6.結び直し(sideナサド)
「では、行ってきます」
「はい、メイリアーデ様。どうかお気を付けて」
「ナサドこそ有意義なお休みになりますように。あと、健闘を祈るわ」
「……ありがとうございます」
いつものごとく手を繋いで挨拶を交わす。
離れ離れになる時はこうして互いに熱を分け合ってから。
そうして笑顔で去っていくメイリアーデを見送って、ナサドはホッとひと息ついた。
今朝も昔の夢を見たのだろう、ここ数日は毎日のように泣きながら目覚めるメイリアーデ。
しかし身に起こっていることを自覚してからは幾分すっきりした表情でその後を過ごす。
メイリアーデなりに折り合いをつけているのだと分かり、ナサドは少しだけ安心した。
「さて、行くか」
今日は久しぶりに公務の入っていない休みだ。
いつもよりは相当時間にゆとりもある。
しかしいつもとさして変わらぬ時間に部屋を出てしまうのはもう仕方がないだろう。
従者生活が長かったおかげで一人のんびりすることはどうにも性に合わないようだ。
「ナサド様、相変わらずお早いですね」
「おはよう。悪いな、どうにも性分で」
ナサド付きの従者には、かつてナサドの部下だった者も多い。
今日ナサドを出迎えてくれた男もまたその一人だった。
せっかくの休みに朝早くから付き合わせてすまないと謝るナサドのその言動にも慣れたものだ。
「とんでもございません」と笑んで、何を言うでもなくナサドの後ろに控える。
「彼の方は中庭にいらっしゃいます、向かわれますか」
何かを言うよりも前に与えられた情報に苦笑した。
昨日、従者達を集めて今後について相談したからだろうか。
ナサドがやると決めたら即断実行だということも、従者達は理解していた。
「助かる。本当に皆、頼もしくなったな。ありがとう」
「我らを育てて下さったのはナサド様です。お礼を申し上げるのは私達の方ですよ」
「……何もしていないが。迷惑しかかけてこなかっただろう」
「相変わらず貴方様はご自覚がない」
「いや、客観的に」
「相変わらず、ご謙遜なさりますね」
過去に色々とやらかした手前きまり悪く眉を寄せるナサド。
しかしそんなナサドのことをやはり理解している従者は満面の笑みで返す。
こういうところにも随分助けられているなと、ナサドはまた笑った。
「さあ、お早く」
「ああ」
従者に促され足早に歩く。
目的の人物は、従者からの報告の通りに中庭にいた。
「ルド」
名を呼べば彼が振り返る。
ナサドの姿を認めると何事かと顔をしかめ、跪いた。
「おはようございます、ナサド様。私に何か御用でしょうか」
「……本当相変わらずだな、お前。人目も無いし、そんな畏まらないで欲しいんだが」
「何を仰っているか分かりかねます」
「いや、分かるだろ」
「人目が無ければ働いて良い不敬などございませぬ」
何ともルドらしいと、ナサドは変なところで感心する。
ナサド以上に礼儀を重んじ、少し頭が固く、真面目。
頭も仕事も出来が良いのにどこか不器用さのあるルドは、今では信じられないが昔ずいぶんとナサドを慕っていた。
同じ専属従者でありながら歳も経験値もナサドの方が少しずつ上。
だからおそらくはルドも頼りやすかったのだろう。
リガルド家長男のナサドとスワルゼ家長男のルド。
すでに微妙な勢力争いの渦中にありながら、しかしルドは家柄でナサドを判断することはなかった。
真摯にナサドの助言を聞き入れ、オルフェルの為に何が必要かと研鑽を積み、龍人の守る龍国を盛り立てようと努力する姿をナサドは何度も見てきている。
自分の身分や人からの情に甘んじることなく、自分を律する力が強い。
そして物事の本質をひたむきに見極めようと努力を続ける一本気な性格。
ナサドからみたルドはそういう人物だった。
だからこそナサドがルドに何も告げず好き勝手してしまった後、今に至るまで中々に関係性がこじれているわけだが。
ほぼ全て自分原因の自業自得だとナサドも自覚があるため、ある程度こうなってしまったのは仕方が無いと受け入れている。
