57.記憶の終着点
神の采配でナサドが日本へとやって来て、同じく神の采配によってメイリアーデはこの世界に生を受けた。
普通ならば会うはずのない、再会だってあり得ないナサドとメイリアーデの出会い。
運命だと、そう言ってしまったら陳腐に感じてしまうだろうか。
しかしそれ以外の言葉をメイリアーデは思いつかなかった。
「出会うべくして出会ったのですね、私達は」
そう、言葉になって出るくらいに。
神子は頷き笑う。
「しかしただの偶然を必然へと引き寄せたのは君達自身の意志だ。神が出来ることなど0を1にするくらいのこと、そのきっかけすら強固な意志がなければ引き出せない。改めて、見事だった」
「……ありがとうございます」
「君達が何を考えどのような道を示すのか、その答えが出る日をずっと待っていたよ。私に与えられた役目を果たすために」
そうして神子から聞かされたのは、彼らがわざわざ龍国にまでやって来た理由だ。
役目。そう聞いて思い当たるものは無く、彼等が何をなそうとしているのかメイリアーデには理解できない。
「その役目とは」
だから単刀直入に聞けば、神子の顔がここへ来て初めて少し寂しさの見せる憂いた顔になった。
メイリアーデをじっと見つめ、ナサドをじっと見つめ、そうして彼は声をあげる。
「君の魂をこの世界の流れに組み込み正常化させること。つまり、前世からの解放だ」
前世からの解放。
耳に届いたその言葉にメイリアーデは息をのむ。
それが一体何を指すのか、メイリアーデ自身詳しく理解しているわけでは勿論ない。
しかしメイリアーデが前世から引き継いだものなどたかだが知れていて、解放されることによって何が起こるのか想像がついてしまったのだ。
神子は苦笑してメイリアーデに頷く。
そうしてこの世界の仕組みを簡単にではあるが説明してくれた。
「魂というのは器である肉体が死する時に浄化され、新たな生を歩む。経験、記憶、知識、立場、全て洗い流し新たな命を育むんだ。それがこの世界の魂の流れで、あるべき正常な姿。私達神の眷属やメイリアーデ、君以外は例外なく皆この魂の循環の中にいる」
「……皆。ユーリお姉様も、ですか? 彼女は」
「うん、異世界から転移したとしても魂の状態さえ正常ならば、すぐに世界に適応しこの世界の循環に組み込まれる。彼女がいずれ死を迎えた後も、その魂は浄化されこの世界のどこかで新たな命になるだろう」
「転移が循環から外れる要因じゃない。ということは、同じ日本から転移したはずの私が循環の外にいるのは」
「そう。浄化される前にこの世界で生まれ変わったことによって君の魂が記憶に縛られているから。君の名が前世と似た響きであることも、第二の姿が前世の姿そのままであることも、魂そのものが以前の生に縛り付けられている影響だ」
「それ、って」
「このまま魂が記憶に縛り付けられた状態でいれば、君は世界の輪から外れ幾度も転生を繰り返す身となる。今の生、メイリアーデとしての人生を日本での記憶を繋いだまま永遠に」
「……っ、永遠、に」
それを止めるために来たのだと、神子は言った。
ふとメイリアーデの視線が向く先は、その循環の外で長く記憶を繋いできた神の眷属達。
神子、女神、防人。4人は伝承で語り継がれるほど有名な存在で、龍人族が誕生するよりずっと前から記憶を繋ぎ生きていた。
神子は神子としてしか生きられず、女神もまたしかり。
防人の2人もまたずっと同じ名と同じ風貌と同じ生い立ちを幾度と繰り返している。
メイリアーデが彼らと同じように転生の渦にはまってしまったらどうなるか。
理解できないほどメイリアーデも察しが悪いわけではない。
「この先、君がこのまま死んでまた龍人の姫として生まれ変わっても、そこにナサドはいない。彼は魂の循環の中にいるから、全く別の存在として新たな生を歩んでいる。記憶を繋げ転生を繰り返すということは、そういうことだ」
この生を乗り越えた先にはもうナサドはいない。
死を迎えれば、もう同じ存在は生まれてなどこない。
それが当然の摂理なのだと神子は言う。
だから記憶を繋いだまま転生を繰り返したところで苦しみしか生まないとも。
特にメイリアーデはこの世界に多大な影響力を及ぼす女龍だ。
人間を龍に変化させる力を持つ存在。
そんなメイリアーデが記憶に縛られ幾度も繰り返し生まれてくればどうなるか。
生態系が崩れ、世界が変わってしまう。
どちらかと言えばそれを防ぐのが神子達には重要らしい。
親である神が創造した世界を守る、それが彼等の生まれ持った本能だから。
そして何よりも転生の渦に魂を閉じ込めるやり方について、神子自身思うところがあるようだ。
「記憶を繋ぐ……そう言えば聞こえは良いかもしれないけれど、実際のところは呪いのようなものだ。解放もされず逃げることすら許されない、永遠と続く鎖だと私は思う。私やミリアはまだ良い、この世界の調整役として生まれたのだからそういった苦しみに強く出来ている。しかし、人は……」
そう呟き神子が見つめた先は防人と呼ばれる2人の男。
ザキとヨキ、彼らは自身を転生するだけのただの人間だと言った。
一体どういう経緯で2人が人の輪から外れ記憶を繋ぎ続けることとなったのか分からないが、神子は苦い顔でひたすら眺めている。
「悔いて、いるのですか」
思わず尋ねれば、神子は苦笑した。
「彼らに関してだけを言えば、悔いているわけではないんだ。共にこうして生きてくれていることに感謝している。彼らは私の宝を守り愛してくれる、幸せそうに笑ってくれていると思うよ。けれど彼らの始まりもやはり呪いのようなものだから。私は記憶を繋げるという行為には、肯定的ではいられない」
