第二章 上方からの棋客②
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佐吉が先導をしながら、兵助と長兵衛は連れ立って、早朝の八幡宮を抜けて洲崎へ向かった。
洲崎は深川東の海岸線をずっと行ったところにある。
土手を行く佐吉の足取りは焦りを隠せないが、兵助はのんびりしたもので、さながら物見遊山にでも行こうかといった趣きである。
長兵衛は兵助の手を引いて、傍から見れば洲崎弁天へお参りに行く祖父と孫のように見えたろうが、その長閑な見た目とは裏腹に、長兵衛の顔は緊張で引きつっていた。
おさきに向かって啖呵を切って同道したはいいが、上方の棋客が無頼の徒であった場合を想像して、段々と不安になってきたのだ。
この頃の洲崎辺りは、まだ門前町も発展しておらず、よしず張りの茶屋や屋台が並んでいるばかりだった。
それでも風光明媚な景観だったようで、『江戸砂子』には「当境内は海岸にさし出、ひがしは房総の遠山浪をひたし、南は羽田・鈴の森、乾は江城うづたかく、いづれの山と問はざる高嶺の雪、北はつくばねのかすかにして佳景の地なり」と当時の情景を伝えている。
兵助たちが洲崎弁財天に着いたのは、もう五ツ刻を過ぎた辺りだった。
弁天裏のお堂は、広々と開けた表参道に比べて、どこか陰気な空気が流れている。
長兵衛が外からそっとお堂の中を覗き込むと、蝋燭の光がぼうっと中を照らしているのが見えた。
人の気配があるような気もするが、その姿は確認できない。
三人はお互いに顔を見合わせて、頷き合ってからお堂へと入った。
暗がりの中を眼を凝らしてみると、床に二つの人影が転がっている。
「ひゃ~っ」と、長兵衛の情けない声が、堂内にこだました。
すると、その声に反応して、一つの影がむっくりと起き上がって、
「おう大家さんに兵助か。よく来てくれたな。さっきまで将棋を指してたもんだから、眠くなっちまって横になってたところよ」
影の主のひとつは清三郎だった。
存外に明るい声で、もっと深刻な状況を想像していた長兵衛は拍子抜けして、
「なんだい脅かすんじゃないよ。あたしゃ清さんが死んでるんじゃないかと思って肝を潰したよ」
「勝手に人を殺すんじゃねえや。生憎ぴんぴんしてるよ」
「そいじゃ清さん、将棋勝ったの?」
「———いや」
清三郎は大きな伸びをしてひとつ間を開けてから、
「負けちまったよ。情けねえがな…」
悔しさを噛み殺すようにして言った。すると兵助は、
「棋譜覚えてる?」
と、むしろ眼を輝かせながら聞くのだった。
棋譜とは、将棋に於いて、互いの対局者が指した手を順番に記入した記録のことをいう。
或る程度の棋力があれば、自分の対局の指し手は初手から覚えているものであり、その棋譜を覚えていれば、対局の再現も容易になる。
即ち、棋譜を見ただけで対局者の実力すら分かってしまうのである。
「ああ覚えてるぜ」
清三郎はそう応えると、床に置いてあった盤を引き寄せ、初手からパタパタと並べていった。
兵助はその駒の動きをじっと見つめている。
清三郎が投了の局面まで並べ終わると、兵助は頷き、ひとり何かを合点しているようだった。
そんな兵助の様子を見て、清三郎もホッと安堵したような表情を浮かべた。
「そいで、今どうなっているんだい?」
兵助は声を潜めて清三郎に聞いたつもりだったが、後ろの方で、
「そのにいやんが一両の負けだっせ」
声がして、もうひとつの影がのっそりと起き上がった。
「あんさんら、金持ってきてくれたんやろ?はよ払てくれへんか。このにいやん、今は金がないて泣きごと言うてんねん。一両の金言うたら大金や。貸して大坂へ帰るわけにはいかんさかいにな」
厳しい言葉とは裏腹に、その声の調子は意外と明るい。
賭け将棋を生業にする男と聞いていたので、兵助はもっと陰気な将棋指しを想像していたが、男の表情は明るく、どことなく充実感が漂っている。
清三郎に勝ち、首尾よく金を手に入れられるからだろうか。
「ちょっと待ってくれ。もう一番勝負をさせてくれねえか」
まくしたてる大助の言葉を遮って、さすがに少し遠慮がちに、清三郎が言葉を挟んだ。
「なんや?あんさんさっきわいに負けたやないか。今度は平手でやりまひょとでも言うんか。やるなら三両は張ってもらわんとかないまへんで」
「三両張ってやるよ。だが指すのは俺じゃねえ」
「ほなら誰でんねん?」
「———こいつだ」
清三郎は、兵助を指さして言った。
「あんた正気でっか?わいをこけにしとるんか」
大助は驚きというより、不快感を露わにしている。
「こけになんかしちゃいねえ。おめえがこいつに勝ったなら、三両耳を揃えて払ってやるって、こう言ってんだ」
清三郎の口調は自信に満ち溢れている。
だが大助のほうも、清三郎の気性はもうある程度承知しているから、その言い方からきっとこの少年がただ者ではないことは何となくわかる。
負け戦を挑むつもりは毛頭ないが、兵助の棋力とは別に、大助の頭の中には引っかかることがあった。
少し神妙な顔をして思案したかと思うと、
「あかん。わいは餓鬼とは指さんのや」
「なんで餓鬼とは指さねえんだ?あんたくらい強ければ餓鬼なら簡単に勝てるだろう」
清三郎としては兵助の出番がなければ拙いので、簡単に折れるわけにはいかない。
一方の大助は直ぐには反論せずに、何かを言い淀んでいる。
俯いたまま何事か思案し、中々返事をしようとしない。
「お金ならここにいる大家さんが払うから心配いらないよ」
