星の橋
織姫星が育てる「玉蔓」が紫色の実をつけると、月兎たちは七夕祭の準備を始めます。
「今年はいつもより、たくさん実をつけたのよ」
そう知らせをくれた織姫星は、星の形をした玉蔓の実を、月兎の数だけ贈ってくれました。
七の月、六番目の夜明けの晩に、天の川では星橋が架かります。
それは「七夕祭」と呼ばれ、織姫星と彦星が星橋の上で、年に一度の逢瀬を祝うお祭りでもあります。
川に隔たれた二人がそれぞれの岸から架ける橋は、たった一夜しか橋渡しができない玻璃細工に似た橋なのです。
だからこそ星橋の欄干に映る天の川の水面は、星橋も川に溶け込んだように揺れて、いっそう儚い夢の中の出来事のように美しいのです。
「みんな、そろったね。七夕祭の当番を決めよう」
さっそく月兎たちは、十六夜の塔に集って七夕祭の相談を始めました。
ササハラから笹を刈り出すもの、笹団子を作るもの、甘いお酒を醸すもの、そして五色の短冊を作るもの。
月番の月兎をのぞいて、みんなの役割が決まりました。
銀兎は短冊の当番でした。短冊作りは笹の葉を煮溶かして残った繊維で紙を作るところから始まり、最後に五色に染め形を整えるまで、とても忙しい役割でした。
「短冊当番、こっちコイ!」
当番の中で一番年長の玉兎が、銀兎と他の短冊当番の月兎を呼び集めました。
「まずは、笹刈り当番とササハラに行く。到着したら我等は笹の葉を集める。目標は背負い籠の山盛りだ!」
それからの数日間は、それはもう、大忙しでした。
銀兎は先の年も短冊当番でしたので、思い出しながら一枚づつ丁寧に笹の葉を洗いました。キレイになった笹の葉を、籠目の笊に平らに広げて、月明りの下で干すのです。
「ほーい、こっちだよー!」
十六夜の塔の一番高い窓から、玉兎が顔を出して呼びました。銀兎と当番の月兎たちは、笹の葉を広げた籠目の笊を持って、窓から屋根の上に出ました。屋根の上には小さな足場があって、そこに笊を置くことができます。みんなは、どの笊にもちゃんと月明りが当たるようにと考えて並べました。
「これでよし。今は月の光が大きいから、すぐに乾くね」
「うん、三日もしたらカラッカラだね」
十六夜の塔の上に吹く風は、いつも心地よく乾いていました。
「銀兎、風のご機嫌はどう?」
玉兎に聞かれ、銀兎は風上に顔を向け、ヒゲをぴんとして風の声に耳を澄ませました。
「うん、大丈夫。ご機嫌みたい」
それに応えるように、小さなつむじ風が銀兎の体を巻き上げて、銀色の毛並みを逆立てました。くしゃくしゃになった銀兎を見て、月兎たちはお腹を抱えての大笑いです。
しかし、いたずら好きの風はつむじ風をおこして、屋根の上にいる月兎たち全員の毛並みを、くしゃくしゃにしてしまいました。
十六夜の塔の屋根の上から響く楽しそうな笑い声は、月の上のどこにいても聞くことができました。
七夕祭まであと三日となったこの日、準備もほとんど終わっていました。
残っているのは、短冊に『お願いごと』を書くことと、最後の仕上げの飾り付けだけです。
月兎たちは、ふたたび十六夜の塔に集って、三日後の七夕祭が上手くいくようにと話し合っていました。
「忘れ物はないかい?」
「大丈夫、運びやすいようにまとめたよ」
七夕祭を祝うのは、月兎の住む十六夜の塔ではなく、主様のお住まいの「月宮」で行われます。だから、準備したものをすべて月宮に運んで、飾りつけまでします。
「あさっては下弦だから、星橋は少し南よりの方向だ」
「今年の橋は、なにいろに染まるのかな」
月兎たちは、夜の月光花茶を飲みながら、思い思いに期待を膨らませていました。
さて、ついに待ちに待った七夕祭の日です。
朝から大騒ぎの月兎たちは、十六夜の塔と月宮の間をぴょんぴょこぴょん……と、行ったり来たりです。
「銀兎、短冊は持ったかい?」
「持ってる!」
「笹飾りは、誰がもってくの?」
あちこちで声を掛け合って、ぴょんぴょこぴょんっと十二兎が月の上を跳ねています。
そして月宮に運ばれたものから順番に飾りつけが始まり、笹に笹団子にお酒……、残りは短冊だけになりました。
月兎たちの様子を見に来た主様が「今年も綺麗にできたね」と、ほめてくださいました。
そして月兎たちには、手ずから作った特別な短冊を十二兎の名前を呼びながら、一枚ずつ渡しました。
「願いごとを書いたら、笹に飾りなさい」
主様はそうおっしゃって、七夕祭のお支度のためにお部屋に戻られました。
月兎たちは、なんのお願い事をしようかと、ワクワクしたり迷ったりしていましたが、銀兎はとっくに願い事を決めていました。
みんなに見つからないように短冊に願い事を書くと、誰にも読まれないように笹の葉に隠すように短冊をつけました。
