8.最後の関係者
ルドの意思を確認した後、ナサドはすぐに龍王のもとへと了承を取りにいった。
自分の口から説明し、正規の手段でルドがナサドの専属となれるようにするためだ。
今までひたすら龍人に付き従い慣習にならい、龍を敬い続けてきたナサド。
こうして積極的に意見することはこの10年でもしかすると初めてのことかもしれない。
恐らく龍王は驚くだろうと思いながら、しかしメイリアーデはそんな新たなナサドの一面が嬉しかった。
少しずつ、本当に1歩ずつではあるが、着実にナサドは龍人としての生を自分の意思で歩み始めている。
ナサドらしく、ナサドの出来る範囲で。
臣下との距離の取り方も、頼り方も、主としての守り方もルドがいてくれることできっと落ち着く場所を見付けられるはずだ。
「ありがとう、ルド」
ひとり残された部屋でメイリアーデは呟く。
ナサドにとってもルドにとってもそう簡単な決断ではなかっただろう。過去に色々とありすぎた2人であり、2人ともそれなりに複雑な事情や立場を抱えている。
ルドがナサドの従者になることに良い顔をする者ばかりではないことくらい、メイリアーデでも容易に想像がついた。
そのようなことを当然理解しているだろう2人がそれでも決断したことをメイリアーデは応援したい。
そしてナサドを支えると言ってくれたルドの気持ちに感謝している。
友人とはもう呼べない。
けれど確かに2人の間には友情がある。
強く濃く簡単には切れぬ絆が。
よかったと、そう思った。
「……お前も、メイリアーデとしての生を受け入れられそうか?」
不意に声が届く。
パッと振り向くも、そこには誰もいない。
辺りを見渡したところでやはり人はいなかった。
しかし確かに何らかの存在を感じる。
「貴方は、誰?」
思わず問いかければ、やはり姿は見えないままに盛大なため息が響いた。
「変わんねえな、記憶があろうがなかろうが。ま、だからお前に決めたんだが」
「……えっと、一体何が起きて」
「細かいことは気にすんな。俺が何者かなどどうでも良い。ただの端役の傍観者だ」
ひどく不思議な感覚だ。
見えないのに存在していることが分かる“誰か”。
何故だか懐かしく思うのがなおさら不思議だった。
「元凶として事の顛末くらいは見届けてやろうと思ってな。そう長くあっちを放っておくわけにもいかんが」
「顛末……とは」
「お前も、もう気付いてるはずだ。あれほど容量の大きいモノが剥がれ落ちるのに何の影響もないはずがない」
「それって……、貴方は、もしや」
「……ま、勝手に魂飛ばされておいて“ありがとう”なんて言えるお人好しだからな、お前は。さぞ心痛めているかと思ったが」
懐かしい声だ。
覚えのない声のはずなのに、何故だか懐かしい。
かつて日本の神が津村芽衣の魂をこの世界へと転移したと聞いている。
だからメイリアーデが今ここにいるのだと知っている。
きっとこの声は、その魂を転移した本人だろう。
「……ありがとう、ございました」
「あ? どうした急に」
「私にはもう記憶がないけれど、潰えたはずの可能性を貴方が拾い上げてくれた」
「……だからそれはお人好しすぎる解釈だっつの」
「いいえ。だって私は今現にナサドと共に生きていて、幸せだもの」
記憶がどんどん零れて、どんどん失われていく。
それでもメイリアーデは自然と笑えた。
寂しさも辛さもあるけれど、それ以上に今が幸せで尊いと思える。
ああ、それが今を生きるということか。
そう思えたのは、本来ならあり得ないはずの機会が自分に与えられたからだ。
「ったく、俺の見る目を褒めたくなるな」
「え?」
「領分を越えれば……過ぎた力は不幸を呼びやすい。ほとんどが傲慢になるか固執するか引きずられるか怖じ気づくか混乱したまま余計に苦しむかでな。だから力を人に使うことは反対だったが」
数少ない成功を引き当てられた。
転移の神はそう言って笑う。
「よくぞ自分の芯を捨てず答えを見付けてくれた、力の使い先をお前にして正解だったよ」
「神様……」
「それももう終わる。お前が本来あるべき姿に戻る時は近い」
どうやらいよいよ本当に終わりのようだ。
メイリアーデが強く実感したのはこの時だった。
転移の神の言葉はそれだけ力強く決定的なものだから。
「あと1つ、お前の中で今を選びとればその瞬間全ての浄化が完了するだろう」
「あと、ひとつ」
「お前の……津村芽衣の深遠、最も大事に取っておいた記憶と共に全てが溶ける。容量は大きいぞ」
だから見届けにきたのだと神は言った。
いよいよ自分達の繋がりも完全に消えてなくなるからと。
