第十三章 終奏
何者かが階段を上がってくる音が聞こえた。
襖が滑る音がすると、そこには生駒監物と高木長十郎が羽織姿で立っていた。
監物は座敷内をぐるりと見回して、
「どうやら勝負がついたようだな」
満足そうに言った。
座敷内の者は、皆気力を使い果たして一様に疲れた様子だが、監物は一方的にこれからの段取りをまくしたてた。
「太夫とさよには今直ぐに着替えて頂き、この吉原から出てもらう。大門は閉まっているが四郎兵衛番所には話をつけておる。町方の娘に扮すれば太夫と分かることはなかろう。廓を出たら乗物を用意してあるから、それで直ぐに本郷の上屋敷へと向かってくれ。わしも駕籠で帰るがお主ら三人の分まではあまりに目立ちすぎるゆえ用意しておらぬ。すまぬが徒歩にて帰ってきてくれい。長十郎を警固に付けるので心配は無用だぞ」
「そんなことを言って、俺らが用済みだってんで夜道にバッサリとやる気じゃねえでしょうね?」
「はっはっは。たわけたことを抜かすな。主君の恩人を斬る侍がどこにいる。長十郎が命に代えてもお主らを守るわ」
監物は常にない上機嫌で、この結末を腹の底から喜んでいるようだった。
監物の登場で座敷は一息ついて、一転長閑な空気に包まれて、市之進が、
「ところで兵助どの、見事な将棋でござったな」
溜息と共に兵助の将棋を称賛すると、清三郎もそれに乗じて、
「確かにあの寄せは見事だったが、その前に多川が一手悪手を指したろう。その時将棋家がどうとか言ってたがありゃいってえなんでえ?」
「おれも実は意味が分からなくて…。どうやらこの扇子に秘密があるようだから、そのうち調べてみるよ」
兵助が七郎の正体を知るのは、まだ先の物語だ。
男たちが対局の感想を口々に言い合っている間に、控えの間から名香とさよが着替えを済ませて現れた。
名香は質素な木綿の古着に、化粧を落とした素顔のままで、髪を丸髷に結っていた。
どこからどう見ても元は吉原の遊女には見えないが、容貌のつくりは変わりようもなく、虚飾を廃したその姿からは、却って内面の美しさが際立って見える。
座敷にいた男ども一同は息を飲んで見惚れるままで、一言も言葉を発せずにいた。
名香はそんな彼らを気にすることもなく、真っ直ぐ兵助に向かって歩を進めてきた。
「兵助、ほんとうにありがとう…」
そう短く言っただけであったが、その声と眼差しには、深い感謝があふれている。
名香が具体的に何に対して感謝の意を表したのかは分からない。
きっと様々な想いがその胸中に去来して、一言では言い表せないことだろう。
だが単純に苦界から救ってくれた感謝だけではないことが、兵助には分かった。
名香はそっと兵助の手を取って、秘かに何かを握らせた。
そして兵助の耳に唇を寄せて、何やら耳打ちをした。何と言ったかは他の者には聞き取れなかった。
今度は兵助のほうからさよの前に歩を進めて話しかけた。
さよもすっかり化粧を落とし、髪は櫛巻きにして結っていた。
垂れ髪の時よりも大人びて見え、兵助は改めてその可愛らしさを目の当たりにして、恥ずかしくて目も合わせられない。
「太夫がこれをお嬢様に渡せって…」
兵助の手に握られていたのは櫛であった。
兵助は名香に言われるがままに櫛を手渡そうとしているが、内心ではよく状況が飲み込めず困惑していた。併しさよは満面の笑みを浮かべて、
「兵助様ありがとう…。さよはとても嬉しいです。きっとずっと待っていますからね」
さよの喜びは兵助の想像以上のもので、その様子は、父の市之進さえも今までに見たことがないほどであった。
兵助には何が何だか分からぬが、取り敢えずいいことをしたのだろうと独り納得をした。
名香の粋な計らいに兵助が気づくのは、もっとずっと後になってからである。
名香とさよは、楼主勘兵衛の協力もあり、誰に知られることもなくひっそりと中万字屋の裏口から外出し、闇に紛れて吉原から抜け出して駕籠へと乗った。
暫く間を開けて、兵助、清三郎、市之進に長十郎を加えた四人は、堂々と吉原を後にした。
激闘の興奮冷めやらぬまま、四人は思いのほか雄弁に語り合って夜道を歩いた。
月のない夜で、手に掲げた提灯の灯が、妙に赤く光って眩しく見えた。
享保十四年八月晦日。
この日以来名香太夫は吉原から姿を消した。
大和屋が落籍したとも、病で身罷ったとも噂されたが、江戸市井においては真相は闇のままであった。
真実を知っているのは、あの夜、中万字屋の座敷にいた者だけである。
実は利章による名香太夫の落籍は、幕府も知るところであった。
裏で加賀本家、富山前田家から老中水野和泉守へと事前に報告を上げていたのである。
幕府としても、四品に列する大名が当世一の遊女を落籍したとなると、質素倹約を旨とする八代将軍吉宗の治政にも影響がある。
