終章
すでに道場で紀雷に勝てる者はいなくなっていた。
その面影にかつての幼さは消えていた。弱さを自覚していながら鍛錬しないものに対しては容赦しない。
研ぎすぎた刃のような危うさを、名実ともに道場主となっていた帆風は感じていた。
目録になったら道場を元の持ち主の娘に返す。
それは七原、陣馬と交わした約束だった。しかし、このままでは遠からず門人は消え、道場の経営はたち行かなくなるだろう。それでは返したことにはならない。
願わくば昔話のように、父を亡くした子が幸せを得て、いつまでも暮らしていけるようになってほしい。
「秘剣ですか」
道場主に呼ばれた紀雷は、興味をそそられる言葉だった。
「左様。先代から受け継いだ秘剣。『飛鳥返し』のことを聞いたことはないか」
「ありません。帆風が知っているのですか」
「いや、当時は力が足りなくてね。かわりに陣馬が受けた」
「陣馬が」
目の色が変わった。
陣馬が逐電して三年がすぎようとしていた。いまだに悔やむ夜がある――。
「いいかい、陣馬。このまま君は城下を抜けなさい。君は今までの辻斬りの下手人となって逐電するんだ」
知り合いの医者をたたき起こし、陣馬の手当をさせながら、帆風は急いでいった。
当の陣馬といえば、出血がひどく憔悴していつつも、その言葉にいちいち首肯した。
「京路は今までの辻斬りにあって殺されたとする。同じ翡翠流だ、わかるはずがない。だが、同心は道場を調べに来るかもしれない。そこで大けがの陣馬を見られてはややこしいことになる。京路の家の格からいって、身内から辻斬りを出したとあれば、当主は蟄居閉門、取り潰されてもおかしくない」
「俺は……そこまで考えずに斬ってしまった」
「ああ、陣馬。それはいい。それでいい。辻斬りがいなくなって、これ以上殺される者がいなくなるのが一番だ。だが、京路の家まで潰すことはない。道場にあらゆる人が関係しているように、士の家に関係して暮らしている人がいる。その人たちまで京路とともに殺すことはない」
帆風の計画は、事件を丸く収めるために、下手人が姿を消して百本斬り事件が煙のように消失する結末だった。そのために竹馬の友を、人身御供のように売らねばならない。
帆風は泣いていた。泣いて詫びていた。三人で決めた約束した未来がやってくる道が救われると頭でわかっていても、感情は耐えきれなかった。
帆風は三人の中で一番弱かった。
翌日、陣馬は這うように城下を後にした――。
「その陣馬の秘剣を習得したら免許皆伝だ。これはね紀雷。あとで道場を継ぐ者だけの試練だ」
「わかりました。それで陣馬は今どこに」
「時候の挨拶が届いているわけでもあるまい」
陣馬の逐電先はだれにもわからない。ただ漠然と「南へ……」という思いが、残された者にあったにすぎない。
「翌日、立ちます」
「急ぐものではない。旅は初めてだろう。その準備と指南をまずは受けなさい」
まるで敵討ちに送り出すような気持ちだった。しかし、国を巡って標的を探すことにはかわらない。武者修行を経て、少しは研ぎすぎた刃が丸まってもらいたい狙いもあった。
だが、真の目的は。
「紀雷、必ず陣馬を見つけて、ここに連れて帰ってきなさい」
そうして三人で、仲良く道場を運営しながら、幸せに暮らしましたとさ。そんな結末を帆風は望んでいた。
そのためなら、架空の秘剣を友に押しつけることもいとわない。
(了)