「覚えてやいねえだろうが、もう一度言ってやる」
「はい?」
「お前の“先生”は中々に厄介だぞ。せいぜい頑張れや」
「……前にも言われたのですか、私?」
「おー、言った言った。な、忘れてるだろ?ついでにもう1つ。お前の番を安心させてやんな、拗らせまくってるからな」
「えっと、それも前に」
「あはは、さあな!」
声だけの存在は愉快そうに笑う。
気さくで明るく楽しげな雰囲気そのままに最後に言葉が届いた。
「良い人生を」
それきり部屋には静寂が訪れる。
存在ももう感じられない。
「……全く、どちらがお人好しなのか」
メイリアーデは苦笑して近くの椅子へと腰かけた。
ああ、人ではないのだから“お人好し”なんて言葉もおかしいか……なんて、そんなどうでも良いことをひとり呟くとサワサワと近くに飾られた花が揺れる。
見届けられているのだと理解してふっと息をついた。
「幸せに、良い人生を歩みます。これからもメイリアーデとして」
もう一切揺らぐことのなくなった思いと共に、再び宣言する。
これほど情をかけてくれた神に感謝するように。
きっとあの神は、そうしてメイリアーデが幸せに笑えば安心して日本へ帰ることが出来るだろうから。
「ただいま戻りました」
「おかえり、ナサド!」
そうしてメイリアーデもまた日常へと戻っていく。
少しずつ変化しながら、芯を変えずに。
「ナサド様、いい加減にしていただけますか。何度言わせるのです」
「だから悪かったって。この程度、わざわざ人に頼むほどでもないと思ったんだよ」
「臣下が何のためにいると思っているのです、従者がなすべき事を主がなせば混乱が起きると分かっているはずでしょう」
「分かった、分かったから! 次はお前をちゃんと呼ぶ」
「私だけではなく、他の者もです。貴方様の育てた従者達は幸い揃って優秀ですよ、良かったですね。その能力を主が潰してどうしますか」
ナサドを取り囲む日常は、一段と賑やかになった。
賑やかな理由は主にルドのお説教だが。
色々と吹っ切れたらしいルドは、オルフェルの専属時代とはまるで違う雰囲気を纏ってナサドに付き従っている。
2人きりになったり、そばにいるのがメイリアーデしかいない時は大抵こんな感じだ。
ちなみに本人達には刺激が強いからと言っていないが、この主従の様子を陰からオルフェルとイェランが仲良く頻繁に見守っている。
ついでに言うならば、アラムトも。
「はは、ルドが生き生きしているな。ナサドには感謝せねばならん」
「これでナサドも少しは頼ることを覚えれば良いんですがね」
「大丈夫でしょう、ラン兄上。ナサドも何だかんだルドの言うことはけっこう聞いてるみたいですし」
龍には概ね好評の関係性、当然従者までも皆が皆良い顔をしたわけではなかった。
それでも親しい従者達からは微笑ましく見守られ、すでに名物となりかけている。
「実際のところナサドのところはどんな感じなの、スイビ? みんな無理なく仕事できている?」
「ええ。ルド様の仕事はとても効率的ですし基本的に無理や理不尽を強いる方でもありませんから。……ナサド様よりも厳しくはありますが」
「そう。不満の声はあがっていないかしら」
「それが全く。むしろナサド様が甘やかしすぎだったのです。ルド様がきっぱりナサド様を叱って下さるのは本当に有り難いようですね」
「ふふ、上手くいっているなら良かった」
ナサド周囲の環境が整ったことで、メイリアーデと2人で過ごせる時間も増した。
ナサドはナサドでルドと主従となったことで思うところがあったらしい。
「俺、そんなにお節介が過ぎたでしょうか」などとナサドの口から聞いた時はメイリアーデも思わず吹き出してしまったほどだ。
そうしてナサドの時間の使い方が本来の、龍人としてのものへと直っていく。
そうすると不思議なことに、龍貴族間だけでは判断が付かない小さな相談や、王族内の些細な懸念事項など、そういった日常的な小さな相談事がナサドのもとに届くようになっていった。
ルドやスイビ達といったナサドと近しい龍貴族とのやり取りを見て、またナサドの王族としての働きを見て親近感を覚えた人が多かったのだという。
「龍貴族寄りの龍人様って感じかな。うん、ナサドは王族としてはかなり貴重な立ち位置にいるね」
「そうなのかも……、けれどムト兄様も立ち位置としては近いのでは? 交友が広くて龍貴族と王家の間に入っていますし」
「その評価は嬉しいけど、残念ながら僕も生粋の王族だからね。理解してやれないことも多いし、結局王家寄りの考えになってしまう」
