3.友と従者と
「姉ちゃん、本当に学校行って大丈夫なのかよ」
「うん、大丈夫だよ。体は動くし」
「……芽衣、無理だけはしないでちょうだい。お願いだから」
「お母さん、心配しないで。本当に大丈夫」
まるで思い出せない声達だった。
誰だろうかと悩んでもやはり思い出せず、ただ会話の内容で彼らがかつての家族だったのだろうと知る。
そうか、弟がいたのか。
それすらも末っ子として育ったメイリアーデにはいまいちピンと来なかった。
そうして思うのだ。
「前世の夢なんて、久しぶりに見たな」
少しずつ少しずつ、記憶は抜け落ちていく。
ゆっくりと着実に最後に向かっているようだ。
心なしか寂しく思ったメイリアーデは、しかし気付くことが無かった。
前世の夢は、実はここのところ連日見ていること。
そのどれもが、今まで思い出せずにいた鮮明な記憶であったこと。
奥底で潜み固まっていた津村芽衣の根源が、溶け出していることに。
「メイリアーデ様」
声をかけられ目を覚ます。
目の中いっぱいに映るのは大事な大事な自分の番。
その瞬間、夢を見ていたこともその中身もメイリアーデの中から消えていた。
「ナサド……おはよう」
「ああ、おはようメイ」
「ふふ、今日はお願い通りに挨拶してくれた」
「……たまには、な」
いまだに滅多には口調を崩してくれないナサド。
珍しく今日は初めから砕けた言葉で話しかけてくれる。
それをもう、懐かしいとは思わなくなっていた。
距離が近く感じて嬉しい。
従者ではなく対等な番なのだと実感して嬉しい。
胸に湧くのはそんな感情ばかりだ。
そしてその変化にすらメイリアーデはもう気付かない。
ただひたすらに切なげに笑むナサドに首を傾げるほどだった。
だからメイリアーデはまるで理解できていなかった。
どうして自分の目に涙がたまっているのか。
無性に寂しいその感情の基が何なのか。
ナサドはその様子をひたすら見守り優しく目元を拭う。
「どうしてかな、最近意味もなく泣いてしまうのは」
「そういう時もあります」
そうして緩くメイリアーデを抱き寄せ宥めてくれた。
何かを問われることはなく、背を柔く撫でられる。
不思議なことに、そうすると名前の付かないこの寂しさが和らぐのだ。
ナサドに守られメイリアーデの涙はほどなく止まる。靄が晴れるように、寂しさもまた消えていた。
朝食を食べ終わる頃には、すっかりいつも通りだ。
今日はナサドと一緒の公務。
最近は夫婦で招かれることも増えてきた仕事に、やはり相変わらず仲良しの2人は道中何度も談笑しながら公務をこなしていく。
現場でも話が弾み、帰ってきたのはすっかり日が暮れた頃合いだった。
「メイリアーデ様、ナサド様、お疲れ様でございました」
「ええ、ありがとうスイビ。今日はもう下がって良いよ」
「悪いなこんな時間まで付き合わせて。子供生まれたばかりでお前も奥方殿も大変だろう?」
「お気遣いありがとうございます。幸い人には恵まれておりますので大丈夫ですよ」
はにかみ足早に去るスイビを2人で見送る。
「……うーん」
「メイリアーデ様? どうされました」
「やっぱり必要よね、貴方の専属従者」
「大丈夫ですよ。段取りは慣れておりますし、世話をしてくれる従者も多くおります」
「けれど最近は貴方単独の公務も増えてきたし、そろそろきちんと管理してくれる人必要だよ。スイビも気にかけて手伝ってくれているとはいえ」
「……確かにスイビの負担は減らしたいですね」
結婚して10年と少し。
龍貴族からのナサドへの警戒は、かなり薄くなっていた。
憑き物が落ちたかのように朗らかに笑えるまでなったナサド。相変わらず龍王家を敬い立場を弁え続けたことで、最近では明らかにナサドを見る目が変わってきている。
公務の数を見ても明らかだろう。
結婚したての頃よりもナサドへの依頼は格段に増えていた。
どれも嫌な顔ひとつせず丁寧に仕事をこなすものだから、1度現場を共にした臣下達からの評価も高い。
人たらしだとスイビに言わせたナサドの気質は変わらぬままだ。
お陰でナサドの日常は他の王族達とも遜色ないほどに忙しくなった。
ナサドに付く従者達は他の龍人達に比べそう多くなかったため少し大変そうだ。
その状況にナサドが気付かないわけがなく、ナサドは極力自分のことは自分でこなしていた。
専属経験があるために、どう段取りを組めばいいのか従者達の仕事をよく理解している。
当然のことながら手際も良い。
龍貴族位をはく奪され孤立期間もありながら、それでも専属従者として仕事面での失態を晒した事のないナサドは言うまでもなく仕事ができた。
