第七章 遊女名香③
その気持ちが揺らいだのは、大聖寺候の身請け話を聞いてからである。
或る日、身分卑しからぬ武士が、中万字屋へと登楼した。
揚屋では名香を是非にと指名し、その為にかなりの金子をはたいたというが、登楼してからは、酒を所望するでもなく芸者を揚げるわけでもなく、しわい金の使い振りであった。
参勤交代で地方から江戸へやってきた勤番武士は、野暮の代表として廓内で軽視されていたのだが、この侍も、或いはその類かに思われた。
だがこの飄々とした中年の武士は、いかにも落ち着き払って、名香に何を要求するでもなく、座敷でも一言も言葉を発することはなった。
名香にはそれが余計に不審に思えた。
吉原では、遊女のほうに客を選ぶ権利がある。当然名香も、この客を初会で振る気でいたから、ずっと気のない態度でいたが、客のほうはそれに対して特に不満な様子を見せることはなかった。
武士は基本的には外泊を禁じられているが、この侍が登楼したのは夜見世なので、藩に許可を得て吉原へ来ているのは推測できる。
名香ほどの傾城を、一日買うだけでも大金が必要なのに、それを無駄にしてまで登楼してきた意図が分からなかった。
やがて夜が更けて、他の部屋が寝静まった後、武士は楼主勘兵衛を呼びつけて言った。
「身共は大聖寺前田家江戸家老生駒監物と申す。この度は主君備後守が命を受け、隠密にここへ参った。仔細申すわけにはいかぬが、金千両にてこの名香太夫の身請けがしたい。だが聞くところによると、彼の大和屋茂右衛門も太夫の身請けを請うているというではないか。金銭の多寡では到底敵うまいが、我らも町奉行へは顔が利く故、曲げて千両の金にて承知願う」
これを聞いて勘兵衛は顔色を変えた。生駒監物の意味するところは、千両の金に不満があるならば、吉原を管轄する江戸町奉行へ何らかの圧力をかけ、営業を妨害することも可能と仄めかしているのである。
勘兵衛はこの時角町の町名主も兼務していたから、これを機に奉行所の締め付けがきつくなるようなことは、同町の見世のためにもどうしても避けたい。
千両と言えば悪い金額ではないから、大聖寺家へ従ったほうがいいだろうと、瞬時に算盤を弾き判断した。
だが監物は次のようにも続けた。
「大和屋も天下一の商人。そう簡単には引き下がるまいことは承知しておる。大きな声では言えぬが、多額の袖の下を用いて御公儀への差し響きも強いと聞く。我らも公儀より目を付けられることは避けねばならん。なるべく事を穏便に済ましたい故、大和屋も得心する形で進めたいが、いかがであるか?」
「は、はい。手前どもも金額の多寡で身請け先を決めようとは一切存じておりません。これはここだけの話でございますが、太夫も大和屋に身請けされるには迷いがあるようで。ただ仰る通り、大和屋は何をやって来るかは分かりません。上手く取り計らうようにはしますが、お侍様に何か妙案がございますか?」
「む、それは未だ何も決まってござらぬ。二、三考えはあるが、それを行うには時期尚早。まずは相手の出方を見つつ才覚致すつもりじゃ」
この日以来武士の登楼はないものの、大聖寺家は水面下では様々な動きをしているようだった。
茂右衛門はこれまでに増して吉原通いを続け、世間では名香太夫の落籍は間近ではないかと噂されていたが、勘兵衛が年季が明けないことを理由に身請けの話を拒んでいたため、内心では焦りを募らせていた。
大聖寺藩第四代藩主前田備後守利章は、『将棊図彙考鑑』にて四段に列されている将棋の全国的な強豪であった。
併し今日では、放蕩三昧の生活をし、藩財政を悪化させた暗君という評価が一般的となっている。『大聖寺藩史』には、利章の項には次のように書かれている。
「日々遊惰を事とし、将棋その他の遊芸に耽り、政事を放擲する等見るに忍びざるものあり」
利章の将棋好きは相当なものだったようで、『蓬君日記』には「享保五年十一月廿三日、伊藤宗印親子被来、二汁七菜之御料理出。公将棋七段御手直証状持参也」との記述がある。
当時は大聖寺家中にて上士から下士に至るまで将棋の流行甚だしく、当時の五世名人伊藤宗印が直々に利章に七段の免状を授けたと記されている。
当時の最高段位は八段で、それが許されるのは基本的に準名人だけであったから、七段ともなれば名人に香落ちで相手になるという手合いである。
果たして四段か七段のどちらが真実かは分からないが、名人伊藤宗印と、その子である若年の三代宗看の二名が、直々に利章の元を訪れたのは間違いなく、その実力と棋界における影響力は相当なものであったことが伺える。
利章は確かに放蕩三昧の生活をしていたらしいが、それは主に連日酒席を設けることであったり、政務を蔑ろにして将棋に熱中したりで、傾城買いに勤しんだという記録は残っていない。
現実に中万字屋のほうでも、利章が登楼したことは今までなかった。
だから、何故利章が名香を落籍したいと言い出したのかははっきりしない。
考えられるのは、将棋好きが高じて、同じく優れた女流将棋指しである名香を、大名道具として手元に置いておきたくなったということだろうか。
利章が名香の落籍を画策しているという話は極秘であったはずだが、どこからか茂右衛門にも漏れ伝わった。
名香の人気を妬んだ先輩女郎が、盗み聞きでもして茂右衛門に告げ口をしたのだろう。
この時の茂右衛門の怒りは相当なもので、
「おい、大聖寺候がお前のことを身請けしようとしてるって話は本当か?」
「さあ…わっちはそんなお話は知りませんえ。備後守様ともお会いしたことはありませぬ」
「隠したって無駄だぞ。お前を身請けするのはこの俺だ。誰にも負けやしねえ。侍がなんだくそったれめ!」
茂右衛門が露骨に侍と大聖寺藩を憎むようになったのは、この頃からである。
*
————そして現在
「俺にはもう残された時が少ねえ」
茂右衛門は虚空を睨みながら、誰に聞かせるとはなしに呟いた。
名香には、この言葉の意味することが分かっている。
茂右衛門は病に侵されているのだ。
長年の不摂生が祟ってか、眼は落ち窪み、頬はこけ、顔色は土のようである。
それでも名香に対する執着なのか、それとも生きることへの渇望なのか、茂右衛門の利章への敵愾心は更に燃え上がり、鬼気迫るものがあった。
名香は、茂右衛門が生き急いでいる様な気がしてならなかった。
そんな茂右衛門に、名香は僅かばかりの同情心が芽生えていた。
この人もきっと、本当の幸せを知らずに生きているのだろう。
生い立ちは違えど、心に傷を負った者同士なのかも知れない。
今はもうお互いに惚れ合う気持ちはないけれど、一度は夫婦になろうかと思った人である。
その因縁に報いて、ひとつある機会を設けようと名香は思った。
名香はいつまでも、そういう慈悲深い女性だった。
「ねえ…。ぬしが大聖寺様と将棋を指して、ぬしが勝ったらわっちはぬしのところへ身請けされましょう」
今まで運命に翻弄され続けてきた人生であったから、ここでもあの香車駒の導きに懸けてみようという気持ちになったのである。




