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秘剣飛鳥返し  作者: メイロング
3/7

紀雷

 帰ってくると(ひる)を食いにいく門人たちと行き違いになった。


 道場には二十人。朝と夜を含めれば身分を問わず五十人弱が通っている。


 その中で翡翠流の手を二つ三つ知っている者となると、十名ばかりにしぼられる。


 だが、どれも藩邸の役付きで、辻斬りなどすればただちに足が着く。


 なにより七原を討てる実力者なら、道場を開くなり新しい流派を興すなりしたらよい。


 挨拶を受けながら庭をまわると


「おっ……」


 飯の匂いに誘われてのぞくと、午前中の稽古を終えて汗を流し、空きっ腹を鳴らした紀雷(きらい)がまさに箸にのせた飯を口に運ぼうとしたさなかだった。


「いや、箸を下げずにそのまま食っていたらよい」


「そういうわけにもいかないのです。いかないのです」


 あわてて奥の台所へ走り、皿をガチャリガチャリといわせて大急ぎで飯の支度をしてくれている。


 もう少し年相応の娘らしくしてくれたら。庭先から直接座敷にあがりながら、耳障りな音に普段は考えもしないことを思う。


「そんな育て方をしてこなかったからねえ」帆風がいたら、そんな風に笑ってあきらめたろう。

 

 道場主が亡き後、陣馬、七原、帆風の三人は、すでに十七に達していた。


 分別がついた大人である。


 ひとりでは重荷でも、三等分すれば「なんとか背負えるだろう」と道場経営を継いだ。


 まあ、これはみずからが望んでしたことで、苦しいことは自業自得の覚悟があった。


 だが紀雷はそうではない。


 肉親を奪ったのが刺客なら仇討ちもできようが、病魔ではそうもいかない。


 魔は病に苦しむ隙も与えず、娘の元から大切な人を奪っていった。


 向こう見ずな三人は姉や妹などいなかったので、身近な女子の扱い方に苦慮したあげく、剣術に全部押しつけることにしてしまった。


「苦しかったら剣を振れ」


「胸がむかついて噛みつきたくなったら剣で噛みついてこい」


「四六時中、いつでも相手をしてやろう」


 そういうことになった。


 紀雷もわかりやすい形がよかったのか、喪失を埋めるように剣術に熱中していった。


 笑顔を取り戻した子供から、これ以上なにを奪うことがあろう。

 

 とは建前である。

 

 やはり娘は早々に嫁いでそこそこの幸せを得てほしいと、幾年月を経て兄というより父親然としてきた男は思うのである。


「おまたせしました!」


 そう、飯も汁も豆腐も漬物も、すべてをひとつの丼に入れてよしとするようでは、たとえ男であっても意見したくなる。


 だが、このように育ててきたのは自分たちなのである。


 困ったことに、朝から何も食べてきこなかった舌には美味に写る。


 もしゃりもしゃりと口に掻き入れていくと、紀雷が座を正してじっと見つめている。


 こういう場合は、こちらから「話してみろ」と水を向けない限り、ずっとそのままでいる。


「七原が死んだと聞きました」


「死んだな……」箸を止め、陣馬も向き直った。


「真剣で立ち会えば、七原でも命を落とす。相手がさらに強かったということだ」


「仇討ちなさるのですか」


「仇討ち……」


「なさるのですね」


 こっそり葬式を出して何事もなかったかのように済ます手はないようだ。


「まだどこの誰の手によるものかもわかっていない」


 相手が翡翠流を使うことはまだ伏せておく。


「わかったとたんに斬るのですね」


「そううまく事が運べば、まあ、そうなる」


 七原の弔いにもなろうが、それ以前に、個人的に試してみたい気持ちがわきつつあった。


 同じ翡翠流で、七原より強いのである。


 天井が抜けて、新しい空が現れた気分だ。


「新しい相手ができた!」


 親しい友が亡くなって悲しい思いの裏側に、不謹慎なほど事態を期待する心が隠れていた。


 父親然、などと自分をだましても、元々はなんか感じのいい棒を見つけては振り回していた子供でしかなかった。


 自分より強いものがいると聞けば、町の外まで出かけていったガキが、なにを一人前に落ち着いてみせていたのか。


 陣馬の中で、次善の策はすでに消えた。


 下手人を捜して、ぶっ(たお)そう。


「うまく運べば、そうなるな」


 口の端に笑みが浮かんでいた。


「師範代!」


 年端のいかない門人が駆け込んでくるが、ここに師範代は二人である。


「あっ、紀雷師範代のほうです」


「午後の稽古が始まりますので先に行きます」


 そういって手早く膳の上の空いた器を重ねていく。


「食べ終わったら台所に置いておいてください」


 膳箱を抱えて出て行ったとみるや、顔だけ残して


「あとで洗いますから置いておくだけでいいですよ」


「師範代!」


「今、いきます!」


 かねて時間に厳しい先生が遅刻してはたまるまい。

 

 紀雷の初めての役付きは子供相手の指南だった。帆風の考えだった。


「無我夢中で修行するのもいいけど、人に教えると足りない部分が見えてくるんだよ。人にきちんと説明できないなら、そこが自分で自分をごまかしていたところさ」


 相手が子供でも、新先生は精力的に務めた。


 かんしゃくを起こして怒鳴っても、相手は泣き出してしまう。


「それじゃ駄目だね」帆風は人にものを教える才に長けていた。


「どうしたらうまくいくか考えてごらん。前と同じやり方は避けることがこつだよ」


 そうして紀雷はひとつ上の階梯へ進んだ。


 相手がどれほど想定外な手に打って出ようと、大人の余裕が受け止める。


 時間の使い方がうまくなり、実際の剣にも無駄な動きがなくなった。


 七原の評は外れていたといえる。


 道場主の娘は実に剣術向きだった。

 

「俺も汗を流すか」


 帆風の体が空かなければ、遺体を引き取りにもいけない。


 その間、こちらは階梯を降りて、ひとりの剣術馬鹿に戻っていてもよかろう。


 残りの飯を掻きこみ、器は紀雷の分まできちんと洗い、道場へ向かう際にはもう責任感など放り出していた。

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