ナサドの王宮入り
ナサドがメイリアーデの番候補と公表されてから5年。
メイリアーデは少しずつ自立を見せ、公務も1人でこなせるようになってきている。
さらに女龍という点を活かし女性貴族との交流も増えたことで、ナサドへ向けられる視線にも変化が訪れていた。
主従、身分差、年齢差。そして過去に訳ありの元龍貴族。
まるで物語に出て来そうな単語のオンパレードに、恋愛好きの女性達は乙女心を大いに刺激されたらしい。
メイリアーデが開くお茶会は、いつの間にか王族との繋がりを持つという名目以上に人気が出るようになっていた。メイリアーデとナサドの恋愛事情に興味深々な女性はメイリアーデの想像以上に多いらしい。もっともそれをメイリアーデが知ったのはつい最近のことだが。
ナサドが番候補となってもなお以前と何ら変わらず臣下として弁えていたこと、過去の事件以外に龍王族へ対する不敬を働いたことが一切なかったこと、そもそも事件の被害者たるイェランがナサドを大事にし続けていることもきっと大きかったのだろう。
皆表立って何か言うことはないが、何か事情があったのかもしれないという意見も一定数上がるようになってきた。
ナサドの様子、メイリアーデを取り巻く貴族達の反応を見て龍王が決断したのは龍誕祭を終え一息ついた頃のとある朝のこと。
龍王宮内にナサドの部屋を与える。それはナサドがメイリアーデの婚約者として龍王から認められた証だった。
与えられる部屋も、龍貴族達に与えられる臣下の居住区ではなく龍王家にのみ許される王族居住区の一角。メイリアーデの部屋ともほど近い位置だ。
「分かっているとは思うが、そなたは未だ多くの者に不安の種を蒔く身。だがそれでもと望むのならば、他者の数倍は努力せねばならんぞ。この先は逃げることも許されん。そなたにその覚悟はあるか」
龍王に呼ばれ訪れた謁見の間にて、ナサドは跪き深く頭を下げる。
ナサドに突き刺さる視線は、昔ほどではなくなったにせよ未だ鋭い。
快く思っていない者の空気感も伝わり部屋はこれ以上ないほど張りつめていた。
それでもナサドは揺らぐことなく「はい」と声を響かせる。
「過去を消すことはできません。私が犯した罪の愚かさも全て抱え生きてまいります。なにより私を受け入れて下さったメイリアーデ様やこの機会をお許しくださいました龍王家の方々にこの先は一切恥じることが無きよう、今まで以上に精進してまいります」
「……よかろう。この先のそなたを私達も見ていること、決して忘れぬ様。メイリアーデ、そなたも今まで以上に言動に責任を持ちナサドを支えよ」
「はい、陛下。精進します」
「ナサドに王宮居住区での生活を許可する。よって、この時を持ってナサドを我が家族として扱うことを宣言する。婚約の儀、婚姻の儀の日程は追って知らせよう。皆、頼むぞ」
龍王の言葉と共に部屋に集まる重臣たちが一斉に膝をついた。
ナサドも一層深く頭を下げる。
龍王より直接与えられた鍵を恭しく受け取り、しばらく臣下の姿勢を保ったまま動かない。
その手がわずかに震えている事に気付いたのは傍でずっと様子を見守っていたメイリアーデだけだった。
「では改めて。これからもよろしくね、ナサド」
「こちらこそ、何卒よろしくお願い致します。メイリアーデ様」
真新しい内装を一通り眺めた後、メイリアーデはナサドを見上げる。
膝をつくことなくすぐ傍で立ったまま微笑み返してくれることが何よりも嬉しかった。
この先は主従ではなく番として傍に立つことができる。
「これでようやく第一歩といったところかしら。お互い頑張らなければいけないけれど、あまり気負い過ぎて思いつめないでねナサド」
「お心遣いありがとうございます。私は大丈夫ですよ」
「嘘ばっかり。緊張しすぎてまだ手の先青いよ?」
「……この程度はお許しいただきたいものです。しばらくは食欲も湧きません」
「ふふ、ナサドって本当に不思議な人よね。度胸があるのか繊細なのか、たまに分からなくなるわ」
「それは……私自身も実はよく分かっておりません」
「……なかなか難解ね」
くすくすとお互い小さく笑い合って手を取り合う。
冷え切ったナサドの手に対してメイリアーデの手が温かなのは、メイリアーデにとって緊張よりも喜びの方が大きい証だ。
