七不思議 ひとつめ
「先生、事件です!」
蝉のうるさい一日だった。化学準備室に松下朱璃の声が響く。ひんやりと冷えた教室内に、汗だくの彼女は少し異質に見える。化学準備室、というのは見た目も寂しいものである。
福本慶次郎は、彼女の一言が聞き間違いであればどれほどよかったのか、と切望した。パソコンの中の、作りかけのプリントを早く仕上げて帰りたい。今日こそは定時に。その思いは彼女によって打ち砕かれたのだが。
彼はため息をひとつ吐き、来客用のソファに彼女を座らせた。冷蔵庫からペットボトルの紅茶を出し、それを丁寧に紙コップに入れ、それを机の上に置いた。
「え、先生私の分は?」
「お前は紅茶もコーヒーも飲めないだろ。早く話して帰れ」
彼女はむくれている。が、すぐに元通りになって机の上のお菓子を一つ、口に放り込んだ。ひとつ、咳払いをして彼女は口を開く。
「先生って、うちの学校出身ですよね」
彼は頷く。話の流れが見えてないが、嘘はいけない。
「じゃあ、うちの七不思議については知ってますよね」
これにも、彼は頷く。
「知ってるっちゃあ知ってるが・・・そこまで詳しくはないな」
朱璃は、それでもいいと深く頷く。
「八組の水本君が学校で火傷した話、七不思議にやられたって生徒たちの間ですごい噂になってるんです」
「ちょっと待て、水本が学校で怪我ってどういうことだ。俺は聞いてないぞ」
慶次郎の顔には驚愕の二文字が張り付けられている。
「え、先生たちの間で会議とか、してないんですか?学校の怪我なので絶対知ってると思ったけど・・・」
慶次郎は付箋にメモをし、話を続けるように促した。朱璃は素直に頷く。
「七不思議の中に、化学実験室に人魂が出るってやつ、ありますよね。あれにやられたって。本人も化学実験室の近くで人魂みたいなのにやられたって言ってました」
朱璃が話し終わったのを確認すると、慶次郎は電話をかけ始めた。と、そのまま化学実験室に移動した。隣室からは微かに話声が聞こえるが、話の内容は聞こえない。朱璃は、どうすればいいのか悩んだが、おとなしく待つことにした。
五分も経たないうちに、慶次郎は帰ってきた。
「誰と電話してたんですか?」
彼は何かをメモに記し、そのメモを白衣のポケットに入れた。
「確認だ。お前が嘘を吐くとは思わんが、一応な」
失礼な、とむくれる朱璃を横目に彼は紅茶を飲み干す。
「お前が俺にこの話をしたのは、いつものあれだろ。解決してほしいんだろ」
慶次郎の言葉に、朱璃は頷く。
「ならわかってるだろ。証拠、探してこい」
そう言って、彼は作業に戻ろうとする。
「いや、待って!今回は先生も関与してるかもしれないじゃん。化学実験室って先生の庭みたいなものじゃん!」
「庭だけど、俺は関与してないぞ。第一、化学実験室の“近くで”怪我したんだろ。じゃあ俺は知らないな」
彼は振り返りもせず、冷たく言い放つ。時計に書かれた時間のせいだろうか。
「もう最終下校時間すぎるぞ。部活無いなら帰れ」
この一言を境に、彼は仕事に戻った。