まとめ役の少ない従者達を取りまとめ、適性を見ながらてきぱきと指示だしするその姿は見事としか言いようがない。
そのため確かにナサドの従者達は少なめの人数でもそこまで大きな負荷がかからず回っていた。
それでもその状況を従者達もただ良しとしていたわけではない。
長くナサドの近くで補佐役をやっていた現在のメイリアーデの専属スイビは、そういったナサドの性質をよく理解しているためにナサドの身を案じ業務を多めに抱えているようだ。
本来メイリアーデの身の回りだけが領分だが、ナサドの身の回りについても従者達の手が回らない部分に積極的に介入している。
経緯が経緯なだけに警戒されていたナサドをそれでもと主に定めた従者達は、ナサドに対する忠誠心も高かった。
ナサドが本来ならば負う必要のない仕事をさせてしまっていることも、スイビが公私ともに忙しいにも関わらずさらに負担をかけてしまっている現状も、心苦しいと漏らす。
「ナサド様にきちんとお休み頂くにはどうすれば良いでしょう」
「スイビ様の手を煩わせてしまい申し訳ないのです……、お子様が生まれたばかりでしょうに」
ぽつぽつとメイリアーデの元へとそういった相談が届くようになってきた。
主の問題を別の主に相談するのはどうなのかと葛藤しながら、それでもどうにも言葉の行き場を失ってしまったらしい。
自分達の力不足を従者達は嘆くが、人数に対して明らかに業務量が増してきているのもまた事実だった。
ナサド付きの従者を増やす必要がある。
それもナサドに代わり、きちんと従者達を取りまとめて指示出しできる従者が。
「……ナサドがきちんと頼れるかも大事よね」
「メイリアーデ様?」
「ううん、何でもない」
甘え下手で人に頼るくらいならばと全て自分ひとりで抱え込んでしまうナサド。
その優しさをメイリアーデは愛しているし、人の事にいつだって心を砕けるナサドだからこそ今のメイリアーデがある。
しかしそれはまたナサドの短所でもあった。
知らぬ間に一人抱え込んで苦しんでいないかと、心配になるのだ。
そうしたナサドの一面を受け入れきちんと頼らせることのできる仕事上のパートナーがナサドには必要なのかもしれない。
「……ありがとうございます、メイリアーデ様。私は大丈夫ですよ、本当に」
「またそうやって貴方は」
「お気持ちは嬉しく思います。しかし今はご自身の時間を大事に」
「え? 私の、時間?」
「……何でもありません」
静かに笑んで、ナサドはそれ以上何かを言うことはなかった。
ナサドはやはりどこまでいってもナサドで、昔から変わらず自分より他人優先だ。
心を幾分メイリアーデに預けてくれるようになったとはいえ、そう全てが簡単に変わるわけでもない。
いざという時には必ずメイリアーデを優先させてしまう。
相変わらずの歯がゆさにメイリアーデは苦笑した。
相変わらずナサドは強敵だ。
「少し夜風に当たってこない? ナサドが疲れていなければだけど」
「それは構いませんが、メイリアーデ様こそお疲れでは」
「うーん、何だか悶々と悩んでもナサドを気遣わせて終わりな気がするし気分転換したくて」
「……性分なのです、ご心配をおかけし申し訳ありません」
「やだ、何を謝るの? 私は自分のやりたいことをやって言いたいことを言っているだけなのに。むしろ貴方は被害者だと言ったじゃない」
「ですからそれは幸せすぎる被害者ですよ」
それでも昔よりは少しだけ、前進しているのかもしれない。
ナサドはメイリアーデの言葉を受けておかしそうに笑う。
そうしてナサドの心から少しでも罪悪感を消すことが出来るようになった。
甘えられることが嬉しいのだと、きちんと理解してもらえるようになったと思う。
2人は久しぶりに手を繋いで外を歩いた。
まだ深い時間では無いが、人の気配はほとんどないほどに夜も更けている。
何か大事な話をすることはない。
今日の公務の話やイェランの話、オルフェルやセイラの話、アラムトの研究についてなど、雑多なことをつらつらと語り合いながらゆっくり中庭を共に歩く。
案外近頃は忙しくてそうした時間も取れていなかったとようやく思い出した。
お互いこうした何気ないやり取りを交わすのは近頃では寝る前か朝起きてからの数刻か、そのくらいだ。
その貴重な朝の時間もまた、謎の情緒不安定に見舞われてしまっていたためこういう穏やかさとは少し離れていたようにも思う。
そして一方のナサドもまたこの時間になにか思うことがあったのかもしれない。
