56.神の眷属
ナサドを番候補とする旨を公表して半月が経過した。
表立って反対の声をあげたのはごく少数、他は沈黙を守っている状態だ。
ナサドの過去が過去なだけに皆慎重であり、歓迎の声は中々聞こえてこない。
ナサドに対し比較的友好的な貴族も今回ばかりは静観しているようだ。
「少しずつ積み上げていくしかないわね」
「申し訳ございません、ご迷惑を」
「謝らないで、ナサド。貴方のことを全て承知の上で私がしつこく付き纏った結果なのだから。むしろ貴方被害者よ?」
「それは……、ずいぶんと幸せな被害者ですね」
「ふふ、そう思ってくれるのなら嬉しいわ」
周囲の反応を初めから覚悟していたメイリアーデだから、この程度でへこたれたりはしない。
自分の望む未来がどれほど欲張りなのか分かっていてこの道を選んだのだ。
ただ今は精進あるのみと気合を入れる。
「さて、今日も頑張りましょう。一緒に」
「はい。よろしくお願いいたします」
いつもと同じ主従の挨拶。
公務の前に何度も繰り返してきたこのやり取り。
両想いとなってもなおメイリアーデとナサドが続けている習慣のひとつだ。
少し違うところと言えば、その後お互い笑い合って手を握り合うくらいだろうか。
それもほんの数秒だけの触れ合いではあるけれど。
そうやって少しずつこの関係も積み上げていくのだ。
気持ちを分け合い、互いの身を預け、支え合える間柄になれるよう。
そうしてメイリアーデは今日も公務につく。
王宮が急に慌ただしく騒がしくなったのは、その日の夕方のことだった。
公務から王宮に戻ったメイリアーデを待ち受けていたのは、ひどく慌てた様子で「お早くこちらへ」と急かす侍女達の姿。
ナサドと2人首を傾げながら侍女達についていく。
案内された先は王宮の、いや王専用の客室だった。
この国において客人を招くには最も格式高い部屋。
今は確か神の防人であるヨキとザキが滞在していたはずだ。
そう思いながらも急かされるままに部屋に入れば、そこにはヨキとザキの他に2名見知らぬ人物がいた。
黒髪黒目の少年と、赤髪赤目の少女。
龍人以外で色を持った髪目の存在、そしてヨキやザキと共にいることからその正体は容易に想像できる。
あまりに唐突に現れた彼等に驚いたのは数秒のこと。
はっと我に返り、慌ててメイリアーデはその場に膝を付く。
「初めまして、神子様、女神様。お会いできて光栄です」
正式な礼をとれば、たちまち目の前の神子は面倒そうな顔をした。
次の瞬間には、神の業を使ってメイリアーデを強制的に立たせる。
神子の手の平がこちらに見えたかと思えば足が勝手に動き出してその場に立ち上がったのだ。
神の力を操るとされる神子。どうやら伝承は本当らしいと、そんなことを思う。
一方の女神……赤髪赤目の少女はただぽかんとその状況を見つめているだけだった。
神子を兄と慕い、周囲の瘴気を払って気を清める。
それが女神に伝わる伝承だ。
清らかな気というものも正直よく分かっていないメイリアーデだが、確かに独特の気を纏っているのは分かった。
「畏まったのは嫌いでね、礼も挨拶もいらないよ」
神子の表情は穏やかなまま変わらない。
たった今神の力を使ったというのに、何事もなかったように笑いメイリアーデを見つめている。
「……髪目が、黒い」
何故だか後ろでナサドがそんなことを言った。
意味が理解できず振り返ろうとするメイリアーデ。
しかしそれよりも早く神子が口を開く。
「近くにミリア、女神がいるからね。私の分の瘴気は彼女が全て吸って清浄な気へと変えてくれる。瘴気を吸い込めば赤になるし、そうではない時は黒のまま」
「……っ、大変失礼なことを」
「良いよ、謝らなくて。久しぶりだね、ナサド。あの時は近くにミリアがいなかった上にこの国の瘴気にあてられて色が変化していたんだよ。まあ私の存在を理解させるにはちょうど良かったから利用させてもらったけど」
神子の言葉にメイリアーデは驚く。
一体いつの間にナサドは神子と会っていたのか。
驚きの表情でナサドを見上げれば、ナサドは「以前城下でお会いしたのです」と教えてくれた。
と、そこでガタンと音を立てたのはそれまで部屋の隅でじっとしていたザキだ。
