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秘剣飛鳥返し  作者: メイロング
6/7

決戦

 だれが手を下したかはわからない。つまり、だれが下手人でもおかしくない。


 しかも七原を超える力量がある。中に何が入っているのかわからない箱に手を突っ込む前のような不安が陣馬の首元を漂っていた。


 今、稀代の名刀が腰にあった。


 これ以上ない上等の餌が香りを放って、飢えた獣をおびき出す。


 夜は獣にとって挑むも退くも好都合。状況は圧倒的に陣馬に不利だが、明晰な頭脳による推理がおぼつかないなら、その身を危険にさらすしかない。


 まずは道場で門下生を前に見せつけた。下手人に名刀の存在を見せつけ、その日のうちに釣り出そうとしたが、初日は現れなかった。


 二日目も無駄足だった。


「くるなら早くて三日目。それまでは花魁道中のように見せつけて歩きなさい」


 そういって帆風は宝である大朽縄(おおくちなわ)を預けた。


 先日負けた相手だ。今度も負けて刀は折られるかもしれない。


 そんなことをまるで思いつきもしないような顔で送り出した、


 帆風の真意は陣馬には見えてこない。


 だが釣り針の役目とは、餌とともに深い海の中で獲物がかかる時を待つことだ。海上で待つ人の心情を図らなくともよい。


 それでも大きな獲物を持って帰ったら、喜んでくれるだろうか。


 そう思わせる男なのだ、帆風とは。


 道場でも教え方が抜群にうまい。相手の可能性を、相手の想定以上に引き出せる。


 なら今のままでは……。陣馬は柄頭を握って奥歯をかんだ。


「今のままじゃあまた負ける」


 その言葉はくちびるから出る手前で溶けて消えた。

 

 がちり。


 敵意をこめて鯉口が切られ、無音の中を白刃が伸びていく。


 餌の匂いに引きつけられて、野獣がとうとうやってきた。


「ほう……」陣馬は息をついた。


 意外と言えば意外だが、誰が来たところで意外なのだ。


 今宵は明るい月光の下、辻斬りの足下から影が伸びている。


「こんな時間に珍しいな」


「珍しくはありませんよ、陣馬先生」


「そんなことはない。もう寝てる刻じゃあないか」陣馬は腰を沈めて鞘の先端、(こじり)を上げた。


 尋常の刀のようには抜けない。


 上半身を傾け、居合い抜きに耐える軸足を一歩前へ出す。


 そうして今一度、七原をあやめた下手人の姿を、その視界に収めた。


「ちがうかい、京路(きょうろ)


「眠れないんですよ。胸がざわついて、寝てるどころじゃない」


 刀を抜く手つきも板についていない。


 まだこの子供が辻斬りとは思えないところはあった。しかしこの時この場に立っている事実は動かない。


 刀の構えすら震えているような京路が、七原を討ったのだという事実。


「陣馬先生、わかりますか。ありえない大目標が、日々の積み重ねでいよいよ手を伸ばせば届くところまでやってきた。めどがついた喜びと下手を打てば逃がす危うさで、肌の下がむずがゆい感じがするんです」