落籍を表向きにしないことを条件に、これを黙認していたと考えられる。
だから公儀より何の咎めを受けることなく、秘密裏に名香の落籍は成功したのである。
そしてその陰で、兵助・清三郎といった一介の町人たちの奮闘があったことも、どうやら幕府側は了知していたようである。
茂右衛門も、事の顛末を公儀に訴え出るようなことはしなかった。
さすがに江戸随一の大商人であり、元々はそういう器量のある人物であった。
だが名香が利章の元へと帰ってからは、その退廃振りに一層拍車がかかり、偽悪的に自暴自棄な生活をしていたようである。
記録には次のようにある。
「上方へ幇間等大勢召し連れて登り、京大坂の遊里にのぞみしが、上方にて悪敷いひて噂よろしからず。道中より病気付き、三十一歳にて病死す」
これが一時代を築いた遊蕩児の末路であった。
人々は酒色に溺れた報いと突き放したが、この末期の姿は、虚栄に満ちた孤独な人生の中で、生きることの意味を求めてもがき続けた茂右衛門の葛藤を見るような気がしてならない。
茂右衛門は死の直前、富山藩に対する大名貸を放棄する旨の書状を発行している。
名香と利章は、あの将棋のあったその日の内に対面した。
そこで名香は、自分が前田采女正利昌とおこうの間に生まれた姫であったことを、初めて告げられたのである。
その時の驚きはいかばかりであったろうか。
不幸な最期を遂げた両親ではあったが、運命の細い糸を辿り、今こうして再び前田家の門を潜ることができたのも、全てはあの香車駒の導きのように思える。
自分は家族の愛を知らずに育ってきたものと思ってきたが、実はそうではなく、采女やおこうや利章からの深い愛に包まれていたのだと知ると、名香の眼からは涙がとめどなく溢れるのだった。
名香はまず、利章の義母慈眼院のそばにて、利章の妹分として江戸藩邸の奥に一室を設けられそこで暮らすことになった。
本来ならば大名家の血筋であり、正式な姫として扱われるべきところであろうが、公に身請けをしたわけではないから、そうした扱いは難しかった。
名は玉姫でも名香でもなく、お香と変名を用いた。奇しくも実の母と同じ呼び名であった。
藩邸の生活が始まって暫くして、利章は輿入れの話をそれとなく持ち掛けてみたが、お香は固辞した。
その様子では、一生未婚を貫く決意のようであった。
なぜそのような考えに至ったか、お香の口からは語られることはない。
これからはひっそりと風雅の道に暮らすことを選んだようである。
それがお香の考える幸せな生活であったのかも知れない。
お香が戻ってきてからそう日の経たないうちに、利章は実母保寿院の忌日にかこつけて、お香と共に広徳寺にある前田家の墓所へと向かった。
公式の墓参なので、大勢の家来を引き連れているのが、却ってお香が紛れるのに適していた。
広徳寺に着いて輿から降りてきたお香は、武家の奥方のように地味な着物を身に着けており、その女性がかつての名香太夫だと気づく者は誰もなかったようである。
利章が大名として先頭に立ち、香華を手向け墓石に向かって手を合わせる。
大勢居並ぶ家臣の一人として、遥か後ろでお香も瞑目して手を合わせている。
お香の眼からは、一筋の涙が流れ落ちた。
その姿を遠巻きに、兵助・清三郎・市之進の三人が、雲厳老師と共に見ていた。
三人には、在りし日の采女とおこうと玉姫が、仲睦まじく笑っている姿が見えるようであった。
帰り際お香は、遠くから兵助に対して深々と頭を下げた。
名香落籍に際して、兵助・清三郎・市之進の獅子奮迅の働きは、大いに評価されるものであった。
兵助には利章直々に銀十枚と小刀が下賜され、清三郎にも銀五枚が下賜された。
市之進は加賀本家大聖寺家双方からの推挙もあり、過去の過ちを赦され見事越中富山前田家への復帰が叶うこととなった。
市之進に所縁のある者一同諸手を挙げて喜んだが、これに唯一難色を示した人物がいる。
それは誰あろう娘のさよであった。
「お父様がお屋敷に戻ったら、さよは町方へはお嫁に行けなくなるのではないですか?」
と、真剣な顔をして困っている。
さよが市之進に意見するのは、ひょっとするとこれが初めてかも知れない。
これには父の市之進も思わず嬉しくなった。
そしてその発言の真意を察し、
「町方でも父の眼に適った者ならば士分に取り立てて婿入りして貰えばいい」
と笑った。
続編【自在之棋士〈二〉連理の棋】へ続く
よく読んでいただけると分かりますが、市之進の妻=さよの母は、高名な蒔絵師の娘で、名香太夫の母おこうの父は、高名な蒔絵師の次男となっていて、実はさよと名香太夫は血縁があるという裏設定があります。
市之進父娘の設定は、落語柳田格之進へのオマージュです。