早くナサドもこの環境に慣れてくれればいい。
少しずつ弱音も見せてくれるようになってきたが、それでも未だナサドは自分の感情よりもメイリアーデのことを優先する。長年培ってきた臣下としての姿はそう簡単には変わらないようだから。
願わくば自分にもっと寄りかかり甘えてくれたらなどと思う。
「……おい、お前ら俺達がいること忘れてないよな」
と、そこで心底呆れたような声が響いた。
目を丸くしたまま視線を移したメイリアーデに映るのは、やはり心底呆れた顔でこちらを見つめる兄の姿。
「イェラン様」
「様を付けるな、様を。敬語使ってみろ、ぶっ飛ばすぞ」
「そうすぐに馴れ馴れしくするわけにはまいりません。せめて公の場では」
「ここは公じゃない。近しい臣下しかいない」
「しかし」
「うるさい」
2人顔を合わせればいつも同じようなやりとりをしている気がする。
もう数えるのも面倒になるほど変わらないやり取りだ。
イェランのすぐ横には妃のユーリもいて、おおよそメイリアーデと同じような表情を見せている。
「……また始まった」
思わず呟けば、イェランの鋭い視線が今度はこちらに向いた。
「メイリアーデ、お前もいい加減その石頭しっかり躾けろ」
「ラン兄様に気安くしろって? それ躾なのですか?」
「あー、メイリアーデ無駄無駄。ナサドさん並にラン様もしつこいよ? 知ってると思うけど」
「ユーリ、お前一体どちらの」
「ラン様どーどー。ナサドさんすみませんね、うちの旦那様が」
「……ユーリ様。貴女は少し素に戻りすぎです」
「あははー、安心したのと疲れたのとで気が緩んでしまって。まあここにいるのは私達のことよく知ってくれている人たちばかりだし……ごめん、ファナ。ちゃんとするからその怖い視線やめて!」
新たに与えられたナサドの部屋。
部屋や居住区の説明、また今後の大まかな説明のためイェラン夫婦が今回は立ち会ってくれている。
ナサドと最も仲が良い龍だからという龍王の配慮だろう。
現在部屋にいるのはメイリアーデとナサド、イェラン、ユーリの他にはメイリアーデ付きの従者とイェラン夫婦に仕える従者達のみだ。
元々イェランに仕えていたナサドにとってこの場にいるイェラン夫婦の従者もまた顔見知りが多い。
メイリアーデ付きの従者は言わずもがなだ。
これはメイリアーデも最近知ったことだが、ナサドは随分と部下達に慕われていたらしい。
龍王家に直接仕えるくらいなのだからここにいる従者達はかなり高位の龍貴族も多い。
そのため罪人のナサドを表立って庇うことは出来なかったが、裏では罪人となった後も以前と変わらずナサドを上司として敬い従っていた者が大半だったのだという。
だからなのかは分からないが、今この部屋を纏う空気は温かく従者達も心なしか明るい表情をみせていた。
メイリアーデ達の会話に入ってくることは決してないが、見守られていることはしっかり感じられる。
それもまたメイリアーデは嬉しかった。
「……このままでは埒が明かないな。ひとまず呼び名は置いておいて」
「……まだ諦めないのですか、兄様」
「うるさい。話を進めるぞ」
「今後の話でしょうか、イェラン様」
「ああ。お前の従者を探さねばならん」
そして告げられた内容にナサドと2人、目を合わせ笑う。
怪訝そうにイェランに見つめられたのは直後だ。
「実はラン兄様。私の従者達の中から何名かナサドに仕えたいと言ってくれている者達がいるのです。せっかくだからお願いしようと思っています。彼等を中心にこの先少しずつ決めていければ良いかなと」
そう、ナサドが上司として慕われていたことをメイリアーデが知ったのはこの件があったからだった。
ナサドの立場がいよいよ変わると決まった際、ぽつぽつとメイリアーデの元へと志願の声があがってくるようになった。
何でもどの部下に対しても公正で丁寧、そして元来の面倒見の良さも手伝ってナサドを好く部下は多いらしい。その上ナサドが自分のことをそっちのけで他者を優先する姿を見ていることから心配にもなったようだ。
「生粋の人たらしですよ、あの方は」とは、今回メイリアーデの専属従者に昇格が決まったスイビの言葉だ。いつになく饒舌な様子で嬉しそうに教えてくれたことから、そのたらされた人物の中にはスイビも入っているのだろう。