「ちょっと待て」
「どうしたザキ? そんなに険しい顔して」
「リアム、お前一体いつからこの国来てた。まさかずっとミリアと城下にいたとかぬかさねえよな」
「ん? ああ、いたけど?」
「へえ? リアム、君本当いい性格してるよね。私とザキがどれほどミリアと離れて欠乏症になっていたか知っているだろう。勝手にその力で私達をここまで飛ばして仕事させておいて、ご褒美も無しなわけ?」
「ミリアをここに連れてくれば君達ミリアに構いっきりで仕事しないだろう? 全く、何年経ってもミリア執着が激しいのだから」
「えっと……、その……、ごめんなさいザキ、ヨキ。私も2人に会ったらずっと一緒にいたくなっちゃうから、心を鬼にして我慢したの。ごめんね?」
「ミリア……会いたかった」
「優しい子だね、ミリア。大好きだよ」
「う、うん、私も」
なぜだか知らぬ前に目の前で恋人同士のむつみ合いが始まる。
普通と違うのは女神1人に対し防人2人がまとわりついていることだろうか。
メイリアーデなど見えてもいない様子でザキとヨキは女神を抱き込んだ。女神の右にはザキ、左にはヨキがそれぞれくっつきやたらと手やら髪などに触れるその姿は正直すぐに胸焼けしそうなほど。
(というかキャラが違う…っ)
デレデレに女神を甘やかし始めた防人達を見て、メイリアーデは心でそう叫ぶ。
その後ろでナサドはそっと視線を外し「神の眷属、とは」とぶつぶつ小さな声で呟いていた。
どうやら相当衝撃的だったらしい。
何度も思ったが神の眷属とはもっと清廉な……これ以上はくどいのでメイリアーデも心の中で自制する。
唯一この中でもまるで変わらなかったのは神子だけだ。
「結局いつもこれだよ」と呆れた様子で呟き息を吐く。
つまり彼はこの光景を見飽きるほど見ているのだろう。
同情してしまうのは不敬だろうか。
「まあ、良いか。私達は私達でなすべきことをなそうか」
「え、あの……女神様たちは」
「ああ、放っておいて良いよ。いつものことだから。構っていたら夜も更けるしね。さあ、そこに座って」
にこりと笑い部屋で繰り広げられている甘い空気を一刀両断して話を進めたのは神子だった。
女神達と神子を交互に見比べ、さすがにそうすっぱりと気にせず椅子には座れないメイリアーデとナサド。
しかしまた体が勝手に動きナサドと横並びで椅子に座らされる。
何と言うか、そう頻繁に神の力を使っても良いものなのだろうか。
女神達を放っておいても良いの、あれ?
甘い空気と穏やかな空気と神聖な空気と、一気に混ざり合いメイリアーデの頭が混乱する。
しかし神子があまりにも綺麗な笑みで女神達を意識から外すものだから、メイリアーデもナサドもそれ以上何も言えなかった。
神の眷属と呼ばれる彼らのペースにのまれ、呆然としていたのはどれほどだろうか。
あまりに一気に多くの情報を入れたことで麻痺しかけていた脳が再び働き始めるまで数分を要した気がする。
しかし何とか正常な思考回路を取り戻したメイリアーデは、その場で「失礼しました」と一言添えてから神子に問いかける。
「それで神子様がいらっしゃったご用件は何でしょうか。なすべきこととは何かお伺いしても?」
神子はメイリアーデの問いにやはりにこりと笑ったまま「うん」と小さく返事をする。
何か察することはないかと言わんばかりのその表情に、メイリアーデは今までを思い出そうと視界を神子から外した。
視界は自然と上を向き、それが何か情報を引き出している時の表情だと伝わっているのか神子から声はあがらない。
そうして引き出されたのは、以前スワルゼ家に囚われていた際ザキに言われた言葉だ。
“神の力に触れたお前が何を考えどう答えを導くのか、俺達は見極めなければならない”
神の力。
そのような大層なものに触れた記憶はない。
しかし実際、メイリアーデには前世の記憶が存在する。
転生など神の眷属以外では聞いたこともない。
そのことに関してザキははっきりと神の介入があったと言っている。
ならば、今神子がわざわざここまで来たことにはそれが関わっているというのだろうか。
彼等の言う答えとは一体何だ?