変わり始めたナサドの日常にアラムトは微笑みながら言う。
その顔に浮かんでいたのは喜びだ。
「何かさ、同志が増えたみたいで心強いんだよね。近しい立ち位置と役割で、王族側は僕が、龍貴族側はナサドが、そして2人で国民達を支えていけたら嬉しいな。縁の下の力持ちとしてさ」
そうしてじっとナサドを見つめるアラムトに、メイリアーデも笑った。
龍人として恥じぬ人生を生きると誓っていたナサド。
その思いはきちんと届いているようだ。
未だに自分は龍を名乗るのに相応しいのだろうかと不安を覚えていることを知っている。
けれどこれからも変わらず積み重ねていけば、国民達が答えをくれるだろう。
すでにナサドを認める声はあがってきているのだから。
声は、思いは、少しずつ重なっていく。
長い時間をかけて、それでもひとつずつ積み重ねてきたナサド。
はっきりと大きく何かが変わったわけではない。
けれどナサドの様子や周囲の反応を見て何かを感じたのは、1人ではなかったようだ。
「すまぬな、突然押し掛けて」
メイリアーデとナサドが2人で過ごしている時にやってきたのは龍王だった。
突然のことに、ナサドが分かりやすく固まったのが分かる。
必要以上に背を伸ばす姿を宥めるようその背をそっとメイリアーデが撫でた。
それで少し落ち着いたのかナサドが肩の力を少しだけ緩め息を吐き出す。
「いかがされましたか、陛下。メイリアーデ様にご用事でしたら私は席を」
「待て。此度はそなたに話があるのだ」
「ナサドに? それでは私の方が席を」
「……似た者同士だな。メイリアーデ、そなたもここにいてくれ。何のために今来たと思う」
呆れたように笑い龍王がナサドを見つめた。
一体何があったかのか理解できないナサドは不安にかられ眉の端を少し下げたまま、龍王を見返す。
フッと、その笑みが慈しむようなものへと変化したのはすぐのこと。
「毎回目を合わせてくれるようになったな、ナサド。初めの頃は泳いでいたが」
「……申し訳ございません、気を張るばかり意識が朦朧としておりましたので」
「はは、そうして淀まずきちんと思いを告げてくれるようにもなった」
「は……」
「過去を負い目にただ私達に付き従うだけではなくなったと言っているのだ」
王の言葉にナサドもメイリアーデも目を見開く。
龍王直々にナサドについてこうした言及をされたこと自体初めてだったからだ。
ナサドがメイリアーデの番になることを認めてくれた、ナサドをきちんと王族として扱い家族として迎え入れてくれた。しかしナサド本人について龍王がどう思うのかは、今まで聞いたことがない。
龍王にもその自覚があるのだろうか、少しバツが悪そうに顔を歪めて笑う。
しかしいつまでもそのまま沈黙を守ることはなかった。
何かを決したようにその場で頷き、口を開く。
「……飛んでみるか、1人で」
「は、飛ぶ……とは」
「次の龍誕祭だ。過去に一度、イェランと共に飛んだきりであろう」
そうして届いた言葉に、ナサドは驚きのあまり固まった。
1人で龍誕祭に飛ぶ、それは龍にとって特別な意味を持つ。
他の龍人と同じ立場で、同等の存在として認められるということ。
一人前の龍人としての、龍王からのお墨付きだ。
「ナサド! 良かったね、おめでとう!」
思わず顔を輝かせ声をあげたメイリアーデ。
人目も憚らずナサドの両手をぎゅっと握る。
ナサドは理解が追い付かないのかしばらく呆け、しかし次第にメイリアーデの手を痛くなるほどに握りしめて何度も頷く。
「え、ナサ、ド……」
「……ありがとう、ございます。この上ない光栄、です……っ」
そうしてナサドは泣いていた。
あまりに珍しい光景で、メイリアーデですら見るのは2度目のこと。
10年ぶりだ。
初めは驚き困惑したメイリアーデも、ナサドの流すそれが嬉し涙なのだと察し微笑む。
つられるようにしてメイリアーデに微笑み返してくれるナサドの笑みも柔らかい。
ゴホン、と盛大な咳払いが響いた。
状況とその咳払いの主を思いだし、途端に繋いだ手を離して固まるメイリアーデとナサド。
しかし視線を向けた先にいる龍王は慈愛に満ちた表情で笑っていた。
「新たな龍も生まれるのだ、そなた達も先達として見守り導いてくれ」
嬉しい言葉にナサドと2人大きく頷く。
その瞬間、メイリアーデの中でカチンと何か音が鳴った気がした。
「あ……」
思わず言葉が零れ頭を抑える。
大きな何かが膨れ上がるのを感じた。
“あと1つ、お前の中で今を選びとればその瞬間全ての浄化が完了するだろう”
その時がメイリアーデに、ついに訪れた。