どこか負い目もあり、ルドにはこれまで強くものを言えなかった。
過去の自分の在り方を自省した時、悔いるものの中に確実にルドはいる。
もう少し自分が上手く立ち回れていたならば、あるいはきちんとルドと向き合い何か一つでも言葉を残せていたならば、今の関係性はもう少し違ったかもしれないと。
しかし過去を悔いたところで、当然ながら時間は戻らない。
立場を重んじ、昔の関係性など一切見えない雰囲気で、ルドは膝を付いている。
友人と即答できない、かといってただの従者だとも当然思えない。
そういう複雑な関係性をのみこみ、ナサドはルドのつむじを見下ろす。
……もしかするとこれは自分達に与えられた最後のチャンスなのかもしれない。
関係性が初めて変わってから数十年という随分な時間が経過した。
同じ立場の友人から始まった2人は、ナサドが龍貴族から降りたことで身分差が生じ、今度はその身分差が逆転している。
目まぐるしく変化した関係性、反対に距離感は離れたまま。
そうして複雑に絡まりながらも、何だかんだとずっと顔を合わせる機会が途絶えなかった自分達。
それを縁と呼んでいいのかナサドには分からない。
しかし拗れたままでも、まだやり直せる何かはあるだろうか。
緊張で強張る体を自覚しながら、ナサドは声をあげた。
「少し時間をもらえるか、ルド」
「は……、時間にございますか」
「ああ」
「恐れながら、この後は」
「オルフェル殿下には話を通してあるから気にしなくていい」
いつになく強引に話を進めるナサドに、ルドが訝し気に眉を寄せる。
まあそれはそういう顔にもなるよなとナサドは苦笑して、続けた。
「腹を割って話したい」
「……一体何を」
「今更だよな。分かっているが、無視できないこともあるし」
「……は」
「こっちだ、付いてきてくれ」
「お待ちください、一体何の」
「命令、したくないんだ。頼むから聞いてくれ」
疑いの眼差しを向けるルドを睨み返しナサドが言う。
ここまで言わなければルドが来ないことは想定済みだ。
案の定不快そうに顔を歪めたままルドはそこでやっと立ち上がりナサドの後を付いてきた。
悪いと、謝ればなおさら怒るだろう。
だから表情も何もナサドは隠し先導する。
たどり着いた先はナサドの自室だ。
ルドの表情はますます険しさを増していた。
「まあ、怒るよなそりゃ」
人を払い2人きりになった部屋でナサドは苦笑する。
振り返れば、それでもなお矜持の高いルドはすぐさま膝を付いた。
人目があろうがなかろうがあるべき立場を守ろうとするルドの性格にナサドは共感している。
ルドほどの真面目さと純真さはないが、それでも龍人に対する敬意と思いは同じなはずだ。
だからナサドもルドに対してこれ以上強くは言えない。
それでもこのままで良いとも言えないのだから、やはり苦笑を引っ込めることは出来なさそうだ。
「単刀直入に言う。お前、御子の専属候補に挙がっているんだって?」
「……何のことでしょうか」
「その間は心当たりがあるってことだな。やはりお前自身の耳にも入っていたか」
「…………勿体ないお話です。誠に、勿体ない」
初めてルドは苦虫を潰したような苦渋に満ちた表情を見せた。
御子の専属候補。
それはオルフェルとセイラの間に宿った新たな命のことだ。
身内の起こした事件によってオルフェルの専属から離れることとなったルド。
スワルゼ家の家格は落ち、昔のような絶対的な存在感はもう無い。
しかし龍国の医療を支え長年龍王家と近しい位置にいたスワルゼ家の復刻を願う声もまた小さくはなかった。
長年続いたオルフェルとイェランの次期後継者を巡る派閥争い。
イェランが王位継承権を数年前に正式に放棄したことで、一応の決着はついた。
イェランと親しいリガルド家はイェランの決断を支持し、それでもなおイェランに忠誠を誓っている。
三大貴族と当時呼ばれた最後の一家ユイガ家はそもそも権力に全く執着がないことで有名だ。