「知らんなあ」


 急な抜き打ちが両者の間で爆ぜた。先に仕掛けたのは陣馬。されど大朽縄はついに抜けなかった。ゆえに鞘に収まったまま、木刀のように振るった。


 なのに、それを受け止め、押し返したのは京路の方だった。


 そんな力がどこにあるのか。だって相手は


「まだ子供……」


 まだ。


 子供剣士を前にしたとき、人は次のように考える。


「こんなに強かったら、大人になったらもっと強くなるにちがいない」


 成長の矢印は未来に向かって走っている。必ず。


 常識で答えが出ないなら、常識を疑うしかない。


「京路」陣馬はいった。


「おまえは何のために剣術をしてる」


「それはもちろん――」


 内側からの圧力に耐えきれず、めきりめきりと袖がほどけていく。


「今よりもっと()()なるためですよ」


 京路が袖をひきちぎった。


 ふくれあがった肉がよじれて絡み合い、肘と手首が偶然に形作られ、指の自覚なき五指はそりかえって月をつかまんとする。


 異形。恐ろしく長く太い腕。鬼の腕が生えていた。


「業病です。けれど両親は、悲嘆して座敷牢で朽ちていこうとした私に剣術を学ぶ機をくれたのです」


「それ以上に強くなってどうする」


「逆ですよ、先生」指が内に食い込み、拳を作った。砂漠を走る鳥の頭に似ていた。


「この力を縛り付ける力がほしいんです。飢えた獣のような力じゃだめなんだ。何千という人が積み重ねてきた力の体系でなくては!」


 名刀試しの辻斬りではない。立ち塞がるは圧倒的な力と翡翠流の剣。


 こんな化け物が最後の相手とは、七原も浮かばれまい。


土佐妙字(とさみょうじ)……」


 七原の愛刀は、今、京路の手にあった。


「丈夫そうなので、使っているんです。これはいい。いや、実に名刀ですよ。これは」


 京路はまっすぐ刀をあげ、薪を割るように振り下ろした。


「ほうら、こうまでしても折れない。粘り強い剣です。だからこれは百本目に折ろうと思います」


 初めて京路の口から「百本斬り」の言葉が出た。


「時に京路、百本斬りはなんの願掛けなんだ」


「誰かに漏らしては願掛けになりません。それに男子の大望など、君への忠義でなければ、あとは父母への感謝くらいでしょう」


「紀雷に聞かせてやりたい台詞だな」


 たとえば、そう。病をえた夫婦、その原因不明に医師がさじを投げ、加持祈祷も効験なし。力を持て余していた京路は百本斬りに一縷の望みを託すのでした。と、場末の講談師なら説くかもしれない。


 実際ひとりの男が他人の命を次々と斬って捨てていくのだから、よほどの理由があるにちがいない。


 だが、陣馬にとって


「どうでもいい」


 のである。

 

 今、陣馬にあるのは翡翠流の剣術と、大朽縄。そして……。


 その脳裏に浮かぶのは、道場の面々。たいしたこともない自分を先生と呼んでくれる門下生たち。三人のうちで最も大人の風をもつ帆風。妹というより娘のような紀雷。


 仮にもしここで自分が(たお)れたら、京路の凶刃はあとの残された者たちに襲いかかるかもしれない。刀さえ帯びていれば対象だ。


「それはいやだ」陣馬は顔をゆがませた。


「それはいやだな」


 相手が異形だろうと、いやなものはいやなのだ。


 大切な人を殺されるのは、誰であってもいやなのだ。


 ここで食い止められるのは自分だけ。


 自分の手札は、経験と、名刀と、絶対に譲れないものと。


「なんだ、三つもあるじゃないか」


 陣馬は腰を落として構えた。ゆがんだ顔は余裕を得て、笑みに変わった。

 

 京路には弱点がある。


 まず京路の剣は力任せだ。形こそ翡翠流だが、その技は稚拙であらが多い。打ち込める隙はある。


 第二は、その強さの中身だった。


 虫の手足をもぐような、自分が何をしているのか理解していない不気味さが、その強さにはある。


 この場合の「理解」とは社会の不文律だ。


 生まれ落ちた人ははじめ、なにも描かれていない画布のように自由である。まさに京路はここにある。


 だが、年を経るにつれて「あれはすべきではない」あるいは逆に「こうあるべきである」という、社会の影響を受けた行動の指針のようなものが画布を埋めていく。


 剣の使い方、というものも、その一つだった。


 そこに陣馬は一日の長を見たのである。


 もし京路が剣を捨てて殴りかかってきたら、そのときこそ陣馬の勝ちは消失する。


 剣士として同じ土俵に立ってくれていることが、両者の力の差を縮めている。


 これは大きい。

 

「では陣馬先生、一手ご教授を」


 言葉尻は剣の風にまかれて消えた。


 京路の袈裟斬り。陣馬は大朽縄を縦に構えてその勢いを受け流した。


「ならば翡翠の形です」


 鋭角に転換して逆方向に斬りかかる。どこの流派にもあるが、翡翠流は流派の名にまで高めてある。


 それを京路の怪力で行うのだ。七原とて初見では防ぎえなかった。


 だが陣馬は初見ではない。友の遺体が教えてくれていた。


 先ほどまで大岩のように受け流した大朽縄は、その巨躯に似合わず反転し、京路の刃に空を切らせた。

 

