2つのピアス
龍国末姫の婚約式は、龍人族の儀式にしては異例なほどに小規模だった。
ナサドの王族入りを不安視している国民や貴族は未だ多く、それを龍王族もナサドも理解していたからだ。
龍王族としての品格・権威を保てる最低限の豪華さでメイリアーデ達は式を挙げる。
それはナサドが王族になろうと王や王子達への恭順と忠誠が変わらないことを示すため。
そして国民達が不安を抱くその感情から逃げることなく向き合い努力を続けるという意思表示でもある。
龍国で生きると決めた以上、自分達の事情や感情だけで物事を進めることは許されない。
メイリアーデもナサドも勿論承知していることで、龍王から式についての話を受けた際一切の反論はなかった。
ナサドからしてみれば自分のせいでメイリアーデに負荷をかけてしまうことがやはり心苦しくはあったが。
「ナサドと共に生きられるのならば、私はそれだけで幸せよ? それに小規模といっても十分豪華だもの、兄様達がお祝いしてくれて皆の前でナサドと誓いを交わせる。それ以上の望みがどこにあるというの」
しかしそこはメイリアーデにとってはさしたる問題ではないようだ。
何せナサドに対して片想いし続けた年月の方が圧倒的に長い。
ナサドの隣に堂々といられるだけでメイリアーデとしてはただただ幸せだった。
浮かれすぎないように注意するのが大変なくらいで。
「……ありがとう、メイ」
ふとナサドが小さく呟く。
パッと顔を上げれば少し悲し気に笑うナサド。
感情を律し表情を隠すのが上手なナサドは、それでも今葛藤をその顔に浮かべていた。
過去はこの先もずっと消えて無くならない。
そう分かってはいても、自分以外の誰かを巻き込みこうして形として現れれば何も思わないわけにはいかないのだろう。胸中にあるのは不安か罪悪感か。
その感情の一つ一つ、見せてくれる表情のひとつひとつをちゃんと拾える人間になりたいとメイリアーデは思う。
いつものようにナサドの冷え切った手を拾い上げ熱を分ける。
大丈夫だと、言葉では伝わりきらない思いを乗せて。
「一緒に生きていこう、ナサド。全てが正解ではなくても良い。一緒に努力して、一緒に悩んで、一緒に泣いて、一緒に笑って、そうやって生きていけることは幸せなことだから」
芽衣が叶えられなかった願いをメイリアーデは叶えることができた。
同じ時間を隣で過ごせるその時間がどれほど貴いものなのか、メイリアーデは知っている。
共に同じ方向を向いて人生を歩めることは、決して当たり前のことではないから。
だからメイリアーデにとっては式の大小など関係ないのだ。
龍として、この龍国で、共に生きる。
時間がどれだけかかろうとも積み重ねて自分達は生きていけるはずだ。
メイリアーデにとってそれは揺ぎ無いものとなっていた。
「……情けないですね、貴女に甘えてばかりで。いい加減腹をくくらねばならないというのに」
「良いの。そうやって多くを気にかけ小さなことでも決して見捨てない貴方を私は好きになったのだから」
「っ、あまり男前にならないでいただけますか。男としての威厳がなくなります」
「男女関係あるの? それに私だっていつも貴方に守られ通し甘えっぱなしでは恰好つかないわ。仮にも元主なのだから。たまにはこう頼り甲斐ある姿を」
「駄目だよ」
「……え?」
「メイに甘えられる時間は至福なんだから、もっと甘えて?」
「っ、わざとでしょうナサド!?」
「何のことでしょうか、メイリアーデ様」
「もう! せっかく真面目な話をしていたのに! ナサドは時々ものすごーく意地悪よ」
真剣な話をからかわれたと憤慨するメイリアーデ。
顔を赤く染めて「もう知らない!」と怒りながらも、ナサドの傍から離れていかない。
ナサドはその姿に微笑みながら、やっと手の震えが収まっていることに気付いた。
自分の弱さも過去もこうしていつだって受け止め共にあろうとしてくれるメイリアーデにどれほど救われている事か、きっと本人は知らないのだろう。
いつだってメイリアーデは自分を守ろうと一生懸命だ。
しかし実際メイリアーデに甘やかされ守られ幸せを与えられているのは自分の方だとナサドは思う。
どれだけ前を向こうと決意しても、覚悟を決めた今だって、自分の中から悩みや葛藤は消えてくれない。
自分が原因で人を苦しめてしまうかもしれない、自分のせいで大事な人が不当な扱いを受けるかもしれない。そう思うとどうしても弱い自分が顔を出す。
覚悟も願いも、もう揺らぎはしないはずなのに。