国内の権力闘争は表立っては沈静化している。
それでもまだくすぶる何かがあることを、ナサドは肌で感じていた。
随分前に破門になったとは言えナサドもまた元リガルド家の一員、こういった微妙な空気には敏くならざるを得ない。
「御子の専属になることは嫌か」
「嫌だなど」
「しかし御子の専属になるつもりはないと」
「っ、それは」
だからナサドはすぐに理解してしまった。
未だに龍国内の権力争いは終わりを見せていない。
スワルゼ家の復権を望む声が多いこと、リガルド家の台頭を望む声もまた小さくない事、そして龍人達が望んではいないであろう諍いが消えていないことを。
ルドが御子の専属従者になることを厭うわけがないとナサドは知っている。
心からオルフェルやセイラの慶事を喜び、そのために医療面で奔走していることを知っている。
それでも御子の専属となることを避けている理由に思い当たるものが無いわけがなかった。
「忠臣だよな、お前は本当に」
柔く笑ってナサドはその場にしゃがみ込む。
ルドと目線を合わせれば、久しぶりに動揺を見せ目を揺するルドがいた。
年上の自分よりもよほどしっかりしていて、矜持が高く、正しくあろうとするルド。
関係性がこれだけ変わってもなおナサドはルドのそんな一面を疑わずにいられる。
きっとおそらくはオルフェルもそうなのだろう。
『自分で考えることがあると言うならば、思うままにあってもらいたいのだ。その上で受けるというならば勿論歓迎するがな』
寂しげにナサドに告げてくれたオルフェルの言葉を思い出す。
あえてルドに告げずにナサドに相談したその意味を理解できるからこそ、ナサドはその事実を一切ルドには告げない。
確信はナサドにもあった。
ルドはスワルゼ家の復権を願ってはいない。
いまだスワルゼ家の中には現状に不安や不満を抱えた者が多く、例の事件が発端となって内部分裂を起こしているという話も耳に入って来る。
その度に「立場を戒めよ」と叱責し、自他共に厳しいルドをナサドは少し距離のある位置から見てきた。
龍貴族としての矜持と誇り、何のために王家から与えられた称号だったのかをスワルゼ家が思い出すまではこの位置に留まる。それがルドの考えなのだろう。
思えばこの10年、ルドは必要以上には王家に関わってくることがなかった。
下手に勘繰られぬようにと避けてすらいたように思う。
オルフェルも察したからこそのあの言葉だ。
そういった各々の覚悟と言動を、ナサドは勝手に歪めてはいけないと思った。
第三者がそう簡単に口を挟めるものではないとも。
それでも、もう無視することは出来ない。
それぞれがそれぞれの事情を抱え覚悟を決めた様に、ナサドもまた同じだ。
龍として龍国を支えて生きると決めたのだから。
だからオルフェルの言葉やルドの言動を受け止め、細く息を吐き出す。
「……来るか? 俺のもとに」
真っすぐ見つめルドに言えば、ルドが目を瞠った。
久しぶりに見るルドの表情の豊かさに、ナサドは苦笑するしかない。
ナサドもまさか自分がこんなことを言うことになるとは思わなかったのだ。
あまりに激動過ぎる自分達の関係性、下手な刺激はかえって悪循環だとお互い暗黙の了解として深く関わることを避けてきたように思う。
それでも不思議なことに縁は切れなかった。
思ったより随分と自然に、言葉が出てくるのだ。
「どうやら俺も人のことは言えないらしい。専属従者を付けろと、メイリアーデ様にも散々言われていてな」
「それがどうして私になるのですか」
「思うところは色々あるが、純粋に向いているんだよ。俺はこの通り人を頼るのが下手でな、お前みたいに気付いてしっかり叱責してくれる人じゃないと逆に気遣わせてしまうらしい」
「……いい加減にしていただけますか。いつまで王女殿下にご負担をおかけするつもりです」
「本当にな。しかし長年の癖も俺の性分もそう簡単に変えられない。そういった面での支えが、俺には必要だ」
そうしてナサドは表情を引き締め、ルドを見つめる。
