獅子
遠い鐘の音が夕日を西へと追いやっていく。
「何年ぶりかね、こうして並んで歩くのなんて」
いつのまにか帆風よりずいぶん体が伸びてしまっていた。
同じ道を歩いているはずが、自分のなすことを続けていたら、じょじょに歩く道はちがってきたのかもしれない。
それが体格に現れてきているとは言い過ぎだろうか。
「帰りは三人に戻るさ」
「そうだね」帆風の息のつき方が変わった。
「陣馬」左手が鍔に触れる。
「おう」
ふたりともすでに構えている。
鞘に収まった刀の先端、鐺が天を向くばかりに前のめりに傾いで、開始の合図を待っている。
前に出した足は全身を躍動させる瞬間を求めている。
なにより口元、その笑みこそが翡翠流。
日はすでに落ちた。道の陰、屋根の陰から夜がにじんで、人の顔や輪郭を溶かしていく。
ゆえに「誰そ彼時」と人はいう。
道幅は三間あまり、足音がしないのは裸足だろう。
帆風が先に鯉口を切った。
七原の土佐妙字におとらぬ、五世空瀬身の業物、号、大朽縄。
はじけるように飛び込んできた一撃を抜き合わせたのは、陣馬のほうだった。
道場の試合とはまるで違う。獅子のあぎと。陣馬は刃から立ち上る血肉にぬれた吐息を顔に感じた。
おそろしい。あやまってしまおうという弱い心の部位は、どこかに置き忘れてきたかのように、はじめからそこになかった。
両肘に力を込めて、
「ぬうん」
と弾き飛ばし、もし相手に第二撃があれば易々と胸を突かれる可能性もあったが、さも当然とばかりに袈裟に斬ったが手応えはない。
陰の獅子は煙のごとく消え去っていた。
「陣馬、あれがそうか」
帆風が肩をつかんでいった。
「あれが七原をやったやつか」
陣馬は刀を引き寄せると、刃がごっそり欠けている。
形こそ保っているが、まともに斬れるものではなくなっていた。
骨まで響いた衝撃の圧力と速度。
斬って殺すというよりも、金鎚で無造作に刀をたたき壊しにきた感じだった。
試合とも喧嘩ともちがう野生の殺し合いは泥臭く、劇的でもなんでもなかった。
たとえば落雷は時に獣の命を奪う。だが雷に殺そうという意思はない。それと似ていた。
これなら七原が討たれたことにも納得がいく。
無慈悲で圧倒的で瞬間的な斬り合いによって、友は果てたのだ。
問題は他にもある。
なぜ引いたのだ。
あのまま押し切れば、陣馬も帆風も始末できただろう。
「急に来たな」帆風も半ば興奮していた。「急に来たな」
「来た」陣馬はようやく返事をした。
生き延びたことに安心した心臓が今さら激しく脈打ちだした。これ以上に複雑なことを考え続けたら倒れてしまいそうだった。
いくら稽古を積もうと、実戦は別物とはよく聞く。だが実践で恐れる心を、はじめからなかったものとして消し飛ばしておく技術は、稽古によって身につけられる。
あらゆる武術の流派に通底するものだろう。
「この道はもう使わない方がいいかな」
帆風はあたりを警戒しながらいった。
すでに日は完全に落ち、遠くの店の提灯に火が入っている。
「夜道を七原かついで帰るのか」
「いや、灯りは跳火さんに頼んで、板戸に寝かせて運ぼうよ」
陣馬は今の一件を跳火の耳に入れておこうかと思ったが、結局やめにした。
「一度打ち合わせただけで刀もやられて、なにもできませんでした」
なんて話をしても面白くない。
だが、本当になんにもできなかったのか。
橋元の詰め所に向かう間、陣馬は命がかかった刹那を繰り返し思い出していた。