赤松と猫
当時私はまだ小学生でした。ひ弱で、と言っても、今も体格に優れているわけでもありませんが、その頃はもっともっと華奢で、色も白く、おまけに人と話すのも苦手でした。(皆さんは意外に思うかも知れませんが)外で遊ぶよりは、部屋の中にいて、お手玉や人形遊びをする方が好きでした。
私の家の周りには、猫がたくさん住んでいました。住宅街で、猫を見ると餌をやる隠居の老人や婦人が多かったからだと思います。飼い猫はもちろん、それ以外の、実質飼われているような野良猫もたくさんいました。
私にも、気になる猫がいました。茶と白の、白の方が強い虎猫でしたが、その猫は、他の猫とは随分違った性格をしていました。その地域に住む猫は、飼い猫も野良猫も、食事は人間にもらっていました。というのも、さっきお話ししたとおり、猫を相手にするのが好きな人たちが多く住んでいましたから、猫はそういう人たちに、よくかわいがられたのです。
ところが私の気に入っていたその虎猫は――野良でしたが、人から餌を貰うことがありませんでした。人にじゃれついたり、かわいらしい猫の声を発することもありませんでした。餌をねだってそうしている猫たちに一瞥を投げかけ、自分はネズミでも掴まえに行くのか、すたすたと物陰に消えてしまうのです。しかしその目の鋭く、美しいことと言ったらありませんでした。
けれど、猫好きの人たちは、この虎猫のことは嫌っていました。虎猫だけれど、毛はいつも薄汚れていて、ネズミや虫や小鳥なんかを捕まえて食べている。そして何より、自分たちに全然懐かないことに、腹を立てているようでした。
私はよく、学校からの帰り道に、その猫と出くわすことがありました。出くわしたとしても、互いに一瞬目を合わせるだけで、それだけです。私は、この虎猫が、人間嫌いなのを知っていたので、手を叩いたり、口から音を出したり、飴やスナック菓子なんかでその猫を呼び寄せるようなことはしませんでした。向こうがどう思っていたか知れませんが、私はどういうわけか、この虎猫に敬意の念を抱いていたのです。
虎猫は、大きな赤松のある敷地にいました。敷地と言っても、まさに猫の額ほどの広さの、その赤松のためにだけあるような敷地です。住宅の中から高くそびえ立つその赤松は、しかしそれにどんな謂われがあるのかは、誰も知りませんでした。昔はきっと、神様の木として信仰があったことでしょう。虎猫はその赤松の、根っこと根っこの間に出来た小さな穴の中に住んでいました。
ある時、私の家の近くで、猫同士の喧嘩がありました。一方は私の好きな虎猫で、もう一方は、ヘビー級の鯖猫です。この鯖猫は野良で、そのあたりのボスだったようです。そしてそのバックには、隠居した医者の老夫婦がいました。戦いは、その老夫婦の庭で起こりました。
フワー、ギャフーという、猫の戦うときの声が聞こえ、ばたばたと、鉢植えや箒や脚立などを蹴散らす騒々しい物音が聞こえてきました。どうやら鯖猫の劣勢だったようで、普段は上品なその家の老婦人が、靴べらを持って庭に出てきて、虎猫を大声で罵りながら、最後には虎猫を庭から追い払いました。老婦人は、日頃かわいがっている鯖猫が怪我をさせられて、それから数日の間は、虎猫に復讐をしようと、家の近くを布団たたきを持ってうろうろしていました。
そのことがあった次の日、私は例の赤松の木を訪れました。その根っこの穴の中に、虎猫がいました。痛みに耐えるように、じっと丸くなっていました。秋の終わり頃のことでした。私は、この猫が好きだったので、餌をあげ、傷に消毒をしてやり、ミルクを与え――そうしてやりたい気持ちが沸き起こってきました。しかしこの虎猫が、人間嫌いなことも知っていました。人間から餌を貰わず、暖かい毛布やミルクや、ご馳走のために甘い鳴き声を出すことはしないのです。どうしてそうしないのか、もっと楽に生きようとしないのか、猫語の話せない私にはわかりません。けれどそこには、虎猫なりの理由があるのだと、少年の私も承知していました。私は、猫に施しを与えませんでした。その代わりに、毎日一時間か二時間は、赤松の空き地の入り口にある階段の所で座っていました。
怪我は、一週間としないうちに良くなりました。寒空の下、あのまま死んでしまうのではないかと思っていた私は、安堵と喜びで、自然と学校でも、笑顔が増えていました。そのことは、先生に言われて気づいたのですが。
ところが、その年の暮れ頃、赤松のある住宅街の一画に、工事車両が続々とやってきました。その地区の住宅の人たちはすでに立ち退きをしていたのでした。その区画は商業施設になることがすでに決まっていて、工事は、年明けの一月から始まると言うことでした。
一月中に、住宅がどんどん取り壊されていきました。重機が休みなく、大きな音を立てて仕事をし、二月になるころには、住宅は全部取り壊され、赤土が一面に広がりました。残るは、虎猫の住む、あの赤松だけとなりました。巨大な赤松を伐採するために、クレーン車の先に足場が付け替えられ、チェーンソーを持った職人がやってきました。