それでも全てを振り切って割り切れる程、ナサドは強くはなかった。
そして長く一人で抱え込みすぎたせいで、それをさらけ出す術も甘える方法もすでに分からなくなっていたのだ。
「……せっかくちょっとは甘えてもらえるかなと思ったのに」
「もう充分甘えさせていただいていますよ」
「またそうやってお世辞言う。いつも私がわあわあ騒いでナサドに宥められている記憶しかないわ」
やっぱりメイリアーデは分かっていないと、ナサドは笑う。
甘える術を見失いひねくれた反応しか見せない自分を、メイリアーデは否定しない。
メイリアーデの願うことを上手に叶えられない自分から、メイリアーデは離れていかない。
共にいて良いのだと、そう心から信じさせてくれる存在にどれだけ依存してしまっているのか理解したらきっと自分は引かれてしまうだろう。
「メイ」
「っ! な、なに?」
「ありがとう」
「……何が? 何もしていないよ?」
「そんなことはない。いつも俺は幸せをもらっているよ」
どうにも照れが勝り素の自分で本心を伝えることは難しい。
臣下としての言葉か、からかった声色か、そうでなければ中々伝えられない自分の正直な想い。
それでもと思い声に上げれば、案の定メイリアーデが「な、な、な……っ」と信じられないとばかりに困惑し顔を赤くしてこちらを見上げる。
これで笑うなという方が無理だろうとナサドは思った。
だっていつだって今も最上級の幸せをくれるのはこの素直で優しい姫なのだ。
「……愛してる」
いつも向こうから触れてくれるその手を今度はこちらから拾い上げ、手の甲へ口付ける。
もうメイリアーデは声も上げられない様子で口をパクパクしたまま固まっていた。
耳が熱い。
頬が火照る。
いつも冷える手足が嘘のようにドクドクと脈打って痛いほどだ。
その感情の全ては、ずっと昔に一度諦めてしまったもの。
だから今のこの瞬間は奇跡のようだと思う。
「……慣れないことをするものではありませんね。突然失礼致しました、メイリアーデ様」
「…………っ、ま、待って」
「はい?」
「も、もう少し。もう少し手を繋いでいて欲しい。だって、嬉しいんだもの、ナサドから触れてくれるの」
「…………」
「だ、だめ?」
「……少々お待ち下さい。今必死に理性を総動員しておりますので」
「え?」
悩み苦しみ、それでも温かい。
全てが綺麗に収まらない幸せではあるが、その分今を大事に生きていける。
こうして手を取り合える今がどれほど貴いものか、ちゃんと理解できる。
間違えたこともあるからこそ見えるものがあって、失ったからこそ分かることもある。
ああ、過去を抱えるということはこういうことなのかと、メイリアーデの隣で生きると決めてからナサドは知った。
「どうしよう、ナサドすごく格好いいのだけど。その正装」
「……メイリアーデ様、それは私が貴女に真っ先に言いたかった言葉ですが」
「だって素敵だったから」
「メイリアーデ様もお綺麗です」
「ふふ、ありがとう」
「……龍王族として、恥じない人生を送ります。貴女の隣で」
「うん。私も貴女の番として誇れる姫になってみせる」
「私と共に頑張っていただけますか、これからも」
「勿論よ」
不器用でぎこちなく、模索しながら、それでも決して歩みは止めずに前を向く。
「あ、そうそう。式の前に貴方に渡さなければ」
「っ、これ、は」
「龍玉石で作った耳飾り。女龍から番に贈るのは指輪ではなくてピアスが伝統なのだそうよ」
「……綺麗な黄白色ですね。メイリアーデ様の色です」
「ええ。つけてくれる?」
「勿論。ありがとうございます、大事に致します。いずれ私も貴女に黒い指輪を贈っても良いでしょうか。龍玉石では色が変わってしまいますから、黒い鉱石にはなりますが」
「嬉しいわ! あ、でも」
「はい?」
「指輪では無くて、私も耳飾りが欲しい……かも。貴方とお揃いだと嬉しい」
「……分かりました、そう致します」
「え、何故言葉に詰まったの? い、嫌だった?」
「いえ、理性と戦うのが大変だと思っただけです」
「え?」
ナサドとメイリアーデは番としての一歩をまた進む。
龍国の慣例に従い、この時より半年を置いて2人は正式な夫婦となるのだ。
その時耳に輝くのは互いの番と同じ色の耳飾り。
ほどなくして龍国内でそれまで存在していなかったペアの装飾品が流行することとなるのだが、当然2人はまだ知らない。
いつでも時間が合えば共にいたナサドとメイリアーデの仲の良さを象徴する話として伝わることとなるのは、それからさらに何十年も後の事だった。