と、そこまで思考が回った時。
「そうだよ、メイリアーデ。本来ここにはいるはずのない君がここにいるのは、神の介入あってこそ。そしてだからこそ私はこの場にやって来た。君の答えを見極め、神の契約を完遂させるために」
神子は、そう告げてきた。
メイリアーデは何も口を開いていないと言うのに、神子はまるで心の中を覗いたかのように言う。
訝し気に神子を見つめたメイリアーデをやはり変わらぬ笑顔のまま神子は見つめ返す。
「この世界にはたった一柱の神しかいないけれど、日本という国には驚くべき数の神がいるそうだ。八百万、なんて言葉があるほどね」
そうして唐突に始まったスケールの大きな話にメイリアーデは目を瞬かせた。
一体メイリアーデの答えを見極めることと神の話とどう繋がるのだろうかと。
神子はそんなメイリアーデの思考を読み取っているのか「まあ焦らず聞きなさい」と告げて言葉を続ける。
「私が親と呼ぶこの世界の神はね、その日本のとある神と一つの契約を交わしたんだよ。契約相手は空間を操る転移の神だった」
「転移の、神」
「そう。神の世界にも規律というものは存在してね。他の神の力を借りたい場合は等価の力を持ってそれを返すことという、まあ言葉にすれば普通の規律だけど。要するに力の等価交換だと思えば良い」
「えっと……つまりこの世界の神様が日本にいる転移の神様に何かを頼んで、その代わりに日本の神様がこの世界の神様に何かを頼んだ、ということですか?」
「そう、その通りだよ」
「その……それが一体私達とどう関わりが」
「気付かないかい? 日本の神は転移の力、うちの親は創造の力。考えをもう少し単純にすればいい。一体日本の神は何を転移し、うちの親は何を創造したのだろうね」
なぞなぞのような、答えが分かるようで分からないような、そんな問いかけ。
話すその内容があまりに規模の大きな話で全くもって理解が追い付かない。
それでもきっとこの神子は今の自分達に必要だからこの話をしているのだ。
だから必死に思考を巡らせ考えるメイリアーデ。
ぽつりと横からナサドが何かを思いついたように声をあげた。
「まさか、俺達が日本へ跳んだのは」
ナサドなりに動揺しているのだろうか、いつも人前では「私」で通す一人称が素になっている。
そしてナサドの言葉を拾い上げ満足そうに頷いたのが目の前の神子だ。
「そう。うちの親はね、君達を日本へと転移させて欲しいと日本の神に頼んだんだよ。いくら神に似た力を使える才の龍と言えど、彼は世界を跨ぐほどの力は流石に持たない。だからと」
「お待ちください、一体どうしてですか。どうして神は私達をそこまで気にかけて」
「君達が特殊だったからだ。才の龍の中でもさらに力の強いイェラン、その影響を受け龍へと生態変化したナサド。君達のことを我らが神はずっと気にかけていたよ、あまりに強い力を持ち生まれた君達にとってこの世界は生きにくいのではないかと」
「っ」
「普通から外れることの恐怖は私達も知っている。過去に私や女神も普通との違いに惑い苦しみ世界を崩壊の際まで追い込んだことがあるからね。それを親も覚えていたんだろう、悲劇を繰り返さぬためにも君達の救済を決めた」
「……どうして、手段が異世界への跳躍だったのかお聞きしても?」
「君達は国外へ出ることを望んでいただろう? だからだよ。それが君達の意志ならば、この世界と比べ多様性や可能性に富んだ日本へ跳ばすことで何かに気付き君達に立ち直ってほしかったのだと思う」
すぐに信じろと言われて信じられるような話では正直ない。
とても現実離れしすぎていて、そんな馬鹿なという言葉が頭の中を何度も駆け巡る。
