦も居るので、元から用意されていたものだ。
独り寝になってからも、私はそちらへ移る事なく夫婦の寝室を使っていた。
早く帰って来れた時、もしかしたらアンドレ様が来てくれるんじゃないか・・・って。
淡い期待の様なモノだ。
ここを使うのも最後になるだろう。
始めの頃、共に朝を迎えたあの日、朝に弱い旦那様の寝顔をいつまでも眺めていた。
そっとアンドレ様の頬に指を滑らせると、震える様に睫毛が揺れ、旦那様の透き通ったシルバーグレーの瞳に笑う私が映っていた。
囁く様に「おはよう」というアンドレ様の笑顔が眩しくて、慎重に「おはようございます、起こしてしまいましたね」と言葉にした声が恥ずかしいくらい掠れていて。
熱さが増す頬を隠す様に両手で押さえたっけ。
旦那様が喉の奥を鳴らす様に笑う声をいつまでも聞いていたいと思っていた。
そんな甘い朝があの頃はいくつもあった、この部屋。
――――私、アンドレ様のこと、既に好きになり始めていたのね。
今夜、アンドレ様に離縁を申し出る。
明日は、この公爵家を出て、アンドレ様との関係も切れることだろう。
あの甘い日々を思い出しても、心は凪いだままだった。
何の痛みもせつなさも感じなくなっていた。
それでいい。それがいい。
あの頃の私に、私も今夜さよならしよう。