心なしかいつもより少しだけ饒舌に感じた。
「ふふ、何だか案外余裕がなかったのかな、私。近頃なぜだか落ち着かない感じだったから」
「……私もそうかもしれません。お誘い下さりありがとうございます、メイリアーデ様」
「こちらこそ。いつもありがとうナサド」
何かが解決したわけではないけれど、良い気分転換にはなった。
メイリアーデもナサドもすっきりした表情でお互いお礼を言い合う。
そうして声を漏らして笑い合うのが、いつもの自分達だ。
そろそろ戻ろうと、メイリアーデは声をかける。
はいと、ナサドも笑んで答え踵を返す。
視界に黒い影が映ったのは、そこから少し経った頃のことだ。
「……ルド?」
龍は夜目が利く。
その正体はすぐに分かった。
一方声をかけられた相手がこちらを理解するには、少しかかる。
首を傾げこちらを確認しようと近づいたその人物は、メイリアーデ達の姿を認めるとすぐにその場に跪いた。
「これは王女殿下……ナサド、様」
そうして臣下の礼を取ったルドに、心底居心地悪そうに眉を寄せたのはナサドだ。
「やめてくれ……、お前に様付けされると変な感覚になる」
「そういう訳にも参りません。龍人様の御前です」
「……お前、俺達の立場が逆だった時に俺の敬語を一切許してくれなかっただろ。俺も同じだ、やめろ」
「蒸し返さないで下さい。龍人様に不敬を働くなど許されることではございませぬゆえ」
華やかで美しい容姿とは裏腹に中々頑固で生真面目なルド。
相変わずな態度にメイリアーデも苦笑するしかない。
かつてオルフェルの専属従者を務め、今は医療一家であるスワルゼ家の当主を務めるルド。
同じ時期に専属従者を経験し歳も近いナサドとは、昔信頼し合える友人だったと聞いている。
お互いに色々なことが重なり、今の2人は表立って友人だというには複雑な関係性だ。
2人の関係性は目まぐるしく変わった。
おかげで尚更ややこしいことになっているとメイリアーデは知っている。
見慣れ始めたこの攻防が完全に着地点を見失っていることも知っていたため、見ないふりを決めてメイリアーデはルドに話しかけた。
「もしかしてセイラお姉様の様子を診てくれていたの? いつも遅くまでありがとう」
「御礼をいただくほどのことではございません。本日は何かあった時のために待機していただけに過ぎません」
「ああ、そういえばお姉様には女性のお医者様が付いて下さるのよね。穏やかなひとだったけれど、選出は貴方が?」
「……妃殿下の御身ならびにお心をお支えする最適な者に心当たりがあったものですから」
「そう。貴方が選んでくれた人ならば安心ね」
ルドがオルフェルの専属従者を離れてもう十数年が経つ。
オルフェルの傍にはすでに後任の専属が就いて、ルドとオルフェルの関わりは随分と薄くなった。
公的な場でしか会話のないルドとの距離を、オルフェルが何も思わないわけでは無いとメイリアーデは知っている。立場上言葉にしないだけで折に触れルドの様子を見守っていることにも気付いていた。
一方のルドもオルフェルに迷惑をかけないようにとオルフェルに接触することはほぼない。
それでもどうやら絆が消えたわけではないようだ。
久しぶりに交流する時間が増えて、オルフェルもセイラも言葉にはしないものの嬉しそうにしている。
期待に応えようと万事整えたルドもまた、決して態度には出さないものの幾分表情が柔らかかった。
「温かな季節とは言え夜は冷えます。どうぞお二人とも中へとお戻りください。部屋までお送りいたします」
「大丈夫よ、ありがとう。呼び止めてごめんなさいね。貴方もきちんと休むよう」
「お気遣いいただきましてありがとうございます」
長く時間もかけないうちにルドは話を切り上げる。
複雑な表情を見せたままのナサドには、少しだけ厳しい視線を向けた。
「ナサド様、そろそろお慣れください。何が変わるわけでもございません」
「……良いだろ、こういう場くらい。いまさら様付けの敬語は違和感しかない」
「尊いご身分をご自覚なさってはいかがですか」
「……だから俺が昔立場を弁えて接したのを許さなかったの誰だ」
「ですから蒸し返さないでください」
ナサドの諦めの悪い言葉に、ルドも全く折れない。
言葉遣いは正しい立場のそれにはなっているものの、言葉の応報は子供の言い合いだ。
その落差に思わずメイリアーデは吹き出してしまう。
心のどこかで引っかかる何かがあった。
もしかするとルドならば。
胸に湧いた思いを抱え、2人の様子をメイリアーデは見守り続けた。