しかし実際に才の龍の能力で異世界に跳べないことは事実で、イェラン自身も「もう日本へ行くことは不可能だ」と言っている。
全てが嘘とは言えない。
信じがたいが、強く否定出来だけの根拠もまたない。
だから何とか無理やりにも呑み込み、メイリアーデはその会話を何度も頭で思い返して話についていこうとした。
そうしてふと気づく。
「ちょっと、待ってください。転移の神様がナサド達を日本へと跳ばした。ならば創造の神様は何を創った……? 一体転移の神様は何を創造の神様に願ったのですか」
そう。もし神子の言葉が全て真実だとするならば、創造の神もまた転移の神のために何か力を使ったということになる。
“神の力に触れたお前が何を考えどう答えを導くのか、俺達は見極めなければならない”
“一度でも疑問に感じたことはないか、どうして自分にだけ前世の記憶なんてものがあるのかと。転生を繰り返す俺達の存在を本当にお前は一度も気にしたことがないのか?”
頭によぎるのはザキから言われた言葉達。
自分の身に残る記憶もまたひとつの重要な証拠だ。
なぜ自分が神の眷属同様に前世の記憶を持っているのか。
自分は一体どういう形で神の介入を受けた?
考えれば考える程、創造の神によってもたらされた何かが自分と関わりあるように思えてならない。
そしてそれを肯定するかのように神子は笑みを深め頷いた。
「器、だよ」
「……うつ、わ?」
「そう。君の魂が入る、器。つまりはその身体だ」
「っそれ、って」
「“津村芽衣が願いを叶えられるための器の創造”それが転移の神が願った内容だった。ナサドの秘密を隠し共に生きる可能性を生み出す、女龍としての身体。転移の神はそれを頼み、出来上がった器に君の魂を転移させた」
明かされた真実にメイリアーデは絶句する。
横で座るナサドもまた驚きのあまり、顔を青ざめさせていた。
日本で死に、世界を越えてまでナサドの傍へと生まれてきたメイリアーデ。
それが全て神の采配だったなど、誰が思うだろうか。
「死してなお魂だけの存在となってもたった一つの約束を果たそうともがいた君の心が、そうさせたんだ」
「……え?」
「君の願いを、約束を、叶えさせるために0だった可能性を1にすること。それこそが転移の神が願った全て。神をも揺らす君の気持ちが今を生んだ」
神子の言葉に、メイリアーデは何も返せない。
……思い出すことが出来ない。
津村芽衣の最期も、その後も、メイリアーデは覚えていないのだ。
だから実感も何も持てず、ただただ自分はとんでもないことをしてしまったのではないかという思いだけが残る。
しかし、目の前で神子は柔く笑んでメイリアーデに告げた。
「お見事だよ、メイリアーデ。君はたった1しかなかった可能性を広げちゃんと答えに辿り着いてみせた。転移の神の見る目は確かだったようだ」
神の介入によって繋げられた今の生。
約束を叶えられなかった津村芽衣の強い想いを受け生まれ変わった自分。
信じがたい出生の真実。
ぐるぐると頭に様々なものが絡まって解ける気配はない。
それでも。
“お前にきっかけを与えてやるよ。ただし俺が出来るのはそこまでだ。その後は自分で何とかすんだな、まあ覚えてやいねえだろうが”
一瞬だけ頭をよぎったそんな身に覚えのない言葉にメイリアーデは思いを馳せる。
心の中の言葉など届かないだろうと分かっている。
今聞いた話全てを信じ切れていないのも正直なところだ。
けれど本当に自分の身にそんなことが起きていたのだとしたら。
(ありがとう)
そんな言葉と共に涙が一筋こぼれた。