 その形は同じ翡翠の形。

 

 ただし、向きがちがった。

 

 縦に、横に、上下にさえちがう。年を経たカワセミは、天の魚を捕らえて地に戻る。


 大朽縄が鞘ごと京路の側頭部を打った。京路の体が吹き飛び、遠く天水桶が派手にひっくり返った。


 想像以上にうまくいった。帆風の預けた刀は、いまだ「かなり長い棒」としてしか扱えていない。


 それでも渡り合えている。


「京路」陣馬は濡れ鼠で立っている門下生にいった。「二本目だぜ」


「はい、先生」


 その声音からは、すでに痛手はみられない。当たったときに自ら飛んでいたのだろうか。


 京路は正眼に構えた。道場で何度か立ち会ったが、今では逆に不気味に感じる。


 気勢をあげて、打ち込む。尋常。どこまでも尋常の打ち込み。陣馬も鞘のままそれに合わせた。跳ね返されれば、すぐさま逆袈裟に第二撃。これも長い大朽縄が間に合う。跳ね返された勢いを利用し、今度は袈裟に斬りかかった。陣馬は刀を背負うようにしてこれを受けた。じょじょに早くなっていく。第四は突き。これを避けるとき、陣馬の刀が初めて顔をのぞかせた。第五の抜き胴の速度に出会った大朽縄はその姿をぼろぼろの鞘から解き放った。しかし、その白刃は空を切った。京路の刀が頭上から襲う。陣馬はとっさに鞘をもって当たったが、中身のない鞘はその押しを受け得ず、ついに京路の刃は相手の頭部をとらえた。


 頭を焼け火箸がつらぬいたようだった。陣馬は顔の横に手を当てた。重い血の塊が顔を滑っていく。耳ごと皮一枚を持っていかれたとわかったあとは、逆に胸中に一服の安らぎをえた気がした。頭蓋の丸みで助かったか、まだ頭は響いていたが致命傷ではない。だが視界の半分が流血で侵されている。


「さあ、先生」再び京路は正眼に構えていた。「三本目です」


 押さえていたところで耳が生えてくるものでもない。陣馬は抜き身の大朽縄を脇に構えた。


 先ほど鞘から抜くことができたが、それを超える京路の速度に対応できなかったほうがずっと問題だった。血が噴き出しているのか、異様な音がずっと体の底で続いている。


 京路は大上段からまっすぐ切り下ろしてきた。道場に入った者が最初に学ぶ動き。剣の才のあるなしに関わらず、だれしも毎日のように続けている。


 京路もその例に漏れない。


 いや、才がないだけ、おごらず、地道に続けてきた回数は、上級者に負けない。


 視覚と聴覚の不完全な陣馬の右肩をとらえ、そのまま筋をえぐり、骨を砕き得た。剣は右腕を切断し、もう一本に向かったその時である。


 残った左から繰り出す逆袈裟。京路の空いた腹に深々と食い込んだ。


 しかし、それは並の剣ではない。


 五世空瀬身(うつせみ)の鬼子、大朽縄の刃は厚く、長い。


 刀が相手から抜けるまで時間がかかる。京路の体は刃の上で転がるように切り続けられた。


 そうしてついに抜けきったあと、宙を二つの塊となって飛び、かたわらの水路へと落ちていった。


 始めに想起したのは空腹だった。


 帰って何か食べよう。


 踵を返すと、つま先がなにかを蹴った。先ほどまで肩に付いていた、陣馬の右腕だった。


「しかたあるまい」


 あとで取りに戻るとして、大朽縄を引きずりながら陣馬は帰路についた。


 今まで話していた京路がもういないことが、にわかには信じられなかった。


 やるべきことはやったのだ。頭がぼんやりとして、今はそれ以上のことは考えられなかった。

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