その目の真剣さにルドも気付き、空気はすぐに張りつめた。
「……元とは言え俺はリガルドの生まれ。俺の元にお前が付けば色々と勘繰る者もいるだろう。リスクがゼロとはとても言えない。しかし国の中枢からは少しだけ距離を置ける」
「っ、分かっているのか。そのようなことをすればお前がせっかく積み上げてきた信頼を揺するかもしれないのだぞ」
「やっと素に戻ってくれたな、ルド。そうだ、俺にとっても博打だ。しかしもう俺は逃げも見て見ぬ振りも諦めもしないと決めた。メイリアーデ様が俺に教えてくれたように、俺も自分がこうありたいと思う道を選ぶ」
はっきりとルドの顔が歪んだのが分かった。
ナサドはその様を冷静に受け止める。
この場面でもなお龍人の立場を優先させようとするルドの姿勢は、やはりナサドが持つ龍人への思いと同じもの。
少し前の自分は、やはり一人で全てを抱え込み結果上手に守り通すことができなかった。
その苦みも過ちも、忘れることは無い。
同じ思いをルドにまで味合わせる気は無いのだ。
ルドならばおそらくは、自分のように暴走して周りを振り回すことなど無いだろうが。
それでもやはり見て見ぬふりは出来ない。
ルドと視線を合わせ膝を折るナサドに何を思っただろうか。
歪んだままの表情そのままにルドは問う。
「……どうかしている。ナサド、お前は私を恨んでいないのか」
「何故お前を恨む。お前に恨まれはすれ、恨むような記憶などないが」
「お前の友を名乗りながら肝心の悩みも変化も気付かず、独りにさせ、挙句父とルイからあのような暴挙を受けなお言うか」
「ほとんど自業自得だ、俺のやり方が間違えていた。どれだけ国を振り回したかお前が一番知るはずだろう」
「しかしお前は、あるべき姿になってみせた!」
「……ルド?」
「王女殿下は今も幸せそうに笑っていらっしゃる。お前は方々から言われ続け龍人様としての立場がどれほど弱くとも逃げずに向き合い続けた。10年、ずっと」
感情が発露したかのようにルドは声をあげた。
強く、大きく。
今度はナサドが目を瞠る番だ。
「お前は変わったわけでは無い。私の知るお前のまま酷な現実と闘っていただけだった。芯が強く、しかし柔く、己で考え、成すべきことを成す。そうして今もそこにいる」
「……どうした急に。大丈夫か、ルド」
「私はもうどうすれば良いのか分からないのだ。忠誠を誓うだけではどうにもならないことが多すぎる、理想論だけで生きられる歳では無いというのに未だ私は」
言葉を詰まらせルドが地面を握りしめる。
長く葛藤し続けたルドの言葉にナサドは息をのみ、そうしてようやく確固たる決意ができた。
「理想論を、夢見事だと笑うのは簡単だ」
「……なにを」
「それでも理想を追い続け律し続けるお前を馬鹿だなどと誰に笑う資格がある。俺はそういうお前だから向き合うと決めたんだ」
言葉にしてみて、妙にしっくりと来るものだからナサドは笑った。
「やり直せるものがあるのならば、共にやり直してみないかルド」
「ナサド」
「案外、相性が良いかもしれないぞ」
ルドから否定の言葉は出ない。
代わりに「少し考えさせてくれ」と、弱い返事が届く。
ナサドは頷いてその場を立ち上がった。
「奇妙な関係性だよな、俺達も」
「今まさにさらに奇妙な提案をしておいて何を仰るのですか」
「もう口調戻るのかよ、らしいと言えばらしいが」
「ご無礼を平に」
「や、やめろ。それ以上畏まるな。分かったから」
冗談なのか冗談ではないのか分からない心臓に悪いルドの言葉。
しどろもどろに返せば、そこでようやくルドが笑う。
そう、笑った。
すっきりと、晴れやかに。
数十年ぶりに目にするその表情に、ナサドが驚く。
その反応にすら笑み、ルドは今度こそ誠心誠意頭を下げた。
「このようなお時間をいただき、心より感謝申し上げます。……ナサド様」
「……ああ、ルド」
この時ナサドは初めてルドからの敬意を素直に受け取ることができた。