「……ならば良い。……いや、むしろ困るか」
「え? どういうことですか、ラン兄様」
「あのね、メイリアーデ、ナサドさん。実はうちの従者達の中からも希望者出ているの」
「……はい? イェラン様と、ユーリ様の、ですか?」
「ああ。かなりの数いるぞ」
目を丸くするナサドを前に、部屋で控えていた従者が数名その場で膝をついた。
イェランとユーリの言う希望者だろう。
どうやらナサドがその威力を発揮していたのはイェランの専属時代も同様らしい。
イェランによると「今度こそナサド様の支えになる」と意気込んでいる者が多いのだとか。
イェラン付きの従者達だ、昔追い詰められたイェランやそれを支え続けたナサドを傍で見てきた者は多い。言葉で説明されずとも実情を察していた者もまた少なくはなかったということだ。
「良かったね、ナサド。思った以上に貴方には味方がいるみたい」
「……はい。猛省せねばなりませんね、改めて。どれほど自分が独りよがりな選択をしてきたのか、これほどの年月を重ねなければ分からないとは」
切なげに笑み、少し湿った声をあげるナサド。
いつまでも尾は引き続ける。
過去はなかったことにはならず、おそらくは一生背負い続けなければならないものだろう。
そしてナサドが投げ出したものの中には大事なものが確かにあって、こうしてそのことをナサドが悔いることもこの先消えてはなくならない。
見守り寄り添い、共に背負えたならば。
メイリアーデはそんなことを思った。
「しんみりしている場合じゃないぞ、ナサド。今後お前は王族として生きるために勉強漬けだ、まあもっとも礼儀作法はさして心配してないがな」
「ありがとうございます、頑張ってまいります」
「あとお前の龍王族入りに必要な各儀式、地方への公示と披露、公務の引継ぎ、諸々あるからな」
「はい、ご指導お願い致します」
「婚儀まではまだ日があるが、お前は今日から正式に俺の義弟扱いになる。家族相手に跪いたりするんじゃないぞ、ついでに様も敬語もいらん」
「……ラン様、どれだけ念を押すんですか。もう分かりましたって」
「……本当は誰よりラン兄様が待ち望んでいたのかも。ナサドの王族入り」
いつも以上に気合の入った様子のイェランにメイリアーデはユーリと目を合わせ笑う。
呆れたように頷きながらそれでも頑なにイェランを敬うナサドも中々の頑固者だ。
「ところでメイリアーデは言わないんだね、ナサドさんに気安く呼んで欲しいって。ほら、憧れない? 好きな人からの名前呼び」
「うーん、確かにナサドに呼んでもらえるとすごく嬉しいけれど、今はそれよりもナサドがここにいてくれることの方が嬉しくて」
「っ、可愛い! 私の妹、本当に可愛いですラン様!」
「お前な」
「ね、ナサドさん。すごく可愛いですよね、メイリアーデ」
「……そう、ですね。申し訳ありませんが、私に今その話題を振らないでいただけますか。盛大に惚気てしまいそうで恐ろしいので」
「……惚気るんだ」
「…………お前、案外包み隠さないな吹っ切れると」
とにもかくにも、ナサドの王宮入りは賑やかで温かな空気に包まれ始まる。
ずいぶんと穏やかな様子で素を見せてくれるナサドにメイリアーデはひたすら嬉しいだけだ。
堂々とメイリアーデに気持ちを告げてくれるナサドに愛しさが膨れないはずがない。
愛しい気持ちのままにそっと手を握ってみれば、一切の拒絶も見せず優しく握り返してくれる。
幸せすぎてうっかり泣きそうになってしまった。
「ラン様、どうしよう。なぜか唐突に2人の世界に突入したのですが」
「……砂吐いていいか」
「うわ、ラン様がラン様らしからぬ言動を。幸せそうなのは良いんですけどね、振り幅が」
互いに片想いが長すぎたせいか、どうやら反動も相当なものだったらしい。
そして意外とナサドもまた箍が外れると抑えが効かなくなる性質だったようだ。
幸せいっぱいの初々しいカップルに微笑ましい視線を向ける数多数、甘すぎる空気に苦い顔をする者多数、そして涙ぐむ者少数。
何とも不思議な、しかし悲しみのない空気感。
メイリアーデが願い続けた幸せの形が、ここにあった。




