58.新たな生
津村芽衣としての記憶の鎖が解かれたからと言って、神子の言う通りすぐに記憶がなくなったわけではない。
強いて言うならば、津村芽衣という人物がメイリアーデにとって少し距離の置かれた存在になったというくらいだろうか。
芽衣としての自我が自分の中で主張することは無くなった。
その程度の変化だ。
そしてメイリアーデを前世の繋がりから解放した神の眷属達は、揃ってこの龍国を後にした。
この先は会うこともないだろうとそう言い残して。
「まあ、この先も苦難続きだろうが頑張るんだな。思考さえ停止しなけりゃ何とかなるだろ、きっと」
「君のことはそう嫌いじゃなかったよ。その強欲さは忘れない方が良い、長所であり短所でもあるけど」
「君達の末永い幸せを願っている。ここまで辿り着いた君達なら大丈夫だろう」
「お、お邪魔しました。どうかお元気で」
それぞれ個性ある言葉で締めて目の前からいなくなった4人。
接した時間はそこまで多いわけではなかったが、印象に強く残る出会いだったと思う。
それぞれからもらった言葉を胸に刻み、メイリアーデは頭を下げた。
「それにしてもまさか神様まで絡んでいたとは……」
今更ながらにとんでもなくスケールの大きな話だったと思う。
実際自分の身に起きたことで、神の力も目の前で目にしたというのに、メイリアーデは未だにどこか全てを信じ切れない。
夢だったのではないかと思うほど、様々な人が複雑に絡み合った壮大な話だ。
日本と龍国と人間と龍人と、そして神をも巻き込んだメイリアーデの人生。
本当信じられない程大事だなと思いながら、メイリアーデは笑う。
「メイリアーデ様、おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」
「おはよう、ナサド。今日もよろしくね! 一緒に頑張ろう」
「はい」
日常は変わらない。メイリアーデの望みだって同じだ。
これからもメイリアーデはこの龍国で龍人として生きていきたい。
ナサドや大事な家族を守れる自分になって、幸せに暮らしたい。
全ての真実を知って心にもだいぶすっきりした。
長く付き合ってきた前世との別れは寂しいが、気持ちの整理も出来た。
となれば、前を向いて精進あるのみだ。
気合をいれつつメイリアーデは傍で変わらず控えるナサドをじっと見つめる。
そっと近づき至近距離で見つめ続けると、ナサドが首を傾げた。
「その、ね。頑張る活力が欲しいなって……」
「活力、ですか?」
「うん、その……抱き付いても良いかしら」
「……はい?」
「許可を取らなければいけないのよね? 許可さえとれば、良いのよね?」
過去を思い出し自分の気持ちを再認識し、そうしてナサドを見ればやはりメイリアーデの中から溢れて来るのは愛しさで、ついつい我儘を言ってしまう。
メイリアーデの言葉を受けた愛しい人は、なぜだか目の前で渋面をつくる。
大きなため息とともに彼は口を開いた。
「……どうぞ」
「い、嫌なの? そんなに苦い顔で言われるとさすがに私も躊躇うのだけど」
「嫌ではありませんよ、嫌なわけがございません。ただ理性と闘うのが大変だという話です。どうしてそう可愛すぎるのですか」
「えっと、もう私どうすれば良いのか分からないのだけど」
「メイリアーデ様はメイリアーデ様のままでいらっしゃって下さい。頑張りますので」
「う……どうにもこの雰囲気では抱き付きにくいわ」
素の顔を見せてくれること、素直な気持ちを教えてくれること、ナサドはもうそれらを躊躇わない。
特に恋愛が絡むと正直な胸の内をいつも晒してくれる。
それなのに恋って難しいと感じてしまうのは何故なのか、メイリアーデは内心で悩む。
しかし次の瞬間にはナサドも笑って抱き寄せてくれた。
それだけで心臓はうるさくなって、嬉しくなって、幸せだと思えてしまうのだから大概自分もげんきんだ。
「あのね、少しずつで良いから恋愛のいろは、私にも教えてね。あ、もちろん自分でも勉強するけれど!」
「私もお教えできるほど経験などございませんよ。ちなみにお伺いしたいのですが、一体どのように学ばれるおつもりですか?」
「……恋愛小説とか? あ、セイラお姉様とユーリお姉様にも」
「後生です、妃殿下のお二人にはどうか私達のことはご内密に。特に野村の方」
「え? どうして?」
「とてつもなく恥ずかしいのですよ、教え子に恋愛事情知られるのは」
「……私、最近だとユーリお姉様からラン兄様とのお話聞くことあるけれど」
「……それはイェランには言わない方が賢明ですね。面倒事になりそうだ」
ナサドの胸に顔を寄せ、鼓動を聞く。
時間にしてはわずかなもので、話す内容も大した内容ではなくて、それでも幸せなひととき。
こんな触れ合いが習慣にならないだろうかとメイリアーデは甘い夢を見た。
「ねえ、ナサド。大好きよ、今日も愛してる」
「……急にいかがされましたか」
「急にではないよ。ずっとずっと変わらないものだもの」
言葉を惜しまずぎゅっと腕の力を込めて今日もメイリアーデは愛を届ける。
ナサドとの婚約が許されるまで、どれほどかかるか分からない。
だからこそ、こういった触れ合いは大事にしたいのだ。
そうしてにこりと笑んでメイリアーデはそっとナサドから離れた。
いつものようにその手を握って、気合を再び入れる。