さあ、七夕祭が始まる「夜明けの晩」まで後わずかです。
月宮の露台には正式な七夕祭の飾りが整い、月の主であるツクヨミ様がご自身に仕える十二の月兎を従えて、七夕祭の始まりを待っておられました。
さわさわさわ……と、天の川の潮目が変わりました。
東の岸の織姫星と西の岸の彦星の足元で、しゃらんしゃりんと音をさせながら川の飛沫がたち、そして星橋が架かり始めました。
「わあ、今年は碧だね」
銀兎は星橋がよく見えるように、露台から体を乗り出しました。
「こらこら、銀兎。危ないからこちらへおいで」
主様が今にも落っこちそうな銀兎の姿に気づいて、ご自分のほうへ呼ぶと優しく抱えて長椅子に乗せました。
「ほら、みんなもここに来て一緒にごらん」
すると行儀よく並んだ十二兎の月兎たちが、長椅子にちょこんと収まりました。
その間も星橋は天の川の中心に向けて、伸び続けています。あと少しで星橋がつながる……と、両岸のお二方も月で眺める月兎たちも、息をひそめて見守っていました。
ところが……、星橋はわずかな距離を残して止まってしまいました。
つながらない星橋の先端から、織姫星と彦星が手を伸ばしても届きません。一年ぶりの逢瀬を心待ちにしていたお二方の嘆きようは、月兎たちの心も悲しくさせました。
張り裂ける思いでお二方は「星橋が架かりますように」と天に祈りました。
「ああ、これはいけない。潮目が弱いようだ」
主様はそうおっしゃると、飾ってあった桂木の弓矢を取りました。それから笹飾りに飾ってあるたくさんの短冊を一つ一つ手に取って、何かを確かめていらっしゃいました。
そして主様は一つの短冊に手を止めると「うん、これがいい」とおっしゃって笹から短冊をはずしました。
「あっ……!」
銀兎は主様が手にした短冊が自分のものだと気づき、戸惑いながら主様を見つめていました。
主様は矢羽に短冊をしっかり結び、弓に矢を継がえ、星橋に向けて放ちました。
矢は流星より速く一直線に飛んで、弾けるような音をさせて、星橋の欄干にカーンっと突き刺さりました。
欄干は矢の刺さった衝撃で激しくたわんで揺れ、すると矢羽につけた短冊がハラリと天の川に落ち、しばらく水面を漂ってから、吸い込まれるように川底に沈みました。
「ああ、ぼくの短冊……」
銀兎は沈んでしまった短冊を見て悲しくなりました。
その時、静かだった天の川の潮流が、さわさわさわ……と騒ぎました。
星橋の周りは水の輪が重なり、小波が大波になって欄干に押し寄せました。波は欄干にぶつかると、砕けて散らばりました。
「よし、潮目が変わった!」
主様は嬉しそうにおっしゃると、戸惑い顔の銀兎の頭を撫でて星橋の方を指し示されました。
「……!ぬ、ぬしさまーっ! つながりました! 星橋が架かりました!」
銀兎は大興奮で、飛び上がって拍手をしました。その勢いで長椅子から転げ落ちてしまいました。
へんてこな格好で長椅子から落ちても、銀兎は笑いが止まりません。銀兎につられて、残りの月兎たちも笑い出しました。いつもより声が大きいのは、七夕祭の甘いお酒のせいかもしれません。
ゆらゆらと碧色に揺れる星橋は本当に美しくて、見つめていると泣きそうな気持になりました。
「よかった……」
銀兎が小さくつぶやいたのを、主様はちゃんと聞いていらっしゃいました。
「今宵、星のお二人が会えたのは、銀兎のお手柄ぞ」
「えっ、ぼく、なにもしていません!」
「いいや、私の矢が流れ星となって、おまえの願いを叶えたのだよ」
主様は、銀兎の不思議そうな瞳と綺麗に架かった星橋を見比べて、優しく銀毛を撫でました。
盃に満たされた甘いお酒を召し上がり、欲のない願いほど叶うものだと改めて思いました。
月兎たちも主様にならって、甘いお酒を飲んだり、笹団子を食べたり、歌を歌ったりと七夕祭を祝いました。
そして、星橋の上のお二方は、一年ぶりの逢瀬を楽しんでおりました。
お二方は、時おり聞こえてくる月からの笑い声を聞きながら、銀色に光る月兎の様子を面白おかしく愛でておりました。
さて、東の空が白んで夜明けが間近になると、七夕祭も終わりです。
織姫星も彦星も来年の約束を固く結んで、名残惜しげにそれぞれの岸に戻りました。お二方が岸にお戻りになると、星橋もサラサラと崩れ、欠片は天の川の流れに融けて消えました。
七夕の短冊に記された星の数ほどの願い事も、天の川の恵みとなって川を潤しました。そして豊かになった天の川は、願いを叶える流れ星を生み出すのです。
一つの星に一つの願い。
たくさんの願いを乗せてた流星は、白く長い尾を引いて流れては願いを叶えるのです。
もちろん、銀兎だけでなく残りの月兎たちのお願いもちゃんと叶いました。
『星の橋、ひと夜の橋が結ばれますように……』