「……だから私の記憶の鎖も外すべきだと」
「うん。神の干渉も、過ぎた力も、無いなら無いに越したことはない。そのようなものがなくとも人は強くたくましく幸せに生きていける」
「……はい」
「けれど、どうして神はそれでも人に何かを分け与えずにはいられないのだろうね。いつの時代にだって神は気付けばいつも誰かに手をさし伸べているように思う。人を愛する神の性分だからなのか、それが人の持つ力なのか」
厄介なものだとそう笑う神子の表情は柔らかい。
神を愛し、世界を愛し、人を愛し、そうしてこの世界の成り行きをずっと見守っている神の眷属。
そしてメイリアーデにはっきりと告げた。
「君は見事メイリアーデとしての生を選び取り、メイリアーデとしてナサドの心を得た。神が願い望んだとおりの答えを導き出してみせた。だからこそ、その魂をあるべき姿に戻すのは今だと私は思う」
「前世の記憶を、消すのですか?」
「うん。記憶の鎖を外したからと言えど、すぐに全てを忘れるわけでは無いよ。今の生を歩む中で、ゆっくりと循環の中にそれは溶けてゆく。人によって個人差はあるだろうけど、おそらく50年も経てば君の中から津村芽衣としての記憶と人格は無くなるだろう」
それがあるべき姿だ。
神子の言葉に、メイリアーデはゆっくりと目を閉ざした。
自分が津村芽衣の記憶を持って生まれた理由、どうしてナサドの傍に生まれてきたのか。
そしてこの先自分がどう生きることを望み、どうするべきなのか。
答えはこれで全て出揃った。
迷うことも悩むことも、もうメイリアーデの中にはないはずだ。
しかしそれでもいざ津村芽衣の記憶が自分の中から消えるのだと分かれば、どうしようもなく寂しく悲しい気持ちになった。
今の自分がメイリアーデとしての生を選びナサドと共に龍として生きるのだと決めていたとしても、津村芽衣の生を嫌いだったわけでは当然ないのだ。
わずかにしか残らない記憶でも、メイリアーデにとっては優しく温かく大事な思い出であり宝物のようなもの。幸せだった記憶を抱えてこの先も生きていくのだと、そう疑問にも思わず過ごしてきた。
そうか、その思い出が自分の中から無くなってしまうのか。
そう思うと、ショックを受けるくらいに自分は悲しいのだろう。
「……っ、ナサド?」
そんなメイリアーデの手をそっと握ったのは、それまでずっと静観していたナサドだ。
柔く、解こうと思えばさして力を入れずとも解けそうなほど緩く握られた手。
その先から視線を辿ってやがて顔に辿り着けば、ナサドは柔く笑っている。
少しだけ滲む切なげな表情に胸がしめつけられそうになった。
それでもナサドは笑みを消さずに口を開く。
「大丈夫ですよ、メイリアーデ様。私が覚えていることは、いつだって教えてさしあげられます。貴女様の中から津村の記憶が消えても、私達の間にあった出来事そのものが消えてなくなるわけではございません」
「ナサド……」
「メイリアーデ様の中から津村の面影がなくなろうとも、私はメイリアーデ様を愛しております。何も変わることはないのです」
「う、ん……っ」
ああ、とそう思いながらメイリアーデの目が熱くなった。
大事な記憶も、抱え込んだ思いも、何一つなくなるわけでは無い。
きっと自分はそう誰かに言ってほしかったのだろう。
躊躇い悩み、悲しみに引きずられそうになればこうしてすぐに引き戻してくれる自分の大事な人。
彼との出会いの記憶を、自分は近く失ってしまう。
悲しいと、そう思う心をナサドは否定しないでくれた。
大丈夫と、そう頷いてくれた。
グッと握られた手に力をこめれば、途端に強く握り返してくれるナサド。
その手の温かさに、メイリアーデは決意できた。
「神子様。どうかお願いできますか」
「良いんだね。心の準備は良いかい」
「……はい」
そうしてメイリアーデに向かい神子から伸ばされる手のひら。
目の前が急に白くぼやけて、何か視界の端の方でパキパキと音が鳴っているようにも感じる。
薄い氷が割れるような、そんな感覚。
それまで感じたことのような体の軽さをメイリアーデは覚える。
心の重りが取れるという感触を、この時初めて味わった。
「どうか、創造の神様にお伝えいただけますか? 私に機会を与えて下さったこと、心より感謝しますと。転移の神様には、無理ですね」
「どうかな。けれどその言葉、確かに言付かったよ」
「ありがとうございます」
そんな会話が終わる頃、最後にパキンと自分の中で大きな音が立って視界が開ける。
記憶が解かれたのだと、そう理解する。
目から勝手に流れてくるのは、大粒の涙。
抑え方も分からないほど次々と流れて、服に吸い込まれていく。
その間ずっと手を握り続けてくれたナサドに向いて涙を流したままに笑えば、苦さの少しだけ残る笑みで返してくれた。
「……さようなら、芽衣」
「……さようなら、津村」
メイリアーデとナサドの言葉が重なる。
本当に、これで津村芽衣と自分との繋がりは消えてなくなる。
別れを惜しんだ涙が止まることは、もうしばらくないだろう。
“津村芽衣です。これからご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします”
“ああ、よろしくな”
頭の隅で未だ絡みつくわずかな記憶。
いつか、溶けてしまう大事な思い出。
津村芽衣との別れは、最後まで温かいままだった。