いよいよ赤松が伐られてしまう。私は、学校の帰り道、足を止めて、その作業を見ていました。今朝方降った小雪のために、土はぬかるんでいました。
伐採の作業が始まりました。赤松の上方の太い枝が、少しずつ切断され、地上に降ろされていきます。作業はゆっくりでしたが、少しずつ、少しずつ伐られていくその様子は、言い様もないほど、少年の私には残酷に映りました。チェーンソーで作られた鋭角な、人工的な切り口は、私の心も深く傷つけているようでした。
夕方になり作業が終わりました。次の日も、私は下校途中、足を止め、工事現場をのぞきに行きました。赤松は、昨日の作業の終わったときよりも枝を少なくしていました。いよいよ今日の内に、赤松は伐り倒されるのだと、私は覚悟しました。
その時でした、工事現場を横切って、あの虎猫が、足場を動かすクレーン車のもとに、駆けつけたのです。そして驚いたことに、虎猫は、クレーン車を動かす運転手の膝の上に乗ると、にゃーにゃーと、甘えるように鳴き、その顔を両手で押さえると、ぺろぺろと、なめ回したのです。
私は、こんなことをする虎猫を初めて見ました。他の猫が人間に甘え、餌を貰ったり、ミルクを貰ったり、色々な言葉で褒められて良い思いをしているのを見ても、同じようにしようとはしなかった虎猫です。人間からは、汚らしい、可愛くない猫と罵られ、もしかすると同じ猫からも、世渡りが下手な馬鹿な奴と思われていたかも知れません――それでも、虎猫は虎猫でした。
その虎猫が、他の猫たちのように、餌をねだる猫たちのように、運転手にじゃれついているのです。運転手は、最初は手を止めて相手にしていましたが、あまりにもしつこいものだから、しまいにはうっとうしくなって、操縦席から虎猫を放りました。虎猫はぬかるんだ土の上に転びました。しかしすぐに起き上がって、また、運転手の膝の上に乗り、にゃーにゃーと、鳴き始めました。運転手は猫を放りましたが、虎猫は、またすぐに運転手の膝の上に飛び乗りました。そんなことを、何度も何度も繰り返していました。
しかしそのうち、運転手の猫を放る動作も乱暴になり、猫も全身傷だらけ、泥まみれになり、体力を失っていきました。私は運転手に対する怒りと、虎猫への同情に突き動かされ、工事現場の中に入っていきました。勝手に入るな、と怒鳴られましたが、私はクレーン車のもとまで作業員に掴まえられずにたどり着くことが出来ました。私は、泥の上に倒れる虎猫を抱き上げました。クレーン車の運転手が、お前の猫かと、怒りのこもった目を私に向けてきました。いつもなら、こんなに大人に怒られることはないので、謝る声も出ないほど萎縮してしまったと思います。でもこの時は、自分でも驚くほど、恐れ知らずに振る舞ったのを覚えています。
私は運転手をにらみ返すと、地面から泥を拾い上げ、それを、運転手に向かって投げつけたのです。私は、作業員たちの怒鳴り声を背後に聞きながら、虎猫を抱えて工事現場を後にしました。
私は、近くの公園で虎猫の身体を水で洗ってやり、水も、少し飲ませてやりました。少し休むと、虎猫は気力を取り戻したようでした。私は虎猫を公園の隅の方に、隠すように寝かしてやり、自分は虎猫に背を向けてブランコに座りました。
きっと虎猫は、人間に助けられたことを恥じるだろうと私は思いました。だけど私が、そんなことなどなかったよ、という態度でいれば、虎猫の恥も、少しはマシになるのではないかと思ったのです。私が次に振り向いたときには、きっと虎猫は、茂みから姿を消しているはずです。けれど虎猫は、住処の赤松を奪われ、これから一体、どこで暮らしていくのでしょう。それにきっと、あの赤松は、虎猫にとってはただの住処ではなかったのだと思います。誇り高い虎猫が、その誇りを捨ててまで助けようとした赤松です。きっと人間にはわからない因縁が、あの赤松と虎猫の間にはあったのでしょう。
夕方になり、私が振り向いたときには、もう茂みの中に、虎猫の姿はありませんでした。もしまだ虎猫がいたら、私は謝ろうと思っていました。君を助けたのは、施しを与えてやろうなんて気持ちからじゃない、体が勝手にそう動いただけなんだ、と、子供ながらにそんな釈明をしようと思っていたのです。しかし虎猫は、私にそんな釈明の機会も与えてくれないようでした。いえ、かえってそれが、虎猫らしい振る舞いで、良かったのかもしれません。
翌日でした。私が朝玄関を開けると、鉢植えの横に、大きな松ぼっくりが一つ、置いてありました。不思議なことです。誰かのいたずらなのか、それとも、虎猫からの贈り物なのか、今となってはわかりません。虎猫も、その日を境に、姿を見せなくなりました。
今でも、私の家の周りには、たくさんの野良猫がいます。しかし、あの虎猫を知る人も、今では駐車場となったその場所に、大きな赤松があったことを知る人も、もう、いなくなってしまいました。
けれど私は、あの大きな赤松と、その根っこに住んでいた誇り高い虎猫のことを、生涯忘れることはないでしょう。大きな困難があったとき、私はいつも、あの虎猫と赤松のことを思い出すからです。そしてあの大きな松ぼっくりの贈り物のことを。