大助の応えが遅いのに焦れてか、兵助が先回りして言った。
「大家さんはこれでもおれたち町内の顔役なんだ。だから三両の金くらい、借金してでもこさえてくれるよ」
「なんだい兵助藪から棒に。あたしゃそんな話は聞いてないよ。お前らが心配だからここにやって来ただけで、金を出すなんて一言も言った覚えは———」
「それともおれと指して負けるのが怖いの?」
長兵衛を無視して、兵助はニヤリと笑って言った。
兵助としては、大助を挑発したつもりだった。
だが当の大助は、少し苦笑をしただけで、穏やかな口調をして、
「金の問題やない。わいは餓鬼とは指したくないんや。そのぼんさんを見てると、生意気で昔のわいを思い出すようでかなわん」
さっきまでの威勢のよさが消沈し、表情にはどことなく陰が差している。
兵助たちも拍子抜けしたような思いで、堂内には寒々しい空気が流れた。
重々しい沈黙の中で、兵助はじっと大助の眼を見つめていた。
どうしても大助との戦いを諦められなかった。
一方大助の双眸には、迷いと闘志の両方が同居している。
そして遂に大助のほうが根負けしたようにして太い息を吐いてから、
「よっしゃ。そこまで言うんやったら指してもええで。後悔しても知らんで」
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実はこの炭屋大助、上方では少しは知られた将棋指しであった。
『将棊図彙考鑑』という書物に、享保元年大坂にて、炭屋大助十四歳と平野屋藤蔵十五歳が平手にて勝負し、大助が勝ったという棋譜が載っている。
この時代に素人同士の棋譜が残っていること自体が稀であるが、それも少年同士の対局が残されているのは極めて珍しい。
実は大助と藤蔵の二人は、強豪少年棋士として、上方では有名な存在だったのである。
享保元年に十四歳だから、大助は、兵助たちと出会ったこの時二十六歳。
棋士として一番成長できる時期ではあるが、江戸に出てきた理由は武者修業などではない。
大助は「炭屋の大助」と名乗ったものの、実はもう既に炭屋との縁が切れている。
炭屋と言えば、当時上方では知らぬ者のいない大店である。
初代が炭問屋として業を興し、二代目の時に廻船問屋へと転業をして大成功を収め、三代目の時代には両替商へと転身し、徳川幕府へ御用金一万両を命ぜられるほどに材を成していた。
転業した今でも、屋号は創業の頃のまま炭屋と称していた。
店の主は代々炭屋五郎兵衛を名乗り、当代の五郎兵衛はその三代目となる。
ちなみに、大助と対局をした棋譜の残っている藤蔵の平野屋は、同じく大坂の大店で、大坂町奉行より鴻池、天王寺屋に並んで十人両替仲間に任命された、平野屋五兵衛の店であった。
大助は、かつてその炭屋の奉公人だった。
炭屋のような大店では、大勢の奉公人が住み込みで働いている。
大助も幼少の頃から奉公に出され、そこで仲間内で将棋を指すうちに、見る見るうちに腕を上げていった。
そんな大助の評判を聞きつけたとある版元が、天才少年棋士として喧伝し、その棋譜を販売したのがきっかけで、その名声は京坂中に広まったのだという。
僅か十四、五歳の少年が、天才と周囲からおだてられるうちに、将棋にばかり熱中し、奉公に身が入らなくなるのは自然な流れであったろう。
そんな大助が、店から暇を出されるのもまた当然だった。
この頃の奉公というものは、商いの修業期間という意味合いが強かったため、丁稚の内は給金が出ることはなく、単に衣食住が保障されているのみだった。
だから、一度奉公先を追い出されてしまえば、直ぐに食うや食わずの生活が待ち受けている。
大助が日銭を稼ぐために、賭け将棋に手を出したのは、想像に難くない。
既に上方では名の知れた存在であった大助は、最初は少年棋士の物珍しさから多くの勝負を挑まれたものの、そのうちに勝ち過ぎて疎まれるようになった。
天才と称されただけあって、そもそもの棋力が、そこいらの素人とは違うのである。
やがて大店の旦那衆へは廻状が出され、大助と将棋を指すことが禁じられるようになってしまう。
上方での稼ぎ場を失った大助は、郊外の名主や商店主を相手に小銭を稼いで暮らすようになる。
やがて、印将棋をしながら旅を続ける無宿人のようになり下がってしまった。
いくら在郷の強豪とは雖も、京坂のような都市で修業をした者とは、その力は雲泥の差だ。
カモとばかり指していくうちに、いつしか大助も将棋に対する情熱を失い、棋力も段々と鈍っていった。
今ではもう、天才少年と言われたあの頃の切れ味は残されていない。
かつては江戸へ出て将棋の修業をする野心もあったが、今となってはその気持ちも萎み、せっかく江戸へ来ても、旦那衆を相手に金を稼ぐことばかりに躍起になっていた。
そんな生活に飽き飽きしていたせいもあって、「江戸の将棋指しは取るに足らない」と口を滑らせたのだが、その発言を聞きつけた清三郎の登場は、大助にとって思いがけないものとなった。
いつもは金の為にしか戦わない大助であるから、当初は清三郎のこともカモと看做していた。
だが一旦盤を挟んでみると、清三郎の将棋は、そこいらの旦那芸とは格が違うことに直ぐに気がついた。
大助にとって、清三郎との将棋は、久々に気持ちの入った真剣勝負だったのである。
そして兵助が現れた。兵助を見て、昔の自分を思い出したというのは、大助の本心であろう。
天才少年と呼ばれたあの頃を思い出し、血沸き肉躍るような興奮が、身体の中を駆け巡るのが分かった。