そして公務に向かおうと力を抜いた時、グッとナサドから手を握り返された。
「……っ、ナサド?」
思わず名を呼べば、ナサドは何故か深呼吸。
「メイ」
「え……?」
「俺も、愛している。メイを、ずっと」
そうして彼から紡がれた言葉に、メイリアーデはポカンと口を開け固まった。
メイ、と愛称を呼んでくれたナサド。
敬語ではなく、素のままの口調で告げてくれたその言葉が頭の中で勝手にリピートされる。
分かりやすく呆然としたメイリアーデにナサドは吹き出すよう笑った。
「さあ、参りましょうか。メイリアーデ様」
「ま、まって! い、い、いま、いまナサド私のこと」
「……いつもメイリアーデ様にばかりやられっぱなしは悔しいもので。さて、本日の公務は」
「も、もう一回! もう一回呼んでっ」
真っ赤な顔でねだるメイリアーデと、涼しい顔で笑うナサド。
少しずつ、少しずつ、その距離は縮まっていく。
師弟から始まり、主従となって、恋人になって、夫婦へと今は向かっていく。
部屋を後にする2人の顔は、今日も笑顔だ。
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「まあ、ではナサド様とはまだ一度も?」
「な、内緒よ? ナサドは照れ屋なの、ここで話したと知れたら貝になってしまうわ」
「ふふ、その時は私達に無理やり聞き出されたとお話下さい。事実、無理を申し上げ根掘り葉掘りお聞きしたのは事実ですもの」
「……驚いたわ、皆何と言うかものすごく前のめりなんだもの。あの、ところでどうしてまだ目が輝いているのかしら」
「姫様、乙女とは恋によって輝き花開くもの。ご身分差のある恋愛など素敵ではありませんか、ナサド殿も近頃姫様の影響で穏やかなお顔になっていると評判ですのよ?」
「え、そうなの? それは嬉しいわ」
「ええ、ええ。お二人の仲睦まじいご様子に憧れるご令嬢は多いのです。その裏側をお聞きできるとは何て幸せなのかしら。姫様がお開きになるお茶会は激戦ですのよ」
「え、ええ!?」
メイリアーデの立ち位置はそれから大きく変わっていった。
兄達の補佐として公務をこなし国の内部を知り、そうして少しずつ簡単な公務の引継ぎを受ける一方、こうして国内の令嬢との接点も持つようになったのだ。
義姉であるセイラやユーリの手助けも得ながら女性の社交場を学び、女性ならではの交友も少しずつ広げている。
兄達に出来なくて自分にならばできること。これはその中のひとつだ。
未だ戸惑うことも多く、周りに助けられることも多々あるが、それでも女性ならではの視点で国を知り支えになれないかと視野を広げている。
メイリアーデがナサドと両想いになって5年。
いまだメイリアーデの中から津村芽衣の記憶は消えていない。
それでも少しずつ小さな会話から薄れているのは感じている。
津村芽衣としての個はだんだんと目立たなくなり、メイリアーデとしての個がはっきり浮き上がる感覚。
それでもメイリアーデは変わらずナサドを愛し、ナサドもまたメイリアーデを愛してくれる。
もう大丈夫と、そう思える程にこの想いはもう揺るぎないものとなっていた。
「お疲れ様でございました、メイリアーデ様。お茶会はいかがでしたか?」
「お迎えありがとう、ナサド。とても楽しかったわ、今日はねユイガ家縁の可愛らしいご令嬢に会えたのよ」
「そうなのですか、それは良かったですね」
相変わらず2人の関係は表立っては主従で、表立っていなくとも主従のようなやりとりが多い。
それでも5年この関係を積み上げてくれば、お互い心の置き場も相手の感情も分かるというもの。
「ところでメイリアーデ様、なぜ先ほどから視線を合わせて下さらないのですか? お茶会で何をお話されたのです?」
「う……っ、貴方本当に察しが良すぎるわ。実は貴方まで才の龍とか言わないわよね」
「まさかそのような。メイリアーデ様が分かりやすいだけですよ。それで、何を?」
「な、何でもない。何も、なにひとつ話していないわ!」
「……メイ? 教えて?」
「っ、ず、ずるい! こういう時ばかりそういうのってずるいわ」
振り回し振り回され慌ただしく日常は過ぎていく。
まだまだ課題は山積みで、周囲から厳しい視線を受けることも多く、やるべきことはたくさんだ。
それでも一歩一歩手を取り合いながらここまでメイリアーデ達は進んできた。
「もう! そうやってからかうなら大事なこと教えてあげないんだから」
「からかってなどおりませんが。……大事なこと?」
「ええ、そうよ。とーっても大事なこと」
そうしてメイリアーデはにこりと笑う。
きょとんと目を丸めて聞く姿勢を取ったナサドを見つめはっきりと声にのせた。
「お父様の元にもう一度行くよ、ナサド」
「は……陛下の、もとに」
「ええ。今朝お話があったの、そろそろ貴方に王宮内で部屋を与えようって」
「……っ、それは」
「やっと貴方に龍玉石を贈れるわ。番の証である、想いの石を」
その瞬間メイリアーデの目に映るのは噛み締めるように頷き目を赤らめるナサドの姿。
目元をしわくちゃにして笑う彼の背にメイリアーデはそっと手を添える。
途端に喜びが爆発したのか強く抱きしめられて、メイリアーデも声をあげ笑った。
そうして2人の龍としての人生はようやく始まるのだ。




